献金

給与

昨晩から降り続いている雪は未だに止む気配がない。午後2時過ぎには自分が住んでいる村に大雪警報が出された。これが明日まで続くと言う。恐ろしい。今日は仕事が休みなので出かけたくなかったのだが、給与の支給日なので昼過ぎから大雪の中出かけた。給与は「青森銀行」に振り込まれるが子どもの授業料などは郵貯の口座から引き落とされるのでそちらに幾らか移しておかないといけない。また父の入院費の一部を振り込まないといけないのでその手続きも併せてした。それほど長い時間では無かったが、あっという間に車が雪に埋もれてしまった。とんでもないところで生活していることを痛感させられた。

献金

昨日、給料明細が配られた。振り込まれる金額はほぼ同じ額なので明細を見るまでもないが、什一献金(収入の1/10を毎週の礼拝献金とは別にささげること)をするので一応見ておかないとうっかり神様のものを盗んでしまいかねない。前職では自動的に什一献金を計算して天引きしてくれていたので間違いはなかったのだが、こちらではそのようなシステムがないので自分で計算しないといけない。一番最初の給与の時には前職の事務の方に聞いてどの収入が什一の対象になるのかをきいて献げてたが、少し状況が違う気がしたので神様のものを盗まないよう、振り込まれる金額の1/10を千円の位を繰り上げて献げるように決めた。計算が単純なので間違える心配がない。当たり前のように献げる什一献金であるが、実は昨日非常に考えさせられる出来事があった。

喜んで献げる

自分は献金、特に什一献金は「当然の責任」として行なっているが献げる心の根底には「神様のものを盗んではいけない」という気持ちが働いている。強制されていると思ったことは一度もないが、かといって喜んで献げているわけでもない。とにかく「間違いがないよう」に献げている。

昨日、職員の休憩室でちょっとしたエピソードがあったそうだ。自分はその場にいなかったので他の職員から聞いた話である。ある、一人の職員が給料明細を休憩室で見ていた。そこには他に数名の職員もいた。明細を見ていた職員は、できるだけ早いタイミングでバプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになりたいと望んでいる方である。この方の素行や聖書理解、福音理解の度合いを問題視して教会理事会がなかなかこの方のバプテスマを認めないらしい。実はこの教会には幾つかの問題がある。院長先生が「黒石」と「五所川原」に「自称聖書研究会」を作っている。安息日の午後は2時から黒石で集会を開き、その後4時30分から五所川原で集会を開く。この集会を院長先生は「教会」或いは「礼拝」と称し教会から信徒をそちらに移してしまう。要するに教会の分裂が起こっているのだ。これに反感をもつ理事たちが何かと院長先生がやろうとすることに反対する。どっちもどっちなのだが、前出の方のようにバプテスマを認められない人がでてくるのだ。今まで自分が所属した教会でバプテスマが受けられない状況は記憶にないのだが、こちらの教会では日常茶飯事なのである。みていて「滅茶苦茶な教会だな」といつも悲しい気持ちになっている。

しかし、この給料明細の方は昨日休憩室で次のように言っていたそうだ。「すごい、給料がほぼ倍に増えている。嬉しい。これでもっとたくさん献金ができる」。給与の金額まで公表していたようで周りの職員はハラハラしていたようだ。が、この方はバプテスマが認められなくても腐らずにたくさん献金ができることを喜んでいたのだ。たくさん献金ができることを喜んだ経験は無い。本質を忘れていけにえを間違いなく献げることだけに気持ちがいっていた。あのパリサイ人のように。

未信者の方からとても大切なことを教えていただいた。

「モーセはイスラエルの人々の全会衆に言った、「これは主が命じられたことである。 あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。すなわち金、銀、青銅。」
出エジプト記 35:4-5 口語訳

「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。」
マタイによる福音書 9:13 口語訳

Celebrate the King Single Version

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA