聖霊

今も尚

聖霊の約束は一時代や一民族に限られたものではない。キリストは、 み霊の聖なる感化は世の終わりにいたるまで、キリストに従う者の上に あると宣言なさった。ペンテコステの日から現代にいたるまで主とその みわざに自分のすべてをささげてきた人々に、助け主が送られてきた。 キリストを個人的な救い主として受け入れたすべての者に、聖霊は助言 者、聖別する者、導き手、証人としてのぞんだ。信ずる者たちは、神に 密接につながって生活すればするほど、あがない主の愛と救いの恵みに ついて一層はっきりと力強くあかしした。幾世紀にもわたる長い迫害と 試練の時代に生きて、生涯、聖霊が豊かにとどまった人々は、この世に おけるしるしとなり、不思議となった。彼らは天使や人々の前で、人の 心を変えるあがないの愛の力をあらわしてきた。
患難から栄光へ 電子版p35 聖霊の働き

どんな時も

神のために献身した働き人がどんな場所にいようと、み霊は共に住ん でくださる。弟子たちに語られたことばは、同時にわれわれにも語られ ている。助け主は彼らのものであるばかりでなく、われわれのものであ る。どんな緊急の際でも、この世の憎しみのまっただ中にあっても、み 霊は、もがき、格闘している魂をささえる力をさずけられる。また彼らの失敗や誤りに気づかせてくださる。悲しみや苦しみの中で、 見通しは暗く、未来は難問題ばかりのように見える時、また、どうしよ うもない孤独感におそわれている時、こうした時こそ、聖霊は信仰の祈 りに答えて、心を慰めてくださるのである。
患難から栄光へ電子版p36 聖霊の働き

イエス様と聖霊様

キリストでさえこの地上でのご生涯に、毎日必要な恵みを神に求めら れたということは、献身的な働き人にとって、すばらしい慰めである。 神とのこの交わりから、イエスは力を受けて、人々を力づけ、祝福する ために出て行かれた。神のみ子が父の前にこうべをたれて祈っておられ る姿を見よ。イエスは、神のみ子であったが、祈りを通してご自分の信 仰を強め、天との交わりによって、悪に抵抗し、人類の必要に奉仕する 力をお受けになった。人類の長兄としてキリストは、弱さに取りまかれ、 罪と誘惑の世に住みながらなお、主に仕えたいと望む者たちの必要をご ぞんじである。また、主がつかわすにふさわしいと思っておられる使者 たちが、弱く過ちをおかしやすい人間であることもごぞんじである。し かし主の働きに全く献身するすべての人に、主は神からの援助を約束し ておられる。神に頼りきって、みわざに惜しみなく献身する信仰、この 信仰をもって神に熱心に、忍耐強く懇願すれば、罪との戦いにおいて聖 霊の助けを必ず受けることができる。このことを主ご自身の模範は保証している。患難から栄光へ電子版p40 聖霊の働き

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働く方

寒い日

昨日、今日ととにかく寒い。10年に一度?とにかく寒い。外にいられないほど寒い。10年に一度の大寒波が来るということで身構えてはいたがここまで寒いとは想像していなかった。今日の津軽地方、最高気温がマイナス5℃、最低気温がマイナス11℃。一瞬外で作業する時間もあったが生命の危険を感じるほどの寒さだった。

働く方

寒いとどうしても起こるのが「水が出ない」トラブル。情けない話だが自分も昨晩水抜きをしないで眠ってしまったので今朝は水が出なかった。職場でも少し水のトラブルがあり業者さんにいらしていただいた。今日はたくさんのご家庭から同様の「水回りトラブル」が発生しているようで朝から忙しく動き回っているという。こういう方が日本の社会と経済を守ってくださったいるのだな、と思う。以前、職場が落雷によって全面停電になったことがある。その時、まだ落雷と雨は続いていたのに修理業者さんが5,6名でこられて黙々と働いておられた。本当に頭が下がる。家の内外問わず一切の修理をしてくださる方は自分にとってヒーローである。

当たり前

なんでもやってもらうことに慣れている人は、誰かが助けてくれることが当たり前になっているのかもしれない。自分ができないことを誰かがやってくださっている。そのことを決して忘れないでいたい。

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師匠と弟子

師匠

もう現役を退いてしまったが少し前まで父はハンドバッグ職人だった。おそらく今でもその腕はそれほど落ちていないと思う。父の元には職人の見習いさんがいつもいた。数ヶ月或いは数年住み込みで修行して独り立ちして行く。住み込みなので、小さい頃から家族以外の人が一緒に生活することが当たり前だった。作業場は自宅の一室で10畳ほどの部屋。そこにミシン2台、皮すきの機械や裁断の機械などが所狭しと置かれていた。更に父を中心に母や職人さん、そして祖父の作業台があった。父は見習いさんのすぐ隣にいていつでもアドバイスできるようにしていた。

弟子を見守る師匠にはふたつの立ち位置があるように思う。弟子が道を行くときに後ろからついて見守る場合と、導くために弟子の前を歩く場合のふたつである。そのどちらも弟子訓練には必要かつ有用な立ち位置なのだと思う。

イエス様の弟子訓練

イエス様は決して人間の力を必要としていなかった。イエス様のされたことは人間の力がなくても全て完結するものばかりであった。が、イエス様は敢えて「使徒」と呼ばれる弟子を集められた。特にいつも行動を一緒にしていた12名の弟子は有名である。彼らの能力に応じた役割を与え、絶えずイエス様ご自身がいなくなったときに独り立ちできるように訓練し教えていた。イエス様は弟子を必要としていなかったが、人間が弟子訓練のために師匠なるイエス様が必要だった。弟子たちについて次のような文章があった。

キリストはご自身にゆだねられた仕事をなし遂げられた。そして、そ のみわざが人々の間で続けられるように、弟子たちを召集されたのであ る。主は言われた、「わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしは もうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたし はみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼ら を守って下さい。それはわたしたちが1つであるように、彼らも1つに なるためであります」。「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言 葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。・・・・ それは・・・・みんなの者が1つとなるためであります。・・・・わたしが彼ら におり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に1つとなるためで あり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼 らをお愛しになったことを、世が知るためであります」(ヨハネ 17: 10、11、20―23 )。
患難から栄光へ電子版p15 12弟子の訓練

イエス様の弟子訓練は人々に対する行為や祈り、癒しの業など重要なことばかりであるが特に力点を置いていたのが「一致」であることに気付かされる文章である。

一致できないものが一致する

自分は自尊心が強い割に争うことが苦手なので、攻撃されたり違う意見を強く言われると黙ってしまう傾向がある。特に妻に対してその傾向が強い。「何を言ってもどうせ分かってもらえない」という気持ちになり話すことが不毛に思えてしまうのだ。黙ると妻の感情はヒートアップする。それに耐えられなくなり黙ってその場を離れる。このようなことを何度もまた何年も繰り返していればその関係も冷え込んでくる。会話が減る反面、子どもや趣味に費やす時間がより一層楽しくなる。少し前までの自分たち夫婦の姿である。親の介護などもっともらしい理由づけをしてしばらく離れて暮らしている。が、最近になって少し変化があった。双方の変化である。イエス様だけを頼りにし、その御言葉に対して絶対的な信頼をもつ姿勢が少しずつ芽生えてきた。お互いを責めることもなくとにかく祈ることで一致しようとしている。イエス様が弟子訓練をしてくださっている分かりやすい証拠である。

本来一致できるはずのない者が一致する、これはイエス様にしかできない弟子訓練である。

静まって知れ 歌詞 | Still Hillsong Worship Japanese Version Cover Lyrics | プレイズふらいで~♪ Praise Friday

 

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ヤマコウバシ

受験

入試の方法も多種多様で実施時期も異なる。が、一般入試はやはりこの時期。10日ほど前に「共通テスト」が実施された。興味本位で数学と物理を解いてみた。問題自体はそこまで難しくないがその本質を知らないと解けない問題が増えている印象がある。物理も数学もそのもつ意味を十分に理解していなくても公式を駆使して解けてしまうこともあるが共通テストに関しては少し難しいかもしれない。

落ちない

以前に地元の「落ちないりんご」について投稿したが、今年も「落ちないシリーズ」を見つけた。以前に住んでいた広島県三原市のニュースで見つけた.2018年の「豪雨災害」で甚大な被害を受けた本郷町。ちなみに広島空港も本郷町にある。

決して珍しい木ではないが「ヤマコウバシ(山香ばし)」の葉は枯れても木から落ちないそうだ。そこに目をつけ「本郷緑と水を守る会」の方々がその葉をラミネートして無料配布している。

実を結ぶ

リンゴや葉ではないがイエス様がご自分とわれわれ人間との関係をぶどうの木とその枝に例えているところがある。

1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。 3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。 10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。 11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネによる福音書15:1-11

全国の受験生にエールを送りたい。また受験生だけでなく現役の児童生徒学生さんたち、また様々な理由で学校に行けない皆さんにも神様が働いてくださるようにと祈りたい。

河原久先生講演会 「苦しみの解説者」

 

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まもなく

書物

およそ6週間前から読み始めた書物が今朝で終わった。時間をかけて一冊の本を読むのはどこか旅をしているような気分になる。この本は以前にも何度か読んでいるので構成や展開は分かっているのだがそれでも「このあとどうなるのだろう」と思いながら読み進めることができた。

イエス様とサタンとの戦い、そしてイエス様のご再臨に際しどのような順番で何が起こるのかが事細かに説明されているこの本は読み進むたびに痛快な気持ちになる。

さて、明日からは毎朝何を読もうか。なんとなく候補はあるのだが今晩祈りながら考えてみよう。

サタンの後悔

サタンは、自分から進んで反逆したことによって、自分が天に適しな い者になったことを知る。彼は神と戦うために自分の能力を訓練してき た。彼にとっては、天の純潔と平和と調和とはこの上ない苦痛となるで あろう。神の憐れみと正義に対するサタンの非難は、今こそ沈黙させら れた。彼が主に浴びせようと努めてきた非難は、全部彼自身に向けられ る。そして今、サタンはひれふして、自分の上にくだった判決が正しい ことを認める。
「主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」(黙示録 15:4)。長年にわたって争われてきた真理と誤謬 のすべての問題が、今明らかにされた。反逆の結果、すなわち神の律法 を廃することの結果が、すべての知的被造物の目の前で明らかになった。 神の統治と対照的なサタンの支配が行われた結果が、全宇宙の前に公開 された。サタン自身の行為が、彼を罪に定めたのである。神の知恵と正 義といつくしみとが、完全に擁護される。大争闘における神のすべての 処置は、ご自分の民の永遠の幸福のために、そして神の創造されたすべ ての世界の幸福のために行われたものであることが明らかになる。
各時代の大争闘電子版p670 大争闘の終結

悪人の末路

悪人はこの地上で報いを受ける。「万軍の主は言われる、見よ、炉の ように燃える日が来る。・・・・その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝 も残さない」(マラキ 4:1)。一瞬のうちに滅ぼされる者もあり、多く の日の間苦しむ者もある。みな「彼らの行いにしたがって」罰せられる。 義人の罪はサタンに移されたので、サタンは自分自身の反逆の罪だけで なく、神の民に犯させたすべての罪のために苦しむ。彼の受ける刑罰は、 彼がだました者たちの刑罰よりずっと重い。サタンの欺きによって堕落 した者たちがすべて滅びたのちも、彼はまだ生き残って苦しみを受ける。 きよめの火によって、悪人たちは根も枝もついに滅ぼされた。サタンが 根であり、サタンに従う者たちが枝である。律法の刑罰は全部くだり、 正義の要求は果たされた。天と地はこれを見て、主の義を宣言する。
各時代の大争闘電子版p673 大争闘の終結

ふるさと

聖書の中では、救われた者の嗣業が「ふるさと」と呼ばれている(ヘブ ル 11:14―16参照)。そこでは天の大牧者イエスが、ご自分の群 れを生ける水の源に連れて行ってくださる。いのちの木は月ごとにその 実を結び、その葉は万民のために用いられる。水晶のように透きとおっ た川が永遠に流れ、そのそばにはゆれ動く木々が、主に贖われた者たち のために備えられた道の上に影を投げている。広々とひろがった平野の 果ては、美しい丘となって盛りあがり、神の山々が高くそびえ立ってい る。この平和な平原に、また生ける流れのほとりに、久しい年月の間旅 人であり寄留者であった神の民が、そのすまいを見いだすのである。
各時代の大争闘電子版p675 大争闘の終結

ただ一つの記憶

思い出させるものがただ1つある。われわれの救い主は、永遠に十字 架の傷跡をとどめられるのである。主の傷ついたみ頭に、その脇腹に、 その手と足に、罪の残酷なしわざの唯一の跡がある。預言者ハバククは 栄光のキリストを見て、「その光は彼の手〔脇腹― 英語訳〕からほとば しる。かしこにその力を隠す」と言っている(ハバクク 3:4)。人類を 神に和らがせる真紅の血潮がほとばしり出た、主の突き通された脇腹 ― そこに救い主の栄光があり、そこに主の力が隠れている。主は贖い の犠牲によって、「救いを施す力ある」おかたとなられたので、神のあわ れみをあなどった者たちに対しては、強い態度でさばきを執行されたの である。救い主の屈辱のしるしこそは、救い主の最高の栄誉である。カ ルバリーの傷跡は永遠にわたって、主への賛美を示し、主の力を宣言する。
各時代の大争闘電子版p674 大争闘の終結

David Hobson – The Holy City – Carols by Candlelight 2012

 

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神様のみ

厳粛な警告

牧師たちと人々は、自分たちが神との正しい関係を持ってこなかった ことを悟る。彼らは、自分たちが、すべて公正で義である律法の創始者 に反逆してきたことを知る。神の戒めを破棄したことが、無数の罪悪、 不和、憎悪、不正の原因となり、ついに地上は一大戦場、腐敗の巣くつ となった。これが、真理を拒み、誤りを信じることを選んだ者の目に写 る光景である。神に従わず、忠誠を保たなかった人々が、永遠に失った もの、すなわち永遠の生命に対して感じる渇望は、言葉では表現するこ とができない。世からその才能と雄弁をもてはやされて崇拝された人々 は、今、そうしたものの真相を見る。彼らは、罪によって何を失ったか を悟る。そして彼らは、自分たちが軽べつし、あざ笑っていた忠実な人々 の足もとにひれ伏して、彼らが神に愛されていたことを認める。

各時代の大争闘電子版p656 千年期と地上の荒廃

滅びに導く

人々は、今まで自分たちが欺かれていたことを知る。彼らは、破滅に陥ったことを互いに責め合う。しかし彼らはみな一致して、最も激しい非難を牧師たちに浴びせる。不忠実な牧師たちは、耳ざわりの良いことを言ってきた。彼らは、聴衆に、神の律法を無視させ、律法を聖く守る 人々を迫害させた。今、これらの教師たちは、絶望して、自分たちの欺 瞞行為を世の前に告白する。群衆は激しい怒りに燃える。「われわれは失 われてしまった!われわれの滅びの原因はあなたがただ」と彼らは叫ぶ。そして彼らは、偽りの教師たちにつめ寄る。かつて彼らを最も賞賛して いたその人々が、最も恐ろしいのろいの言葉を浴びせるのである。かつ て彼らに栄冠を与えたその手が、彼らを滅ぼすためにあげられる。神の 民を滅ぼすために用いられることになっていた剣が、今、その敵を滅ぼ すために用いられる。至るところに、争闘と流血が起こる。各時代の大争闘電子版p656 657千年期と地上の荒廃

逃亡者ヤコブの夢

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自己矛盾

二週間

金曜日が来ると突然寂しさと空虚感が襲って来る。それ以外の日にも寂しさと空虚感はあるのだが金曜日は特別である。

2023年が明けて2日、母の容体が悪くなったとの知らせを受けて病院に駆けつけた。その後、少し安定したのでこのまま回復することを日々祈り続けた。虫の良い話だが、昔から「自分の家族は生きてイエス様のご再臨を迎えられますように」と祈ってきた。今まで何度も奇跡的な生還を果たした母だから今回も癒されると信じて祈り続けた。が、ゆっくりだが容体が悪くなっていって。実は今回の帰省は母が危ないから、ではなく父を実家で預かるためのいつもの帰省だった。だから礼服も持参していなかったし何より心の準備もしていなかった。徐々にその時が近づいていることを何となく悟り1月5日、礼服を買いに出かけた。そして裾上げが翌6日の10時以降の仕上がりとのことだったので6日は9時半に荻窪を出発して吉祥寺に向かった。裾上げが終わった商品を受け取ったタイミングで姉から連絡がありすぐに戻るように言われた。その後父と二人で正午前に病室に行き、それからおよそ1時間半後に母は亡くなった。診断書の時刻は13時39分だが実際には13時6分の段階で呼吸は止まっていた。

あれから二週間。この間のことを点では記憶しているがその記憶が繋がらない。その瞬間瞬間をただ流れに任せて生きていただけ、というのが正直なところである。毎日「24時間前はまだお母さんが生きていた」「1週間前はまだお母さんがいた」と少し前と全く違ってしまった現実をなかなか受け入れることができないでいる。

矛盾

母が亡くなって、まず思ったのがイエス様の再臨のこと。悲しみの淵にいる今こそイエス様に来ていただきたいと心の底から思った。告別式の最中にも何度となく「今イエス様がきてくださらないかな」と思った。ご再臨、永遠の命を心の底から渇望するようになった。

そしてもうひとつの思い。それはサタンに対する憎悪の念。こいつがいたからのこ地球に「死」が入り込んでしまった。サタンを心の底から憎いと思った。今自分の目の前にサタンが肉体をもって現れたなら間違いなく刺し違えるだろう。本当に憎い。こいつのせいで愛する母と一時的とはいえ別れなくてはならなかったのだから。

そんな憎いサタンなのだが、一方でサタンの巻いた罠、餌に魅力を感じてしまう。サタンを憎みながらこの世での幸せを願い寂しさを埋めるためにこの世的な幸福を求めようとしている自分に気づく。サタンを憎みながら愛している、自己矛盾である。

間もなく

もう少しでイエス様が来られる。それまではこの地上で忍耐しないといけない。その忍耐の時間をできればイエス様を紹介する働きに使いたい。イエス様が間も無く来られることを知らない、信じない人のそばにいて何かの役に立ちたいと思っている。

父と妙正寺公園を散歩している時の会話を思い出す。あまりにも悲しくて耐えきれず父に「再臨はいつかな?」と聞いた時に「いつかは分からないけれど、そんなに先ではないと思うよ。今年なのか、来年なのか。何れにしても5年も10年も先ではないと思うよ」

イエス様のご再臨こそ今の自分に与えられた希望である。

贖われた群衆の前には、聖都がある。イエスは、真珠の門を広くあけ られる。そして、真理を守ってきた諸国の民がその中へ入る。そこに彼 らは、神のパラダイス、すなわちアダムが罪を犯す前のふるさとを見る。 その時、人間の耳が今まで聞いたどんな音楽よりも豊かな美しいあの声 が、「あなたがたのたたかいは終わった。」「わたしの父に祝福された人た ちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されているみ国を受 けつぎなさい」と言われる。
各時代の大争闘電子版p647 神の民の救出

はるかの部屋「君もそこにいたのか」

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2025年問題

2025年

何かと話題の多い2025年。ある自称予言者は2025年に日本は滅びる、日本はかつてなかったほどの自然災害に苦しむと言っている。自称予言者が何を言おうとあまり気にしていないが実際の数値やデータもこの年に起こることを示している。

例えば2025年は団塊世代が全員後期高齢者(75歳以上)になる年である。団塊の世代がおよそ800万人いらっしゃる。この方々が全員後期高齢者になるので、現在の1500万人が2200万人を超えるようになる。団塊の世代は戦後間も無く誕生した方々のこと。正確には昭和22年~昭和24年生まれである。第一次ベビーブームとなった。またこれを支える世代が所謂「就職氷河期」世代だったので正規雇用になっていない方や生活保護を受けている人も多いという。併せて、介護職の方や医療従事者の数が少ない。医療崩壊、介護崩壊も起こりかねないと危惧する声も多く聞かれる。

もう一つの2025年問題

コンピュータの世界でも2025年問題は起こるとされている。2025年が昭和100年にあたる。コンピュータ上の時間を西暦ではなく元号を採用している場合システムにおいて2025年は昭和100年となり、二桁で年を表す時に2025年を昭和0年と記録してしまう問題も起こる。かつての2000年問題と同様の懸念がある。個人のコンピュータは勿論のこと事業所や会社等で影響が出ないことを祈るものである。

大いなる悩みの時

今朝読んでいたキリスト教関連の書物には終末時代に我々クリスチャンが通らなければならない「大いなる悩みの時」について書かれていいた。

サタンは神の天使たちの前でヤコブを訴え、彼は罪を犯したのであるから自分には彼を滅ぼす権利があると主張して、エサウに働きかけて彼のほうへと向かわせていた。そして、ヤコブの長い苦闘の夜の間、サタンは、彼に自分の罪を思い起こさせて、失望に陥れ、彼が神にすがっているその手を引き離そうとした。ヤコブはほとんど絶望しそうになった。しかし彼は、天からの助けがなければ自分は滅びるしかないことを知っていた。彼は、自分の大きな罪を心から悔い改め、神の憐れみをこい求めた。彼はその目的をすてようとはせず、しっかりと天の使いを捉え、 苦悶の叫びをあげて熱烈に懇願し、ついに勝利したのであった。
各時代の大争闘電子版p618 大いなる悩みの時

われわれの前にある苦悩と苦悶の時は、疲労と遅延と飢えに耐えるこ とのできる信仰、すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求 する。その時に備えるために、すべての者に恩恵期間が与えられている。 ヤコブは、断固として屈しなかったために勝利した。彼の勝利は、しき りに願い求める祈りに力があるということの実証である。彼のように神 の約束をしっかりとつかみ、彼のように熱心で忍耐強い者はみな、彼が 勝利したように勝利するのである。自分をすて、神の前で心を悩まし、 神の祝福を求めて熱心に祈り続けようとしない者は、それを受けること ができない。祈りによる神との格闘― このことを知っている人がなん と少ないことであろう。熱烈な願いをもって、心から神によりすがり、 全力を注ぎ出す人がなんと少ないことであろう。嘆願者の上に、言葉で は表現することのできない絶望の波が押し寄せる時に、確固不動の信仰 をもって神の約束にすがる者が、なんと少ないことであろう。
各時代の大争闘電子版p622 大いなる悩みの時

「右の方に網を打ちなさい」  李 根完 牧師

 

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小学生のスマホ問題

みんな・・・

昨晩次男と電話で話している時に「携帯が欲しい」と言われた。以前にも何度か言われたことがあったが携帯は端末の料金以上のお金が毎月かかることを説明してきた。また小学生のうちはまだ必要ないと思っていることを伝えたが本人なりに持ちたい理由があるようだ。話はゆっくり丁寧に聴いている。聴きすぎて、買い与えたほうが良いのではないかとも思い始めている。次男は時々「みんな持っているのに自分だけ持っていない」と言う。懐かしい。自分も何度両親にこの言葉を言ったことか。「みんな持っている」という発想は日本人ならではなのかもしれない。人と同じようにしていないと不安になるのは良くも悪くも日本人の特質なのかもしれない。例外は沢山あるが、日本の玄関ドアは外開きが多い。外から家に入ろうとする場合ドアを手前(外)に向かって引く。これは諸外国には比較的珍しいパターンである。玄関ドアは内開きのところが多い。これは万が一不審者が家に侵入してくる時内開きだとドアの前にベッドや棚などを置くことでドアを開きにくくすることができる。外開きだとそれができない。日本人は元々外からそのような危険な人物が入ってこない、そういう人は存在しないという発想でそうなっていると聞いたことがある。

みんな同じで特異な人がいない、或いは特異な人を排除するのが日本人の根底にあるのかもしれない。

所持率

次男は「みんな持っている」と言っているが実際どれくらいの小学生が所持しているのだろう。少し調べてみたが調査を行なった会社、団体によってデータが異なるので一概には言えない。が、小学5,6年生ではざっと40%弱が所持しているようである。もう少し低い所持率だと思っていたので少し驚いた。また所持している端末もキッズ携帯を抜いて2022年からスマホが台頭しているとのこと。次男も同じことを言っていた。「キッズ携帯みたいなダサいのはいやだ」と言っていた。小学生からみても格好悪いと思ってしまうのであれば、各社小学生をターゲットにしたクールなデザインを考えないといけないのかも知れない。

持たせる理由(親側)

何故持たせるのか。一応、家族との連絡手段としてというのが最も多い理由だった。登下校の確認や塾や習い事の迎えの時間を連絡する手段として使うことがいちばんの理由になっていた。最もらしいが、実際の理由は他にあるようにも感じる。

今からおよそ10年前、長男に携帯を持たせた。長男は持ちたくないと言っていたが親の都合で持ってもらった。勿論スマホではない。次男が長期に渡り入院していたので妻か自分のどちらかが病院で付き添いをしていた。そして金曜日と日曜日に交代になる。小児病棟は大人の家族以外は入れないためいつも長男を家に残して出かけていた。遅くなりそうな時には携帯で連絡し近所のお宅に預かっていただく旨を伝えていた。またどうしても約束の時間に戻れないこともあるので連絡手段として携帯を持たせていた。が、長男は電話が掛かってくると「夜まで帰れなくなったから○○さんの家で待たせてもらっていて」と嫌なことを言われるから電話に出たくない、持ちたくないと常々言っていた。

持ちたい理由

持ちたくないのに必要に迫られて持つ人もいると思う。が、多くの場合スマホの魅力が持ちたい理由になっている気がする。カメラがあるのでビデオでも写真でも撮れる。しかも高品質で撮れる。ネットに繋がり調べたり学んだりできる。SNSを活用して人と繋がることができる。絵を描いたり音楽を作ったり聴いたり。こんなに小さな端末が家にあるほとんどのものに変身する。これは大きな魅力である。恐らく次男も究極的にはその魅力に取り憑かれているのだろう。

話はそれるが、岸田総理はiPhoneをつくるApple社に対してマイナンバーを組み込めるシステムを開発して欲しいと要望したという。マイナンバーに対しても凄くネガティブなイメージを持っている自分としては、魅力的なものに対する警戒心がより一層強くなった。

THE HOLY CITY – LA CIUDAD SANTA Violín/Piano

 

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聖書

終末

各種SNSには終末に関する警告が溢れている。また終末予言も多く見かける。少し前のことではあるが「わたしが見た未来」という漫画(たつき諒さん作)話題になり近頃最新版が出版された。話題になったのは3.11やダイアナ妃の事故などを予言についてであった。今回出版された新版には「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と帯に記されている。2025年は色々な意味で節目の年である。例の大阪万博が開催されるのが2025年、そして昭和100年問題も2025年。数名の「自称予言者」さんたちも2025年に何かが起こることを予言、警告している。実際、この年に何かが起こるのだろう。しかし、それに対してどのような備えをすべきなのか或いは何が自分を守ってくれるのかは誰も教えてくれない。

また終末論を発信するYoutuberの多くが引用ソースの一つとして聖書を用いる。聖書を文脈で読んでいないためかかなり大胆というか「少し違うのではないか」と思う解釈をしている。解釈だけではなく聖書に書かれていないことも付け加えて「聖書が預言している」と言っている人もいる。情報が錯綜する中で、多くの人がこの地球も終わりが近づいていることを何となく気づいている。しかし、あまりにも恐ろしすぎるので「普段と何も変わりません」というそぶりで日常生活を続ける。

預言

聖書は神様の愛を記した書物である。文学、歴史、教え戒めなどが含まれる中に「預言」もある。「予言」ではなく「預言」である。神様から受けた言葉や啓示を「預かり」記したので「預言」である。ダニエル書、ヨハネの黙示録があると言われるが勿論その要素も多分にある。が、例えばダニエル書のテーマは「神様と共にいること、祈ること」ではないかと思っている。ヨハネの黙示録もイエス様が自分のために何をしようとしてくださっているのかがよく分かる愛の書である。一方、聖書に馴染みのない方からは「預言書」として評価されることが少ない「イザヤ書」や「詩篇」にも多くの預言が記されている。これから起こることをその時代や個人、国に宛てて記すことで危険を回避しようとされたのは神様ご自身である。そして2023年から先の地球や世界がどのようになっていくのかも記されている。

聖書を読ませない

聖書には真理ばかりが書かれているので、サタン(悪魔)はこれを人類が読むことを極端に嫌う。そのため、聖書を人々に読ませないようにしてきた。また聖書を読んでもその価値を低め「価値のない本」と評価するよう人に仕向けた。また、とても悲しく残念なことだが聖書自身が人や教団教派を分断させた。

ローマ教会は聖書を解釈する権利を、聖職者のものとして保留してい る。神の言葉は、聖職者だけが説明することができるという理由のもと に、一般の人々には与えられていない。宗教改革によって聖書は万人の ものとなったが、ローマが主張したのと全く同じ原則が、プロテスタント諸教会の多くの人々が自分で聖書を探究するのを妨げている。彼らは、教会によって解釈されたものとして聖書の教えを受け入れるように教え られる。そのために、どんなに聖書の中にはっきり示されていても、自 分たちの信条に反するものや、自分たちの教会によって確立されている 教えに反するものは、あえて受け入れようとしない人々が何千といるの である。
各時代の大争闘電子版p597 ただ一つの防壁 聖書

ただ、聖書のみ

しかし神はこの地上に、聖書、そしてただ聖書だけをすべての教理の 基準、すべての改革の基礎として保持する1つの民を、お持ちになるで あろう。学識者の意見、科学の推論、教会会議の定めた信条や決議(これ らは、教会の数が多くてその主張も違うように、おびただしい数にのぼ って内容も千差万別である)、大衆の声、― これらのうちの1つであれ 全部であれ、それをもって信仰上の事柄に関する賛否の根拠と見なして はならない。どんな教理や戒めでも、それを受け入れる前に、「主はこう 言われる」という明日な事実をその裏づけとして要求すべきである。
各時代の大争闘電子版p596 ただ一つの防壁 聖書

One Voice, One Mission – Golden Angels

 

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