1年が経ち

今日の出来事

一昨日からかなり気温が下がり吹雪くことが多くなった。数日穏やかな日が続いていたので「もうすぐ春なのかな」などと呑気に考えていたら突然の大雪。今までに無いほどの激しい降りに恐怖を感じるほどである。昨晩というか今日未明も2時ごろから4時ごろまで除雪車が一生懸命働いてくれていた。おかげで殆ど眠れないまま朝を迎えてしまった。八戸の方(太平洋側)で大雪が降るとそのシーズンの雪は終わると言われた。また「えんぶり(八戸)」が行われるとそのシーズンの雪は終わるとも言われた。何れにしても春はもう直ぐだ。花粉症の自分は春が苦手だが、今年ほど春を待ち焦がれたことも無いと思う。春というより雪が終わって欲しい。もう一生分の雪を経験したので十分である。

大雪の中、昨年のことを思い出していた。2月23日は特に印象深く覚えている日である。色々なことが重なり憔悴しきっていたあの頃。死ぬまでに一度は乗りたいと思っていたバイクがあるのだが免許取得のために2021年後半から教習所に通っていた。目も悪くなりバランス感覚も衰えてきたので今更バイクでも無いのだが、とにかく「死」が近いところにあったのでどうしても乗りたくなってしまった。苦手だったのが一本橋。幅30cm、長さ15mの鉄板の上を7秒以上で通過しないといけない。これが本当にできなかった。自分以外の教習生で一本橋で苦労している人を見たことがない。自分だけ取り残されてしまった。要領は分かっている。しかし、橋の直前に来ると頭の中が真っ白になってしまう。一本橋のずっと先に「止まれ」の標識がある。そこを見ながら、ニーグリップを意識して、ハンドルを小刻みに動かしながら、である。頭では分かっているがそれができない。初めから乗れない(一本橋は5cmほど高く設置してある)ことも珍しく無い。成功確率は10%未満。しかも7秒以上で通れたことは殆ど無かった。この一本橋がある以上絶対に合格できないと諦めムードで迎えた卒業検定日。その日の様子が投稿されていた

あれから1年

そんな神様のお守りを痛感していた矢先、次々ととんでも無いことが起こった。この時期はまだ復職の可能性があると思っていた。が、当時の院長から突然の解雇を言い渡された。どうしたら良いのか分からないまま、殆ど生きることを諦めていた。仕事も住むところも無い。「これ以上、落ちることはないだろう」と高を括っていたがとんでもない。更に悪い方に、底なし沼のように落ちていく。結局何の希望もなく、ただ死なないために青森に来てしまった。知り合いもなく、仕事にも慣れずただ寂しさと虚しさそして希望の持てない状況の中で過ごしてきた。1年前、まさか自分が青森で教育以外の仕事をしているとは想像できなかった。辛いことが多かったけど、しかし神様との関係や自分の気持ちに少し変化があったことにも気づいている。文字通り「どん底」に突き落とされたことで自分の無価値なことがよく理解できた。不十分だと思うが、それでも謙遜ということを学ばせていただいている。そして、神様が共にいてくださることをより強く確信できるようになった。決して状況は良い方向に向かっているとは言えないけれど、現状を越えたところで働かれる神様の力と愛を信じている。そして、今までとは違った意味で「死」を意識するようになった。パウロが言っているように

わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
ピリピ人への手紙1:21

と思えるようになった。今はこの命を神様にもう一度使っていただきたい、自分の死に場所に導いて欲しいという思いでいっぱいである。それが将来ある子どもたちと過ごす教育の場であれば理想であるがそうでなくても、その場所で「神様はあなたを決して離れません」と言い続ける人になりたいと思っている。

僅か1年。されど1年。神様は苦しみの中で、はっきりと自分のその御姿を表してくださった。

8 Shishin Miyagi 【俺と神様シリーズ】

 

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