水の上を歩くペテロ
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。 しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
And when the disciples saw him walking on the sea, they were troubled, saying, It is a spirit; and they cried out for fear.But straightway Jesus spake unto them, saying, Be of good cheer; it is I; be not afraid. And Peter answered him and said, Lord, if it be thou, bid me come unto thee on the water.And he said, Come. And when Peter was come down out of the ship, he walked on the water, to go to Jesus.But when he saw the wind boisterous, he was afraid; and beginning to sink, he cried, saying, Lord, save me.And immediately Jesus stretched forth his hand, and caught him, and said unto him, O thou of little faith, wherefore didst thou doubt?
マタイによる福音書 14:26-31
その日は波乱万丈の1日だった。バプテスマのヨハネが殺されたことを聞きひとり静かに祈ろうと思ったイエス様を群衆が取り囲み祝福や教えを乞う。心優しいイエス様は群衆に対して人々を癒すなどその必要に応えられた。群衆との時間もあっと言う間にすぎあたりは段々と日が沈みそうな時間になってしまった。男だけでも5000人はいる大群衆である。彼らを解散させようとした弟子を制して群衆に食べ物を与えようとイエス様は提案なさった。5つのパンと2匹の魚しかなかったがそれを大いに祝福し大群衆が十分に食べられる量に増やしそれを分けてあげた。食事の奇跡を行ったのち群衆を解散させ、疲れている弟子たちを船に乗せて強いて向こう岸におやりになった。イエス様はひとりで山に向かい祈り、また船に乗った弟子たちをご覧になっていた。しかし生憎の逆風で船は向こう岸に向けてなかなか進む事ができない。そのときイエス様はこぎ悩む弟子たちのところに行くべく水の上を歩いた。弟子たちは一瞬幽霊だと思ったがイエス様であることを明かしてくださったのでホッとする。水の上を歩いていたイエス様を見て自分もそのようなことをしたくなる弟子がいる。好奇心旺盛でいつも「ハイハイ」と一番に手をあげるタイプのペテロである。イエス様に願って水の上を歩かせてほしい、と願うとイエス様が「ではこちらに来なさい」と手引きしてくださる。一歩また一歩と歩き始めたが急に吹き付ける強風に心が奪われると途端に溺れてしまった。すぐさまイエス様が助けてくださったのでことなきを得る、そのような場面である。
祈りのチャレンジ
最近、自分はふたつの不可能と思えることを祈ろうとチャレンジを始めた。ところが、これが実に難しい。難しいだけではない。祈る前に比べて心に逆巻く波風が強くなっていることを実感している。「こんな祈りをしなければ失望もしないし、不安にもならなかったのに」と思ってしまう。祈れば祈るほど現実にも目が向いてしまい、「これは絶対に無理だ」と言う気持ちが以前よりも大きくなる。それでも信仰を与えていただき祈る。祈れば余計に失望する。その繰り返しである。ペテロはイエス様を見つめていた時は水の上を歩けた。しかし強風や足元の大波に目を向けた途端に溺れてしまった。今の自分と全く同じである。神様だけを見上げその偉大な力をみ続けている時は「きっと大丈夫だ」と言う信仰すら与えられる。しかし一瞬でも現実を見てしまうと「絶対に無理。そんな奇跡が起こるなんて信じられない」と言う気持ちになる。心の中で神様と悪魔が戦っている。神様の力を過小評価しているのではない。実際に祈りながら周りの景色を見るといつも綺麗にそびえる岩木山がある。「この山は誰がつくったと思っているのか」と言われているような気がする。「勿論神様です」と神様の偉大な力を認めることはできる。信じる事が難しのは神様の力の大きさではなく、その力を自分のような小さき者のために用いてくださるのかと言うことである。自分が神様から愛されていることはわかっているつもりである。でも今まで何度も祈って失望してきたからまた同じではないかとも思ってしまうのである。本当に情けない。信仰の薄い者というより信仰のない者である。本当に神様に申し訳なく思っている。この不可能と思える祈りにチャレンジしてからより一層サタンからの攻撃が激しくなっていることも実感している。それでも神様を信じ続け祈り続ける事ができるのだろうか。不安だが進むしかない。今与えられた御言葉がまさに自分に対して警鐘を鳴らしてくれた気がしている。
今朝の御言葉
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」
ヘブル人への手紙 11:6 口語訳
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