安息日なのに
自分のいたらなさ、まだまだ自分が変えられていないことを痛感した。
教会での礼拝を終え家に戻っていくつかの礼拝ライブを視聴した。大変恵まれる時間である。今日は3つの教会のライブ配信を視聴し、久しぶりに好天だったので自然散策でもしようと外出した。特にあてがあったわけでもないがとりあえず弘前方面に向かおうと102号線を黒石方面から弘前方面に向けて走っていた。細い道や裏道を抜けながら弘前に向かうことが多いのだが今日は国道を使った。弘前に向かう国道は7号線か102号線のどちらかである。102号線の方が空いているのでこちらを使った。空いている分スピードを出す車もいるので7号線よりも少し気を使う。少し車が多い中、車線を頻繁に変えるトヨタ86がいた。田舎にありがちだが追い越し車線を非常に遅い速度で走る車がいる。連休ということもあるのか若干遅めの車が追越車線を走っていた。後ろから追いついた86が走行車線に入り追越車線の車を抜いて再度追越車線に戻った。そんなことを繰り返していたが、結局信号待ちなどで思ったほど前には進めず信号待ちで自分の隣に86が来た。自分はスピードを出さないので右折以外は走行車線しか走らない。しかも50km/h以上出さないので遅い部類の車だと自覚している。煽られることもよくある。しかし20年前の大事故以来絶対にスピードを出さない運転に変わった。青信号になって威勢良く飛び出した86だがまた前方に遅い車がいてその車を軽く煽っているようだった。そのすぐ後ろまで追いついた自分だったが、驚いたことにその86が自分の車の前に急に割り込んで来た。急ブレーキを踏んだ。おそらく数センチのところで止まれたのでぶつからなかったが心臓が口から出そうになった。勿論86はそのまま勢いよく飛ばして行った。心音が聞こえるほど恐ろしかった。が、次の瞬間怒りの気持ちが出て来てしまった。実はここ数年、落ち込んだり人を赦せなかったり批判的な気持ちになることはあったがとっさに怒る、という感情を持ったことがなかった。それまでは結構短気だったので少しずつ変えらているのかな?などと思っていたが、そんなことはない。今日、見事にその感情が突如湧き上がってしまった。しかも安息日で先ほどまでオンライン礼拝で大変祝福されていたのに。気付いた時には86を追いかけていた。結構無茶な運転をする割に運転がそれほどうまくないのか86に追いつくのは訳なかった。
怒りが・・・
86の前につけてそのまま徐行に入り102号から少し入ったところで停車させた。86の運転席のドアを開けて「今、自分の車を確認していましたか?ウインカーも出さずに後方を全く確認しないで走行車線に入ったんじゃないですか。その前にも何回となく車線変更を繰り返していたけど危険な運転をしている意識はなかったのですか。しかもそれほど運転が上手いとは思えなかったけど、そんなことをしたらすぐに事故を起こしますよ。あなたが無理な運転をして自爆すればそれは自業自得だけど、安全運転をしている人の命を奪うこともあるんですよ」と矢継ぎ早に説教をした。相手は平身低頭謝っていた。後方確認はしていたけど自分の車を確認していなかった、という。ドライバーなら誰でも知っている「死角」についてもう一度説明した。最後に「あなたの運転技術にはふさわしくない車だ。車に笑われないようにもっと上手な運転ができるようにしなさい。そして最高のマナーを身につけなさい」と言った。誰が何の車に乗ろうが勝手である。86だから運転が上手でないといけない理由はない。
清められていない
86が立ち去るのを見ながら、まだ自分に怒りの感情があることに失望した。神様のお力でこの性質は葬られたと思っていたのに。ヤコブやヨハネのように。人間の本質が変えられていないことを痛感した。
この怒りの感情をどうしても捨て去りたい。
悲しい安息日になってしまった。
2022年4月30日 「前の雨と後の雨」 安息日礼拝LIVE配信
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