敵を愛し迫害する者のために祈れ

八街死亡事故

昨日も投稿したが八街のトラック運転手が酒気帯び運転で児童2名を殺しひとりを意識不明の重体、ふたりに重傷を負わせた事件についてずっと考えていた。実は自分の下の子も同じ8歳である。この子がある日突然交通事故でいなくなってしまった、などと考えただけでゾッとする。恐らく日本のどの様な法に触れても構わないので犯人を自分の手で苦しめたい。できることなら命で償わせたい。亡くなられた児童さんもまさか今日が自分の最後の日になるなんて考えもしないで登校しただろう。なのに2度と自宅に生きて帰ることはできなくなってしまったのだ。親御さんだってまさか自分より早く亡くなるなど考えもしないで一生懸命育ててこられただろうに。自分も毎日ハンドルを握る立場なので、同じ様な事故を明日起こしてしまう可能性があることを自覚している。勿論飲酒などはしないしそもそも酒が飲めない。しかし居眠りい運転する可能性はあるかもしれない。運転中に意識を失うことがあるかもしれない。そう考えると加害者、被害者ともに人ごとではない。それにしても本当に悲しすぎる事件である。何でこんなことが起こるのだろう、神様がいるのならなぜこの様なことを許されたのだろうと考えてしまう。多くの方がインタビューに応えていた。涙を流しながら語る言葉の一言一言に重さを感じる。しかし、今と同じ思いを1年後も持ち続ける訳ではない。その家族だけが癒えない心の傷、消せない過去を背負い続けるのだ。正直言ってイエス様が早く来てくださらなければ決して解決しない問題である。どれだけ法が梅澤被告を裁いたとしても親御さんや近親者にとっては何にもならない。

今日の御言葉

いつも励ましに満ちた聖書の言葉が配信されるので今日も朝7時を楽しみにしていた。が、今日は「ハレルヤ!」という感じにはならなかった。今日与えられた聖句は次の言葉だった。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

But I say unto you, Love your enemies, bless them that curse you, do good to them that hate you, and pray for them which despitefully use you, and persecute you;

マタイによる福音書5:44

勿論この聖句が聖書にあることは知っているし今まで何度も読んだ聖句である。しかしこれを実践するとなるとかなりハードルが高い。すぐに自分の敵、自分を迫害する人を思い浮かべてみた。すぐに4人の人が思い浮かんだ。よくよく考えるとこの倍はいる。これらの人は、思い出すと苦しくなり自分の過去から抹消したい人たちである。彼らが自分にしたことを思い出すだけで心が萎えてくる。権力を振りかざし私利私慾のために公的なものを私物化しあたかも自分が王であるかの様に振る舞う人々。「神様は、彼らの今すぐ裁きを」と祈ったことは何度もある。しかし、この人たちを愛しこの人たちのために祈ることを要求する聖句が与えられてしまった。祈りながら考え込んでしまった。彼らのために祈ることはできるかもしれないが愛することはできない、本気でそう思っている。だから「どうか彼らを愛することが神様の御心ならば、自分にはその愛が全くないのでどうか愛を与えてください」と祈った。これはかなり時間のかかる作業になることだろう。

アーミッシュのこと

2006年10月3日、32歳の男性がアーミッシュの学校に乱入し銃を乱射する事件が起きた。5人の児童が凶弾に倒れ5人が負傷した。犯人は事件後自殺をしてしまった。平和でのどかなアーミッシュの村を突然悲劇が襲った。大事件であるが更に世間を驚かせたのは殺された児童の両親家族が自殺した犯人とその家族を赦す、と表明したことだった。先ほど教会で行われる祈祷会に出席した際、赦しということが話題になった。赦すと言うことがどれほど大きく犠牲の伴うことなのか。赦しには覚悟と決心が要求される。そして痛みと犠牲が払われなくてはならない。それをアーミッシュの人たちはしたのだ。この人たちのしたことに比べたら、自分が自分に害を加えて人を愛することはさほど難しくない様にも思える。更に考えを進めていくと、究極的にはイエス様の示された愛に行き着く。サタンに心を奪われ惨めに生きる弱い存在である自分を心から愛し、赦して犠牲を払ってくださった。

主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

Hereby perceive we the love of God, because he laid down his life for us: and we ought to lay down our lives for the brethren.

ヨハネの第1の手紙3:16

赦すこと、愛を示すことを真剣に考え実践するものとなりたい。自分を苦しめる8名の敵を愛せる愛を与えていただきたい。

赦し――重荷が軽くなりました

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“敵を愛し迫害する者のために祈れ” への2件の返信

  1. はじめまして、
    幼い子供達が亡くなるのは非常に心が痛みます。
    主が居られるのになぜそのようなことになるのかと誰しも疑問と疑いが生じるでしょうが、しかし主はこの世の生命だけではなく、永遠の生命を考慮して居られるのだと思います。
    主のこの世での命は三十数年でしたが、それ以上でもそれ以下でもなかったことは偶然ではないです。
    憎しみだけでなく色情と貪欲も殆どの人は克服できず悩むものですが、これらを克服するにはそれらを善用するための長い期間の祈りと悔い改めが必要です。というのは人間の心は短期間では変わらないからです。
    自分が他の人達の中に見る悪はそれらの凡てのものが自分自身にもまたあることを承認して、それらの悪を自分自身の中に認めた時は即座に主に祈り悔い改める必要があります。
    諦めずに祈り続け悔い改め続けることで少しずつ変われます。
    栄光在主アーメン

    1. 本当に仰る通りですね。
      地上生涯だけを考えたらこれ程不公平で理不尽なことは無いと思います。しかし永遠の命を考えたときに全ては御心のままに、とお委ねする気持ちになれます。お書きくださった通り必要なのは日々の悔い改め、今日の悔い改めだと痛感いたします。時期にかなったご示唆をくださり誠にありがとうございます。

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