健康指導
連続20日間の健康セミナーも残り5回となった。このセミナーで自分自身の健康面や健康に対する意識が変えられてが最も大きな変化はイエス様に対するイメージかもしれない。イエス様の圧倒的な愛を毎回の講演で分かりやすく教えていただいている。
そしてこの期間中、ずっと祈っていたことが先日叶えられた。毎回の講演をメモして家に帰ってから妻に内容を話していた。妻も健康と信仰について非常に興味を持ちながらもなかなかこのセミナーに参加できずにいた。勿論安息日の礼拝も講師の崔先生がなさるので礼拝メッセージとしては妻も聞いているのだがセミナーには参加していなかった。自分が間接的に説明するのではなく直接崔先生に会ってこの先生のお人柄からイエス様をより深く知って欲しいと思い、妻がセミナーに参加できるよう祈って来た。この祈りがついに聞かれた。先日妻がセミナーに参加し、集会後にはかなり長い時間をいただいて健康指導をしていただいた。妻も非常に喜んでいた。「毎回、報告してくれていた通りの先生だね。謙遜で、決して自分の力や知識、経験を誇ることをせず神様だけを証ししているね。」と崔先生の信仰、個人的に神様と歩み続けている様子を知る機会となったようだ。
翌日、崔先生に妻との面談についてお礼を申し上げたが私の手をとって「あなたの奥様のために昨日はスタッフ全員でお祈りしました。そしてこれからも祈り続けます」と仰ってくださった。目がご不自由で顔すら分からない妻のことを覚えていてくださり祈ってくださっている、本当に感謝すべきことである。こみ上げてくるものを抑えて崔先生の手を強く握り返しお礼を申し上げた。
熱意
自分はこと信仰について韓国に人にはかなわないと思って来た。今回のセミナーや教会の牧師先生の働きを通して圧倒される気迫を感じている。
イエス様に出会って従った弟子たち。彼らは今までの職業を全く捨てて従った。漁師が漁具をそのままにすることは手入れができず使えなくなることを意味する。それでも漁師は腕に覚えがあるので道具さえあれば、万が一イエス様について行って食いっぱぐれても生活の手段はあるかもしれない。どうにもならないのが徴税人である。ローマの手先になって同胞を裏切る売国奴の道を選んだ彼らには、この仕事を失えば生活の保証は全くなくなる。仕事がなくなる、だけの話ではない。ユダヤ社会から完全に排除される。ユダヤ人が社会から排斥されることの意味は日本人には決して理解できない。存在そのものの否定になるからだ。それでも生活の糧や保証をすべてすててイエス様に従って行った。韓国の方々をみていてそのような姿勢に通じるものを感じる。崔先生もそうである。こんなに素晴らしい講演を20日もされているのに観光もなく質素な食事が与えられるだけで勿論ギャランティーもない。交通費だけで来られていると牧師先生から伺った。しかもこの交通費も牧師先生のポケットマネーである可能性が高い。
崔先生の「造られた方が癒される」という書籍の日本語版を那覇教会の牧師先生は計画しておられる。出版についていくつか相談されたが素人なのでうまくお答えすることはできなかった。それでも資金が貯まるまでクラウドファウンディングや電子書籍の形でお金を集めることを提案した。電子書籍はお金を集めるためではなく、若い世代を中心にペーパーベースの読み物が遠い存在になりつつあることを説明した。いつでも隙間時間に読める、が現代のニーズであるなら「いつも持っている端末」に書籍が入っていることが望ましい。その意味でも電子書籍を提案した。「それは良いアイデアだ」と仰ったが、しかし牧師先生はペーパーベースの本を出版する方向で考えている。韓国で製本までしてもらう計画を立てている。費用について聞いてみたが「見当がつかない、しかし3000冊出版なら250万円は最低でも必要だと思う」と仰っていた。おそらく牧師先生はこの出版費用をご自分で捻出しようとしている気がする。
こういうところである。韓国の方にはかなわない、と思っているところが。自分はまずは生活、身の置き場を考える。自分が安全ならば次に神様のことや人のことを考える。崔先生や教会の牧師先生は違う。まず神様のことを考える。そうすれば必要なものは全て神様が与えてくださる、と考える。
それでも自分は聖書の真理を知っている、聖所の真理や預言について誰よりも勉強していると自分や日本の牧師は考える。圧倒されるような捨て身の信仰、学ばせていただきたい。
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