大失望からのスタート
今日は2021年10月23日。今から177年前のこと。この水曜日の朝を重苦しい気持ちで迎えた大勢の人たちがいた。
19世紀は米国に限らず多くの国で「再臨運動」が展開された。米国ではウイリアム・ミラーを中心にこの運動が広まった。最終的には北米だけでも10万人規模の「イエスの再臨を待ち望む」群が出来上がった。聖書に「ダニエル書」と言う書物があるがその中にイエスキリスト出現や死、またそれに関する複数の預言が書かれている。ミラー牧師らに代表される「再臨運動」はダニエル書のある言葉が発端となっている。
それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。
(ダニエル書8:13,14)
この「聖所が清められる」と言う部分を再臨と理解したミラー牧師だったが、その起算点さえ分かればイエスキリストの再臨の日を求めることができると考えた。何故起算点が分かれば再臨の日がわかるかと言うと、「2300の夕と朝」から理解できる。預言では1日を1年と読み解くのが聖書の一般的な解釈なので、ある起算点から2300年後再臨があると言える。その起算点は、同じくダニエル書に書かれていた。
それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
(ダニエル書9:25)
バビロン捕囚によって捕らえられ、エルサレムの街は廃墟と化してしまったがその後、クロス王が帰還の許可を下しイスラエルの民の一部は故郷に帰還した。クロス王は神殿の再建を指示したが、その後エルサレムに関する再建命令や確認は何度となく発令される。ただ、ダニエル書のこの部分に記されているのは「神殿の再建」ではなく「エルサレムの街の再建」である。これを発令したのは、アルタシャスタ王(アルタクセルクセス王)である。BC457年のことである。これを起算点とした時、BC457年から2300年後は1844年となる(BC1年の次の年はAD1年となり0年なるものは存在しないので2300-457+1=1844となる)。過越の祭りとキリストの十字架が同日であったことからその日がユダヤ暦の7月10日、これを現在の太陽暦に変換すると1844年10月22日、が算出できる。
ちなみに、ウイリアム・ミラーを紹介したが、この計算についてはミラー以前にも多くの人がこの計算を試みていた。物理学者、数学者で有名なアイザック・ニュートンもこの計算を成功させている。
この1844年が迫るに従って多くの人たちが家や土地を売り、仕事を辞め、全財産を貧しい人に施し、全てを捨てて山に集まってきた。そしていよいよカウントダウン。1844年10月22日の1週間目に亡くなったある牧師がいた。家族は家長を失った寂しさもあったが1週間後に父親、夫に会える希望を持っていたので悲しむことはなかったと言う。そしてついに10月22日。朝、そして昼を迎えたが何の変化もなかった。夕方になり夜になった。そしてついに10月22日が終わってしまった。再臨を待望していた10万人を超える人々が「大失望」を経験した。ある人たは「始めからこんな預言は嘘だったのだ」と思いその群れから離れた。ある人たちは「イエスキリストは確かに来られた。自分たちの心の中に」と言って自分の心が壊れない努力をした。そして非常に少数ではあったが(ある記録では50名ほどとある)「計算に間違いは無かった。間違っていたのは計算ではなく、その出来事だった」ともう一度聖書研究に没頭したグループがあった。実は自分が所属しているキリスト教団はこの大失望の後、聖書研究に没頭したグループである。
そして、レビ記から「聖所が清められる」の意味が「再臨」ではなく「大祭司なるイエスキリストが至聖所に入られた」と解釈するに至った。
10月23日
今から177年前の今日。大失望を経験したうちの僅かな人たちが集まって聖書をもう一度研究した。大失望の朝、しかし新しい方向に向かう朝、神様はこの小さな小さな群れを心から愛し励まし支えてくださったのだと思う。
あれから177年、現在この小さな群れは全世界規模のネットワークをもちおよそ2000万人の信徒を有する教団になった。
この教団は「土曜日に礼拝する特殊な集団」と言われることがある。しかし、イエスの十字架直後にできた初代教会から始まってずっと安息日は土曜日であると信じそれを守ってきた。それがそもそもクリスチャンの伝統だった。「時と法を教会の権威で変更した」存在によって日曜日が礼拝日になり定着してしまっただけのことである。因みにこの安息日の教理はセブンスデー・バプテストから私たちの教団は学んだ。だから、安息日の教理は私たち独自のものではない。私たちの教理の根底にあるのは、1844年に何が起きたかに関係する。つまりイエスキリストが至聖所に入られたことを含む「聖所と救いの教理」、これこそが自分の属する教団の真骨頂である。
信仰の大先輩たちが築き上げた大いなる遺産を後世に、またイエス様を知らない方々に伝えるのが自分の使命であることをこの日、改めて確認した。
2021年10月23日 安息日礼拝〈ライブ〉(メッセージは1:05:35から)
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