慰霊の日

沖縄戦

終戦記念日は8月15日だが、沖縄ではこの日よりも今日6月23日の方が認知されている気がする。1945年4月2日から始まった沖縄本土決戦。日本で唯一地上戦が行われた沖縄戦は米軍の慶良間諸島攻撃からはじまる。その後中部(読谷村)付近から上陸し嘉手納飛行場、読谷補助飛行場の占拠を目的とした地上戦と発展する。

米軍は南下する部隊と北上する部隊とに分かれるが、南下部隊と日本軍との衝突は非常に激しく日本第32軍は苦戦を強いられる。本丸が攻撃され次々とその拠点を南に移すがついに牛島満司令官が自決。これが6月22日とも23日とも言われ一時は22日が自決の日とされた。その後、改定され現在の6月23日が慰霊の日となり沖縄では多くの教育機関や会社が休みとなる。また本土でもお盆の時期には海で泳いだり魚釣りを避ける習慣があるが、沖縄でも慰霊の日には海水浴をしない。今日も朝から曇り、雨そして時々晴れ間が見える天気だが気温は30℃と高い。海沿いを走ると海水浴を楽しむ人たちの姿も見かけるが基本的には沖縄の人ではないと思われる。恐らく観光客だろう。日本側だけでも20万人の犠牲者を出した沖縄戦。戦争は人類の残した負の遺産だと思う。

休日

次男の小学校も今日はお休み。休日の日は子どもと長時間に渡って遊べる。が、今日は予定があった。自分ではなく息子に。利用させていただいている放課後等デイサービスのピクニックの日である。お友達と喧嘩をしてしまうこともあり不完全燃焼で帰ってくることもあるがこのデイサービスが一番気に入っているようだ。3つの施設を利用させていただいているが隣の市にあるこのデイサービスには特別な思い入れがあるという。一時期、色々な事情からこの施設を利用できなくなった。原因は我が子にある。本人も出禁になった理由をよく理解している。でも余程好きなのだろう。妻の実家近くにあるため時々施設の近くを通ることがある。すると次男は必ず施設の前を通って欲しいという。この言葉に何度涙を流したかわからない。自己肯定感が低く人と比較して劣等感を持ちやすい次男は少しのことでも感情をコントロールできなくなる時がある。癇癪を起こすのだ。自分が一緒に生活するようになって3ヶ月弱だがその傾向がかなり落ち着いてきているように感じるもののまだ癇癪を起こすことはある。

「僕が悪い子だから●●(施設名)には行けないんだよ」と乾いた笑い声で言う時、とても辛くなって「そんなことないよ」と言って強くハグする。

決して友達が多いわけでもない。友達関係の構築も上手ではない。でも心から友達を欲してる次男。

5月の後半から出禁?だった施設が色々と配慮してくださり、また通えるようにしてくださった。週に一度だが次男は喜んで通っている。車で片道1時間かかるが金曜日はいつも朝から機嫌が良い。

今日はその施設のピクニック。行き先は・・・。自宅から歩いて1分で行ける海軍壕公園。家から参加すれば良さそうなものだが、子どもは往復のバスも大きな楽しみの一つ。朝から妻が1時間かけて施設に送った。同じ道を通って今度は施設のバスで家から徒歩1分の海軍壕公園に来る。そして、帰りも同様。1時間かけてバスにて施設に戻りそれを妻が迎えに行く。

実に無駄で非効率的な話である。が、とても大切なことなのだ。次男の友達を欲しがる気持ちを理解している自分たち夫婦には、周りからは愚かしく見えることが貴重なことに思える。

教育

今現在、長男がコロナに感染し療養している。寮生活をしているので仕方ないのだが少し学校にも油断があったのだろう。ほんの少し罹患者が減り始めたところで色々なプログラムを再開し外部からの来校者も受け入れるようにしたため落ち着く傾向が一転、また増加している。そのような中で長男が罹患したので少しショックも受けたが神様が何かのご計画を持っていたのだろう。妻とは文句を言わず感謝しながら長男の癒しを求めようと毎日何度も一緒に祈っている。子どもが自ら苦しむ経験を通して愚かな両親が神様に頼ることを教えてくれる。

次男も毎日学校や放課後等デイサービスのはなしをしてくれる。うまく言ったこと、そうでなかったこと等々。笑いながら話してくれるが結構壮絶な経験をしている。この子が、生きづらさを感じながらも尚生きることの葛藤を教えてくれる。神様を信じて祈っているけど、その祈りが聞かれないことに対する悶々とした思いを教えてくれる。

子どもたちが親を教育してくれる。そして神様から離れるなと教えてくれる。

もっと子どもの話を聞かないといけない。話の中に散りばめられた子どもの本心、本音を聞き分ける知恵が欲しい。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイによる福音書 11:28 口語訳

「わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。」
イザヤ書 6:8 口語訳

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