姪の出産
小さい頃から非常に可愛がった姪がいる。姉の子である。自分が教員をしていた学校の生徒でもあり公私ともに良い関わりをして来た。一時、自信を持てなくなる時期がありとても心配した。少しでも元気になるようにと、押し付けがましくもバイオリンをプレゼントした。クラリネットを演奏する兄(現在はプロのクラリネット奏者)にならって自分もクラをやってみたものの兄と比較されることで気後れを感じるようになった。クラ以外の楽器をしたいと思っていたようでバイオリンが候補になっていた。姪のためなら何でもする叔父さんなので、知り合いのバイオリン工房に相談して一丁作っていただいた。その後、姪が人前でバイオリンを弾いたところを見たことがないので恐らくやめてしまったのだと思う。そんなことはどうでも良いのだが、あどけなさが残る姪が今日ママになった。やはり赤ちゃんの誕生は嬉しいしすぐに会いに行きたい気分である。コロナのこともあり直接会えるのはもっと先になると思うが、姪がママになって赤ちゃんを抱っこしている姿を想像しただけで幸せな気分になる。
80万人の壁
そんな姪のこともあり赤ちゃんのことを考えていたが、今朝ラジオのニュースが気になることを報じていた。これまで2030年頃と予想されていた出生数が80万人を割り込む年が、どうやら今年になるという。現在77万人台だという。姪の子はこの出生数の少ない年に生まれた、ということか。いや、もしかするとこのペースでどんどん出生数が減り「2022年が近年では最高の出生数だった」と言われるようになるのかもしれない。ちなみに自分が生まれた昭和38年はおよそ167万人である。子どもが多いと思っていたが、実際にはベビーブーム(第二次)は自分よりも10歳年下の昭和48年。およそ210万人。この第二次ベビーブーム以降ずっと減少傾向が続いている。
丙午(ひのえうま)
出生数グラフを見ると、突如出生数が落ち込む年がある。1966年である。自分より3歳年下の学年。昭和41年生まれの友人、知人もいるがこの年に人数が減っている印象は無かった。が、昔は気にしていたであろう「丙午(ひのえうま)」が1966年である。1966年の出生数が136万人であるから、周辺の年と比べて300万人以上少ないことになる。丙午の年に生まれた女の子は将来結婚相手を殺めてしまうかもしれないという。江戸時代から伝わる話である。
1681年、八百屋の娘であるお七は火災の現場で偶然出会った男性に好意をいだいた。是非もう一度あの男性に会いたい、と思うもどこの誰かも分からないのでは埒があかない。何故かここに火事場泥棒が登場しお七に助言する。「火事場で出会った人なら、次の火事にも必ず来る。自分で放火してみたらどうだ」と、何とも恐ろしいアドバイスを受けそれを真に受けたお七は果たしてその通りにしてしまう。このときお七は16歳。1666年、ひのえうま生まれ。このことから丙午生まれの女性は気性が激しいと言われるようになった。因みに丙午は西暦を60で割って46余る年。のなで1966年の次は2026年。もうすぐである。
数
前出のラジオの話。このニュースで報じられていた内容に少し違和感を感じた。出生数が少ないことの影響、問題として「年金制度の崩壊を招く」と説明していたことがとても耳に残った。確かに人間は誰かのために生きるし、一人で生きていけるわけではない。なので、ニュースが報じる内容も理解できるのだが人間が「人」として尊重されず「数」という価値で測られている気がしてとても悲しい気持ちになった。コロナが猛威をふるう今日この頃、感染した全ての人に家族や事情、背景があるのだが周囲が関心を持つのは「感染者数」という数値である。ロシアの侵略に関しても、このニュースがずっと続くので「犠牲者の人数」でその悲惨さを理解しようとしている。確かに日本の高齢化率は諸外国に比べて深刻な状況であることは間違いない。それでもそこに数えられるのは「心と意思をもった人間」であることを決して忘れてはいけないと思う。数でしか物事を測れなくなると、ポル・ポトやナチスの大量虐殺も正当化されてしまいそうな気がして恐ろしい。
イエスキリストは、人類全てを救うことを目的としてその生涯をささげられた。しかし、ある書物には「イエス・キリストはたとえこの地上にあなた一人しかいなかったとしても、あなた一人のために十字架にかかったであろう」と述べていた。イエス・キリストという方は「集団」ではなく「個」を見られるお方である。「数」ではなくそれぞれの「事情」をご配慮くださるお方である。
つのぶえ合唱団 – キングス・ヘラルド(THE KING’S HERALDS)
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