聖霊を受けるという事

聖霊を受けるとは

キリスト教は一神教である。が、このひとり(神様をひとりと言って良いのか?)の神様には3つの位格(いかく)がある。それが「父なる神」「子なるキリスト」「聖霊の神」である。一神教だが3つの位格を持つので三位一体(さんみいったい)という表現をする。例えばイエスキリストと言えばAD1世紀初頭に活躍した実在の人物として知られているが、その存在は宇宙創成の時からあったと聖書には書いてある。イエス・キリストが人間の身体を持って「死ぬためにこの地上にこられたこと」を受肉(じゅにく)という。一般に知られているイエスキリストの誕生がAD元年付近(実際にはBCの最後期)と考えるのはイエスキリストの受肉のことを言っているのである。キリスト教会には色々な教団教派がありそれぞれに教え(専門的には教理)がある。同じ聖書を読んで同じ信仰を持っているが力点が違うのである。例えば多くの教会が日曜日を礼拝の日と定めているが、一部の教会は土曜日を安息日として礼拝している。またある教会は聖霊の神様を強調する。ペンテコステ派などがそれである。聖霊の働きを強調する人と話すと必ずされるのが「あなたは聖霊のバプテスマを受けましたか?」という質問だ。聖霊に満たされ喜びを身体中で表現し聖霊の神様によって倒される経験もする。自分の所属する教団は聖霊の神様について「人を教え、正しい道に導く」存在として受け止めている。聖霊は人の心に働きかけ何が善であり、また何をすべきかを教えてくださる。祈りを整え導いてくださるのも聖霊の働きであり、人を根底から変えるのも聖霊の働きである。

イエスキリストが十字架で人類に対する贖いの死を遂げ救いが完成した。その後墓に葬られ3日目に復活された。その後40日間に渡り使徒たちを中心に復活した姿を表された。そして40日後に天に戻られた。その直前に次のようなことを言われた。

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、
あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、
さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう。

But ye shall receive power,
after that the Holy Ghost is come upon you:
and ye shall be witnesses
unto me both in Jerusalem,
and in all Judaea, and in Samaria,
and unto the uttermost part of the earth.

(使徒行伝1:8)

そしてイエス様が昇天されたのち、五旬説(ごじゅんせつ)の時に使徒たちらが集まっている時に、イエス様の言葉通り聖霊が彼らに降り、色々な国の言葉で話すようになった。多くがガリラヤ出身の無学な使徒たちであったが急に他国の言葉を語り力を得たのだ。これをみた人には「酒に酔っているだけだ」と冷やかす者もいたがそうではなかった。聖霊によって彼らは全く変えられてしまったのだ。

そのような力を持ってる聖霊の働きに魅了され自分も聖霊に満たされたいと毎日のように思っている。

聖霊の働き

聖霊は教会に属するものに賜物として与えられる。キリスト教会では「大宣教命令」というのだが

全世界に出て行って、

すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

Go ye into all the world,

and preach the gospel to every creature

(マルコによる福音書16:15)

という宣教命令が下された。使徒たちにはこの宣教に際し必要な力が聖霊によって与えられたのだが今もこの聖霊の働きは色々なところで活発になされている。

聖霊に満たされ人が変えられる様子は教会の中でもよくみられる。突然優しい人になったり、宣教に目覚めたり、聖書の学びを一心不乱にするようになったり…等々。

聖霊によって人生が変えられた

ご存知の方も多いと思うが韓国のクリスチャン人口は非常に多い。何度か韓国に行った事があるがソウルでは理髪店以上の数の教会を見かけた。とにかくクリスチャンが多いのである。その韓国で今から20年ぐらい前に大きな計画が打ち出された。8人組の讃美歌を歌うグループを作りアジアを中心とした世界各国に宣教活動として派遣するというプロジェクトだ。任期は1年。メンバーはオーディションで選考される。Golden Angelsというグループだ。自分も何度となくこのグループの讃美を聴きまたメンバーと交流させていただいた。このグループに日本人としては2人目のメンバーが17期生として加わった。彼女は本校出身の生徒であるが大学で看護師の資格を取得し沖縄の病院で働いていた。しかし、自分の信仰を更にブラッシュアップさせたくこのGolden Angelsのオーディションを受けた。狭き門ではあるが彼女の歌唱力と信仰が評価され合格となり2020年度のメンバーとして讃美の奉仕に携わった。残念ながらコロナの影響で例年とは違いオンラインでの配信がその活動の中心になったが彼女は必死に頑張った。分からない韓国語を必死に覚え、難しい讃美歌を何度も反復して覚えた。彼女が今日、ある教会でその様子を話していた。明らかに彼女に聖霊の神様が働いている。自分も聖霊の神様によって変えられ、宣教の器にしていただきたいものだ。彼女の礼拝での証をネット上で見つけそれを更に短く編集し直してみた。画質が悪くなっているのでオリジナルの動画は
こちら
1:13:56あたりから彼女のメッセージが始まる。また彼女のメッセージ部分だけを編集したのが
こちら
である。紹介しきれなかったがyoutubeにはGolden Angelsの讃美歌がたくさんある。是非検索して視聴していただきたい。

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全寮制ミッションスクール

全寮制ミッションスクールのお友達事情

本校の生徒がどのような友達関係を築いているのかを少し考えてみたい。どこの学校も友達関係を大切にする雰囲気はあると思うので本校だけが特別だとは思っていない。が、全寮制かつミッションスクールだと若干の違いがあるかもしれない。
まず本校の寮は学習と生活の両方を同じ部屋で行うスタイルであり1部屋3人を基本に生活している。学校によっては学習と生活のスペースが違い友達同士のコミュニケーションを取らなくても成立するスタイルの寮を運営しているところもある。本校の場合は掃除、洗濯を自分でやることは勿論であるが寮会を開いてより良い寮を運営して行くためにどのようなことをすべきなのかを週に1度話し合う。また寮長(生徒)をはじめとする寮役員が毎晩話し合いの時間を持って現在起きている問題をどのように解決すべきかを話し合う。所謂自治寮に近い。また生徒の70%以上がクリスチャンということもあり他者に対する捉え方が少し違う。だいたい同じレベルの学力の生徒が友達になるわけではない。家庭環境が似ている生徒同士がいつも一緒にいるわけでもない。自分には無いものを持っている友達を自然とリスペクトする雰囲気がある。学年で最高位の学力を持っている生徒が、単位取得が危ぶまれる生徒に彼女の相談をしたり経済的に裕福な生徒が着るものにも困るような生徒に将来の進路について相談する様子を見かけることはよくある。お互いを認め合うことが基本にあるので彼らは決して学力や運動能力、家庭の経済力だけで人を判断することはしない。それが本校のお友達事情である。

全寮制ミッションスクールに転校希望者が

毎年何名もの人が他校から転校したいと希望してくる。特に多いのは1年の5、6月。希望に胸を膨らませて入った高校が思っていたのと違い嫌になってしまったり、友達関係や先生との関係に疲れてしまい転校を希望してくる。自分が教頭をしている時には年に平均10以上の問い合わせがあった。その中で実際転校できるのは半分にも満たない。ミッションスクールでクリスチャンが70%以上、しかも寮生活をずっと続けて来た生徒が大半なのでその点が既に高いハードルとなる。また、希望者の中にはスマホやゲームから遠ざけたいから、という理由で転校を希望してくる生徒がいるがそういう人は残念ながら門前払いである。携帯が毎日25分しか使えない、ゲーム禁止、コンビニなどない環境に耐えることは非常に困難だからである。稀に本校の関係する教会の関係者やその紹介、あるいは縁故関係で本校の事情を深く理解している人には受験のチャンスを与えることがある。meguもその一人だった。彼は小学校まで系列校で学び卒業した。寮に入る事に抵抗があり中学校は地元のミッションスクールに通うようになった。その学校は中高一貫校であった。meguは中学を卒業しそのまま系列の高校に進学した。しかし事情があって1年の途中から不登校になった。数ヶ月の不登校期間があったのち2年の1学期に本校の門を叩いて来た。まずは学校を見学してもらい全寮制の学校がどのようなものかを見てもらった。同級生に同じ小学校出身のkaitoがいたので彼に案内役をお願いした。meguはとても引っ込み思案で話しかけただけで顔を赤くしてしまうような生徒だ。本校に来てやっていけるのかはかなり不安だった。が、彼と話しているうちにひとつの言葉が心に刺さった。「自分はこの学校で自分自身を変えたいのです」とそれだけははっきり言っていた。この時のmeguにはかなり心配な要素があったが、彼の将来には可能性を感じたので、系列校出身者という扱いで受験できるか否かを教師会ではかった。色々な意見があげられたが90%以上がmeguに受験の機会を与えることに否定的だった。想定内である。その日の教師会は1度保留にして再度検討する懸案事項にした。その間にmeguの通っていた小学校(系列の小学校)のhitoshi校長先生に推薦状を送ってくれるよう依頼した。そして次の会議でその推薦状を読み上げ、また彼が自分を変えたいという決心を持っているので受験を認めて欲しい、彼の今ではなく将来を見て受け入れと欲しいと教頭としての意見を述べた。多数決の結果はほぼ半々だったが校長判断で受験を認めることになった。meguがうまくいかなかったら責任取れるのか、と私に対する捨て台詞もあったがとにかくmeguに受験のチャンスが与えられたことは喜ばしいことだったので 何を言われても耐える事ができた。

全寮制ミッションスクールに新しいお友達が

不登校の影響もあってか転入試験の結果は芳しくなかった。が、結局彼はギリギリで合格となった。2学期から正式な生徒として本校にやってくる。自分は教頭をしながら2年Bクラスの副担任をしていたがmeguはこのクラスに転入することとなった。教頭として、彼が通っていたミッションスクールと書類のやりとりなどの事務連絡をしていたが先方は厄介払いができてよかった、という雰囲気を随所に出していた。meguが可哀想になった。2学期になってmeguがやって来たが、見学をした時と同じように常にkaitoとだけ一緒にいる。他の生徒が話しかけても恥ずかしいのか無視してしまう。それを誤解する生徒もいたが周りも何とかmeguを受け入れようと頑張った。かなり長い時間が掛かったが徐々にmeguはkaito以外の生徒とも話ができるようになり赤面することも少なくなった。相変わらず女子は苦手なようであったが。そしてmeguが3年生になった時、自分も教頭を外れるように指示されmeguのいる3年Aクラスの担任となった。meguにとってはクラス替えも大きな環境変化なので注視していたが結構楽しくやっている様子だった。ある時、男子だけが教室にいる時に自分もその場にいて彼らの話を聞くとはなしに聞いていたら「megu、お前も好きなんだろ?」という声が耳に入った。そのままにできない会話である。「megu、好きな子がいるのか?」と近くに行って聞いてみると顔を赤くして「いませんよ」と否定した。が、すぐに周りの生徒が好きな事がいることとその子が同じクラスのマドンナであることを教えてくれた。meguが女子を好きになった。あれほど女子から声をかけられることを嫌がっていたmeguが女子を好きになったのだ。交際は認められないが大きな成長である。前の学校で友達不信、教師不信、そして人間不信に陥っていた彼が本校にきて8ヶ月でここまで変化した。本当に大きな成長である。全寮制の友達関係がmeguの心を少しずつ溶かしていったのだろう。とても嬉しかった。

全寮制ミッションスクールの信仰教育事情

生徒は毎日聖書の授業や礼拝などを通して信仰教育を受けているので、本人が決心すればいつでもバプテスマ(洗礼)を受ける事ができる。勿論未成年なので親御さんの承諾をいただかなくてはならないため希望者は担任かチャプレンに申し出ることになっている。また、日常的な信仰教育の他に学期に1度、学校外から牧師先生をお呼びして1週間朝と夜にメッセージをしていただく。本校ではこの特別な1週間を「祈祷週」と呼んでいるが1学期の祈祷週でmeguがバプテスマを受けたいと申し出て来た。勿論とてもうれしいいことなので「親御さんに確認の連絡をしておくね」といって彼の希望をチャプレンにも伝えた。親御さんからも無事に許可が出たので週末にバプテスマを受けることになっていたがその前日金曜日、急にmeguが「やはりやめます」と言ってきた。信仰は強制する事ではないので、とにかく了解したことだけを伝えた。しかし少し気になったので昼食後に彼を呼び出して理由を聞いてみた。「自分はいい加減な人間だしバプテスマを受けた後も同じような生き方しかできない気がする。そうであれば神様に申し訳ないし神様の栄光に傷をつけることになるからやめたい」というのがmeguのバプテスマをやめたい理由だった。福音理解とは逆の理由だ。そういう人をイエスキリストは探し求めていることをmeguに伝えた。そして最後に、今回はバプテスマを受けないことは了解したけど、meguの知らないところで毎晩数名の男子が集まってmeguがバプテスマに導かれるように祈っていたことを伝えた。meguは泣いていた。「泣かなくて大丈夫。meguが1度はバプテスマを真剣に決心したことをイエス様はちゃんとわかっているしいつかまた次のチャンスが与えられるから」と言って祈ってから彼と別れた。meguが更に成長していることを実感した。それから3時間ぐらいして急に電話が掛かってきた。meguからだった。「何度もすみません。やはり明日、バプテスマを受けることにします」と弾んだ声で報告してきた。理由を聞いたら、自分のために祈っている友達が誰なのかはわからないけど彼らの存在が背中を押してくれた、とのこと。本当に嬉しかった。同じクラスのhayatoがかなり動き回りmeguに働きかけてくれていたようだ。翌日はhayatoとmeguは一緒にバプテスマを受けた。

meguは高校に来て本校の良さに気づいたという。この教育を継続したいと系列の大学に進学して看護の道を歩みたいと考え進学した。人間は変われる。meguは友達によって変わったが、聖書によれば本質的な人間の変化は聖霊の神様がなさるという。きっと聖霊の神様が周りの友達を通してmeguの心に働きかけ彼を変えてくださったのだろう。

島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、
そこでユダヤ人の魔術師、
バルイエスというにせ預言者に出会った。
彼は地方総督セルギオ・パウロのところに
出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、
バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。

ところが魔術師エルマ彼の名は「魔術師」との意)
は、総督を信仰からそらそうとして、
しきりにふたりの邪魔をした。
サウロ、またの名はパウロ、は
聖霊に満たされ、彼をにらみつけて
言った、
「ああ、あらゆる偽りと邪悪とで
かたまっている悪魔の子よ、
すべて正しいものの敵よ。
主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。

見よ、主のみ手がおまえの上に
及んでいる。おまえは盲になって、
当分、日の光が見えなくなるのだ」。
たちまち、かすみとやみとが彼に
かかったため、彼は手さぐりしながら、
手を引いてくれる人を捜しまわった。

総督はこの出来事を見て、
主の教にすっかり驚き、そして信じた。

 

And when they had gone through
the isle unto Paphos, they found a certain sorcerer,
a false prophet, a Jew, whose name was Barjesus:

Which was with the deputy of the country,
Sergius Paulus, a prudent man;
who called for Barnabas and Saul,
and desired to hear the word of God.

But Elymas the sorcerer
(for so is his name by interpretation)
withstood them, seeking to turn away
the deputy from the faith.

Then Saul, (who also is called Paul,)
filled with the Holy Ghost,
set his eyes on him,

And said, O full of all subtilty
and all mischief, thou child of the devil,
thou enemy of all righteousness,
wilt thou not cease to pervert
the right ways of the Lord?

And now, behold, the hand of the Lord
is upon thee, and thou
shalt be blind, not seeing the sun
for a season. And immediately
there fell on him a mist and a darkness;
and he went about seeking
some to lead him by the hand.

Then the deputy, when he saw
what was done, believed,
being astonished at
the doctrine of the Lord.

使徒行伝13:6-12

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someone is praying for you.

someone is praying for you.-case1-

昨日の離婚に関連したことの続き。1度目の離婚の時。元妻が娘を連れて出て行ってしまった。1992年12月8日のことだった。仕事を終えて家に戻ってきたが何かが明らかにおかしいことがすぐに分かった。誰もいない。子どももその母親も。出かけているのかもしれないと思ったが車は車庫にある。ふとテーブルをみると娘を連れて出て行くとの書き置きが残されていた。その時はそのうちに帰ってくるだろうと思っていたがしばらくして戻る意思はないことが書かれた手紙が届いた。1度話しをしたいと実家に行ってみたが数分面会できただけで追い返されてしまった。いよいよ来るべき時がきたことを予感した。が、覚悟ができない。娘の母親に愛情がなくなったわけでもないし何より娘と一緒に暮らせないことが受け入れられなかった。目の中に入れても痛くないほど可愛くて仕方がない天使のような娘。元々、元妻の母親から自分は嫌われていた。家族と義母と一緒に外食をした際も、街で見つけた可愛らしお人形(15cmぐらいの小さいもの)を娘に買い与えたところ、そのすぐ後で「こんな汚いものすぐに捨てなさい」と捨てられてしまった。結構こういう対応をされてきたので慣れてはいたが悲しかった。義母の前では娘を可愛がることすらできなかったのである。そしていよいよ離婚届が送られてきた。勿論離婚に同意しているわけではなかったのでサインはしなかったが追い込まれた状況だったので仕事を辞める決心をした。離婚をして教員を続けることに対してかなり厳しい学校であるから自分としては当然の判断をしたと思っている。校長先生に退職願を持って行ったが受け取ってもらえず数時間話した。結局話は平行線になってしまい翌日もう1度話してみた。が、結局結論は出なかった。このyotaka校長先生はすごくいい加減なところもあるが情があり、自分のようなものの人生も誠実に考えてくださっていた。事実yutaka校長先生は何度も元妻の実家を訪ねてくださり色々な話をしてくださった。結局話し合いは3日目を迎えた。最後にyutaka校長先生が「君がもし僕を信頼してくれるのなら私の言う通りにしなさい。私を信頼してその通りにすることを約束して欲しい」と言われ転勤を言い渡された。教員を辞めたいと願い出たのにどうしてもそれは聞いてもらえず、転勤を命じられた。茨城県にある中学校への転勤だった。が、この学校でどのようなことが起こったかは以前投稿した通りである。yutaka校長先生は自分の様な者のために真剣に祈り、将来を考えてくださった先生である。

someone is praying for you.-case2-

転勤が決まり引越しの準備をした。ひとりで一家の荷物をまとめるのは結構大変な作業だったが「chakoのケーキ物語」でおなじみのkenjiはじめ数名の友人が手伝ってくれた。引越荷物の行き先が転勤先の茨城と元妻の実家の2箇所に別れるため、作業中も手伝ってくれる友人から「これはどっち?」と質問されるたびに「それは茨城」「それは宮崎」と答えていた。本校はキャンパス内に教員の住宅があるため、周囲も「何かがあったようだ」と関心を持っている気がした。そのため外に出る作業、例えばゴミ出しなどは夜中や先生方が授業を行っている時間帯にしていた。ある時、午前の授業時間でキャンパス内には先生方がいない時間帯にそっとゴミを出しに行った。午前11時頃だったと思う。家を出て道を歩き始めた瞬間に前から隣に住む牧師先生がこちらに向かって歩いてこられるのが分かった。どうしようか、今すぐ家に戻ろうかと考えている間に牧師先生が大声で「先生!」と言って私に駆け寄り何も言わずにハグしてくださった。ものすごく長い時間に感じた。牧師先生はただ私をハグして「先生!」と言ってずっと泣いてくださっていた。自分も張り詰めていたものが切れるように泣いた。しばらくして牧師先生は私の両手を握り「お祈りしているよ。必ず。毎日お祈りしているよ」と何度も泣きながら仰ってくださった。人の涙が人を癒すことを知った経験だった。こう言う牧師先生が自分の所属する教団にはたくさんいらっしゃる。本当にありがたいことだ。この先生の涙によって少し前を向くことができた。

someone is praying for you.-case3-

引越し準備も終わり業者さんが荷物を引き取り、いよいよ自分も新しい任地に向けて出発することになった。お世話になった方々に挨拶し最後にkenjiにも挨拶をして車を出そうとした時、kenjiが「そこまで送って行くよ」と助手席に乗り込んできた。そこまでと言っても都会のように帰りにバスやタクシーに乗れるようなところではない。が、車を出してくれと言うので言われる通りにした。いよいよ高速の入り口まで来てしまった。「ここまで来てくれてありがとう。じゃぁここで」と降りてもらおうとしたがもう少し行くよ、と言って結局高速に乗ってしまった。彼のお母さんが茨木に住んでいるので大阪で降ろしたら良いのかな、などと考えていたが「もう少し、もう少し」と言われ結局新しい任地である茨城の中学校に着いてしまった。彼も年度末の仕事があるので忙しいはずなのに結局そのまま3日一緒にいてくれた。いよいよ彼が家に戻ると言うことで土浦の駅まで送ったが帰り道は何とも寂しく心細かった。家にいても荷ほどきをする気力もなくどうしようかと途方にくれたまま新居に着いた。新居といっても以前の投稿のように床が5箇所抜けているようなお化け屋敷のような家である。荷ほどきをしないといけないと思いながらもなかなか気が進まなかった。が、やるしかないのでダンボールを開梱した。何か違和感を感じてもう1度箱を見てみるとダンボールの裏側にメッセージが書かれていた。「ひとりじゃないから頑張れよ」と書いてあった。涙がでた。そしてもしかしてと思いもうひとつのダンボールを開けてみると「いつも祈っているからな」と書いてあった。kenjiは梱包の手伝いをしながら茨城行きの荷物の全てにメッセージを書いてくれたのだ。本当に泣けて泣けて仕方なかった。孤独を感じていたが自分のために祈ってくれる人がいることを心から感謝した。

someone is praying for you.-case4-

ここまでは1回目の離婚に関する出来事。case4は今回の2回目となる離婚に関する出来事。昨日元同僚で友人のmackeyから誘われて自宅に伺った。ずっと自分のことを気にかけてくれて助けてくれる友人である。友人と言っても年齢は20歳ぐらい年下である。食事の前に彼が祈ってくれた。「こんなことが起こるなんて信じられない、と言う奇跡をわたし達に見せてください」と祈ってくれた。彼は私の家庭のことと同時に私の仕事のことを気にしてくれていた。なんとか新しい仕事場が見つかるように色々なところに掛け合ってくれている。私のことをよく思わない人が上層部にはたくさんいる組織なので自分と関わったり自分を擁護する行為は組織の中での自殺行為になる。それをも顧みず彼は上層部に掛け合ってくれている。そもそも彼は他のある教員から度重なる暴力を受け、それにより心身共に弱り果ててしまっていた。勿論私はその事実を校長や教頭に訴えたが校長、教頭、教育局長の判断は「加害者を罰せず」だった。逆にmackeyに対してこのまま耐えるか他の機関に移動して教師以外の仕事をするかの二択を迫る始末。結局心身共に弱り果てていたmackeyは教師を辞める選択をせざるを得なかった。度重なる暴言や胸ぐらを掴んで「お前のことを殺すぞ」と言うことは暴力ではない、と言う判断をこのミッションスクール、またクリスチャンである校長、教頭、教育局長はくだしたのである。そのような中にあってまだ自分のようなものを助けようとしてくれる彼の思いと祈りに涙が止まらない。昨日の会話で彼が何気無く言っていた言葉に「これは最後の最後まで神様を信頼して信じきる訓練ですね」と言っていたことがずっと心に残っている。昨日は神様のことを信じながらもどうせ悪い方にしか導かないのだから、と言う気持ちになっていたが彼の一言で「もう1度信じてみよう」と言う気持ちに変えられて来た。

孤軍奮闘を気取って必死になっていたが自分の周りにいる祈りの勇者達のことを考えさせられた。自分も誰かのためにもっと祈りたい。この祈りの連鎖が神様に受け入れられることを願いたい。

こんな歌を見つけた。歌詞を読んでいるだけで涙が出てくる。

Someone is praying for you.
Someone is praying for you

So when it seems you’re all alone,
and your heart will break in two
Remember someone is praying for you

Have the crowds round you gathered
in the midst of the storm?
Is your ship tossed and battered,

are you weary and worn?
Don’t lose hope. Someone’s
praying for you this very day
And peace be still, is already on the way

Someone is praying for you.
Someone is praying for you
So when it seems you’re all alone,
and your heart will break in two
Remember someone is praying for you

When it seems that you’ve prayed
‘til your strength is all gone
And your tears fall like
raindrops all the day long
He cares and He knows
just how much you can bear
He’ll speak your name
to someone in prayer

Someone is praying for you.
Someone is praying for you

So when it seems you’re all alone,
and your heart will break in two

Remember someone is praying for you

Remember someone is praying for you

曲はこちら

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クリスチャンの離婚

クリスチャンの離婚と希死念慮

クリスチャン同士の結婚については基本的に神の前で生涯相手を愛し続けることを近い婚姻関係に入る。だから離婚そのものが神の前で誓ったことを破る行為になる。教団や教派によって離婚についての規範は異なる。厳しく禁止しているところもあるし、やむを得ない事情に於いて認める場合もある。しかし積極的に離婚を勧めたり肯定することはまずないと思う。

そういう自分は離婚経験者である。30年近く前に1度離婚をしている。離婚を拒否し続けていたら、自分以外の誰かが勝手にサインをして役所に提出してしまったようだ。当時は知識もなく「離婚届不受理申請」も行っていなかったため知らぬ間に離婚させられていた。相手の父親は弁護士でありクリスチャンでもあった。離婚の意味も十分に分かった上でそのような書類の偽造をしなくてはいけないくらい娘をなんとか解放してあげたいと思ったのだろう。相手が再婚したと聞き不思議に思って自分の戸籍を調べてはじめて離婚させられていたことを知った。悲しかった。それから10年ぐらいしてから自分も新しいスタートを切ろうと再婚した。2004年3月のことだった。懐かしくも綺麗な思い出が次々に頭をよぎる。本当に幸せだった。しかし、現在その妻とは別居中。別居の理由は色々あったが当初は離婚につながるものではなかった。しかし2021年になってから、離婚を迫ってくる手紙が頻繁になった。それを拒否してもまた書類が送られてくる。今日は1月27日水曜日。月、火と珍しく手紙が来なかったので今日水曜日には何かしら不幸の手紙が届くと覚悟していた。家のメールボックスには何も届いていない。今日1日は何とか生き延びられた、と思っていた。死刑囚のような生活が続いている。そして昼過ぎに速達の郵便が届いた。想定内のことだったがひどく落ち込んだ。なかなか妻には伝わらないが自分には家族しかいない。とても大切な存在なのだが「お前と同じ籍に入っているだけで頭がおかしくなる。早く自分を解放して欲しい」と言われ続けている。思い返せば妻の言う通り自分の至らなかったところや悪かったところが次々と思い出される。結局自分と関わった人全てが不幸になっている現実を突きつけられ膝から崩れるような感覚に襲われる。イエス様は全ての人を愛してくださっている。それは間違いないことだと今でも確信している。しかし現実に生きているだけで人を不幸にする人間はいると思う。生きるだけ人を不幸にするならば生きていないほうが他の人のためになる。今の自分がまさにそういう存在なのだ。希死念慮。クリスチャンの自殺は基本的に禁じられている。だから自分はいつも「明日の朝、目が覚めないようにしてください」と真剣に祈って眠る。そして朝がきて大失望から1日が始まる。このような生活に意味があるのだろうか。全ての人に「今まで生きていてすみません」と言ってすぐに死にたい気持ちである。ある人は「絶対に死なないで欲しい」と言う。希死念慮と戦う人にこれほど残酷な言葉はない。

クリスチャンの離婚を考える

自分は現在仕事をしていない。現場を離れて休職中である。「職務可能である」と言う診断書を学院長に持って言ったところ色々な理由をつけられて「今から病院に行って、職務不可能という診断書をもらってこい」と言われた。診断書を書いたその病院の先生は大変驚いたし「医の倫理」からそれを最初はかなり拒んでいたが、自分が途方に暮れている様子を見て不承不承その通りの内容の診断書を書いてくださった。それを毎月私学共済に送って傷病手当金をもらっている状態なのだ。クリスチャンの世界と言ってもやっていることは結構際どい。というか法に抵触している。自分はこれからどうしたら良いのかをずっと考えあぐねていた。何日も悩んできた。愛情がある故離婚届を承諾できない、という気持ちと妻に対する愛情があるから彼女が精神的にこれ以上病まないように離婚を承諾するかの二択である。結局今の所自分が出している結論は後者だ。但し、彼女は今すぐにサインしろと毎日のように迫ってくるがその時はもう少しあとではないかと思っている。自分がこの仕事を退職し、退職金をきちんともらってそれを家族に残し自分の亡き後凍結してしまう全ての口座手続きをしてから自分の最期を迎える。自殺も離婚もクリスチャンには許されていないが仕方ないことだと思う。自分を休職させている機関も自主退職してくれるなら渡りに船であるし退職後に自殺しようが何しようが関係ないと思うはずである。

クリスチャンの離婚と信仰

遠藤周作さんの著書に「沈黙」という本がる。考えさせられる小説であったが、今自分と神様との関係を考えたときに少し似ている部分を感じる。祈っても祈っても道は開かれず祈りとは正反対の方向に導かれる。これ以上落ちるところはないだろうと思った翌日に更なる底に落とされる。現実的に今日も離婚を迫る手紙だったが市民税の督促状が同封されていた。ずっとお金を払っていなかったようである。3期分の42,000円を払わなくてはならなかったが、前述のように無職で傷病手当金をもらう自分にとって子どもの学費を払う以外のゆとりは全くない。でも何も言えないのでまたカードローンのようなところを頼ってしまった。どうせ死ぬからいいや、という気持ちである。毎日毎日涙を流して悔い改めて、真剣に自分の祈りを捧げてきた結果離婚と借金という場所まで導かれてきたのだ。勿論、神様は「私はここにいるから心配しないでいいよ」と優しく語りかけてくれる不思議なことがなんどもあった。その都度神様の存在を確信してきた。

その神様が

「あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。

神は真実である。あなたがたを
耐えられないような試錬に
会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。
(コリント第一10:13)」

There hath no temptation taken you
but such as is common to man:
but God is faithful,
who will not suffer you to be tempted
above that ye are able;
but will with the temptation
also make a way to escape,
that ye may be able to bear it.

と言われる。

この試練も自分にとっては耐えられる試練だというのだろうか。自分には決してそうは思えない。大切な家族を失って、それでも生きて行くだけの力も精神力もない。まず気力がない。神様が自分の人生をどこまで導こうとしているのか聞いてみたい。

どんな時にも、どんな場所でも、
どんな悲しみにも、どんな苦しみにも、
前途が暗く将来が困難に見えて
無力と孤独を感じるときにも、
信仰の祈りに答えて、助け主が送られる。
この世のすべての友から
離れるような事情が起こるかもしれない。
しかし
どんな事情もどんな距離も
われわれを天の助け主から
離れさせることはできない。
どこにいようとも、どこへ行こうとも、
主はいつもわれわれの右にあって、
力づけ、助け、ささえ、励まされる。  
(エレン・ホワイト 各時代の希望Ⅲp154)

クリスチャンとして医学部を目指すこと

クリスチャンとして医学部を目指した生徒たち

本校ではクリスチャンとして医学部や看護学部、理学療法作業療法に進む生徒たちを意識したコースを開設している。C.M.M.というクラスだ。Christian medical missionariesの頭文字をとってC.M.M.という。授業には大学から現役の看護学部の先生を、病院から医師、理学療法士、更に消防署から救急救命士をお呼びして授業をしていただく。学校の中では飛び抜けて費用のかかる授業だが学校からの持ち出しは殆どない。ほとんど全てが手弁当で対応してくださる。この授業は10数年前に自分が開講したものだがいくつもの施設や系列の機関を回って理解を得る努力をした。学校内ではあまり評価されない授業だったが周りからの期待は非常に大きかった。特にクリスチャンドクター、クリスチャンナースを必要としている機関はこの授業をとても大切に考えてくださった。内部的には色々とつまらないやっかみなどもあり嫌な思いも沢山したが学校外を見渡した時に多くの協力者がいたので励みになった。その授業を受ける生徒たちが自分の物理や数学の授業も受けていた。誤解が無いように述べておくが、自分には彼らを医学部に導くような力も知識もない。それは断言できる。しかし彼らの多くが医学部に進学して行く。現役でいけない生徒も多いがそれでも浪人して医学部進学を果たす。凄い可能性だと思う。裏事情だが、このC.M.M.という授業が成功したら次に立ち上げたい授業が2つあった。ひとつは伝道者養成の授業。そしてもうひとつが理数専修の授業。伝道者養成は将来牧師になる生徒をいきなり大学に送り込むのではなく高校生のうちからその本質が何かを体感することを目的とした授業。そして理数専修は理科、数学に特化して学習するイメージがあるがそうではない。本校でチューターシステムを作りたいと思ったのだ。学校では運動ができたり音楽ができる生徒が評価され拍手喝采を浴びることが多いが、地道に努力して学力をつける生徒や、後輩の学習を見てあげる優しい先輩はなかなか表舞台に出る機会がない。理数専修はそういう生徒が表舞台に出られるようにと考えた学習プログラムだ。2年生が1年生の理数専修クラスの生徒の面倒を個人的にみる。3年生は2年生のアドバイザーとなりその指導方針についてアドバイスしたり手伝ったりする。つまり理数専修クラスの1年から3年までの3人が1チームとなり1つ下の学年を指導するプログラムである。1年生の成績が上がれば2年生が評価される。2年生の評価が3年生の勲章となる。そしてみんなが自信を持って学習にチャレンジできるコースこそ自分が考えた理数専修のクラスだった。しかし、やはりやっかみを持つ人はいるものでこのアイデアを当時のO校長に見せたところ「いいねー」と言って自分とは別の人と一緒になって「数理科学コース」なるものを作ってしまった。正直驚いたがこの校長がやりそうなことだ。

クリスチャンとして医学部を目指した?

数理科学コースなるものができて10年程になる。誰もこの点について指摘していないが実はこの数理科学コースができてからというもの本校から医学部に進学した生徒がひとりもいないのである。これが何を意味するか分かるだろうか。勿論教員の力不足、医学部のレベルを知らないという問題もある。しかしもっと根本的な問題がここにはある。数理科学コース以外の生徒たちは「自分は理系ではない」と思ってしまっているのである。だから理系進学を最初から諦めてしまう。理系が良い、文系が良いという話ではなく自分の夢を追求する生徒たちがはじめから「自分は違う」と諦めてしまうことが問題だと思っているのだ。それまで普通に医学部に進学していた生徒の中には理科や数学が苦手な生徒がたくさんいた。でも彼らは「継続的な努力」や「不屈の精神」という能力を持っていた。大切なのは数学や理科の基礎学力ではないことを彼らが証明している。更に深刻なのは本校の系列機関に病院が3つある。東京、神戸、沖縄にひとつずつ。この病院に本校卒業のクリスチャンドクターが10年間不在になる可能性があるということなのだ。専門に勉強することが、それ以外の生徒の可能性までも摘んでしまっているかもしれないのだ。自分は大学時代に受けた体育の授業で先生が言っていた言葉をいまでも覚えている。自分の出た大学は特に体育に特化した大学で、物理学科である自分も周りの大学からは「体育学部物理学科」と冷やかされるくらいだった。陸上の先生が「専門種目を持つということは運動のできるカタワを作ることだ」、と仰っていた。いまでは使ってはいけない言葉だが先生の言った通りに記述してみた。本校の数理科学コースは「理系を考えて良いのは数理科学コースの生徒だけだ」と無意識のうちに周囲に言っていたのかもしれない。しかし皮肉なことであるが数理科学コース以外から放射線学科などに合格している。

クリスチャンとして医学部を目指した3人の生徒

その年、自分は彼らにC.M.M.の他に物理と数学を教えていた。数学は数学Ⅲという授業。物理も数学Ⅲもほぼ同じメンバーが選択する。その中で3名の生徒が医師を希望し医学部進学を志望していた。男子1名、女子2名の3人だ。彼らには授業の他に夜の勉強会も行いできるだけのことをした。非常に熱心に学習する彼らに動かされ自分も医学部を受験しようと本気で考えるようになった。合格できるとも思わなかったが彼らがあまりにも熱心なので彼らと同じ苦しみを共有しないと申し訳ない気がしたのだ。まずは英語から始めた。単語や熟語を覚え赤本の問題やセンターの過去問などを用いて勉強した。結局自分の受験勉強も彼らの卒業とともに何と無くフェードアウトしてしまったが久しぶりに本気で勉強した1年だった。現役では3名は全員不合格。浪人決定である。卒業後はそれぞれの実家に戻り浪人生活を送った。厳しい事で有名な北○州予備校に行った生徒もいた。宅浪もいた。本人たちとは勿論、親御さんとも連絡を取りながら彼らのその後を気にしていた。ある親御さんが教えてくれたのだが彼らは毎晩10時になると連絡をとりあうという。と言っても電話で話すのではなくLINEに今日の出来事などを書き込むらしい。そして3人がともにその時間、それぞれの場所で他の2人のために祈っていたという。彼らの合言葉があって、「キリストの右腕になれるまで」と言って自分たちを鼓舞していたという。あとでその話を聞いた時に涙が出た。イエスキリストの勇敢な戦士たちがここにいると思ったからだ。

クリスチャンとして医学部を目指した結果

翌年、彼らは全員合格した。ひとりは浪人の途中で夢が変わり理学療法士に転向していたので彼女は国立大学の理学療法学科に進学した。男子は広島大学医学部に、もうひとりの女子は私立の医学部に合格した。3人とも現在現場で生き生きと仕事をしている。クリスチャンドクター、クリスチャンPTとして頑張っているのだ。

何かに特化するということは何かを捨てるということである。勿論人生において全てができるわけではないので取捨選択はしなくてはならない。しかしあまりにも若いうちにいい加減なアドバイスで取捨選択をしてしまうことが、可能性を摘むことにもつながることは覚えておきたいことである。目の前にいる若者が一番良い選択ができるよう祈りながら幾つかの希望と提案を述べることが周りの大人ができる事ではないかと思う。

出会い

小学生の頃

自分に影響を与える人との出会いは人生を変えることがあると思う。自分はダメ人間でロクな人生を歩んでこなかったが良い出会いに恵まれたことだけは自慢できる。その筆頭はなんと言っても両親である。この両親の元に誕生したことは自分をどれだけ豊かにしたか分からない。溺愛ではなかったがその愛情を常に感じる家庭に育つことができた。本当に感謝すべきことである。そんな両親のもとに生まれ育ったのに何故自分のような不完全な不良品が育ったのか、これが不思議であり申し訳ないと思っていることである。我が家は3人ではなく2人の子どもで良かったのではないかと常に思っている。姉と弟のふたり。常に問題を抱え家族を心配させているのは長男である自分なのだ。自分がいなければ両親はもっと幸せな老後を送れた筈、と悲しくも申し訳ない気持ちになる。
次に思い出すのが小学5年、6年と担任をしてくださった先生。児童と良く遊んでくださり何でも教えてくれた。修学旅行の際、バスに酔いやすい児童を集めて「特別な薬だ」と言って何かを飲ませていた。彼らは行きのバスですぐに寝てしまい確かに酔わなかった。後で先生に何の薬だったかを教えてもらって驚いた。先生の持って来たウイスキーだった。「酔う前に酒に酔って寝る」と言って大笑いしていた。今なら懲戒免職になるような重大事件に発展しそうなことだが当時はこんなことが許されていた。因みに今考えればゾッとするが何かの集団予防接種の時、一本の注射をふたりに分けて打っていた時代である。これでみんな肝炎に感染したのだと思う。前の児童が半分打った注射を針を変えずにそのまま次の児童に残り全部を打つ。今でいうなら国が認めたロシアンルーレット式集団処刑だ。先ほどのウイスキーの先生だが、6年生の時にみんなでゴム動力の飛行機を作って飛ばそうということになった。なったというより先生がそういう企画を提案してくれた。そして毎日授業はせずに飛行機を作り続けた。市販のものを作るのだがリブなどの骨組みを丁寧に削ってできるだけ軽量にすることと長時間飛べる工夫をすることが課題だった。そして日曜日にみんなで学校に集まり飛行機を飛ばした。日曜日は先生にとっても貴重な休日なはずなのによく児童を集めていろいろなところに連れて行ってくれた。「先生っていい仕事だな」と最初に思ったのはこの先生がきっかけだった。

子ども

自分には3人の子どもがいる。何となくみんな自分に顔が似ているので申し訳なく思っているが彼らの存在は自分に大きな影響を与えている。1番上の女の子は兎に角優しくて気がきく。音楽の才能に恵まれピアノの演奏に加えて作曲にも精を出している。人の話を聞くのが上手で誰からも愛される子である。篤い信仰心の持ち主で常に神様に奉仕したいと考えている。
真ん中の男の子は現在思春期で少し難しい時期を過ごしているがこれまたすごく優しい、情のある子に育っている。彼も音楽の才能に恵まれ特に彼の弾くバイオリンには独特の響きがあり癒される。正義感が強く愚直で真面目。信仰心に篤く聖書の神様を信じて疑わない。こちらが少し弱音を吐くと「神様は耐えられない試練は与えられないんだよ」と真剣に迫ってくる。
そして1番下の男の子。命の灯火がいまにも消えそうな深刻な状態で生まれてきた子である。国内でも数例しか例を見ないような状況で生まれ今まで大小合わせて10回以上の手術を受け4歳まで病院で育った子である。人懐っこくて全ての人が自分の友達であると考えている。地元の郵便局で出会った90歳を超えるご婦人にも声をかけすっかり仲良くなり家を行き来する仲になった。彼との出会いがきっかけでこのご婦人は本校の教会を訪ねるまでになった。どこまでも明るく努力家。
3人とも自慢の子どもたちである。彼らが自分に与えた影響は計り知れない。何よりも彼らが真剣に祈ることを教えてくれた。

高校時代の先生

今までの投稿にも数回登場しているyuji先生。自分を物理の教員にしたのはyuji先生である。この先生から受けた影響は凄く大きく今でも心に残っている。実は今日がyuji先生の命日なのだ。13年前、2008年1月25日早朝、先生はイエス様の再臨を待ち望みつつしばしの眠りにつかれた。この日のことをよく覚えている。yuji先生は体調不良のためそれまでしていた小、中、高等学校の校長と全教育機関の責任者でもある「教育局長」を退かれ休職された。内緒だぞ、と念を押され難しい病気であることを告げられた。でもyuji先生ならきっと回復すると信じていた。実際医師の見立てでは半年の命と言われていたが半年後はまだまだ十分現役で働ける活力も気力もあった。時々電話をして悩みを相談したり道を見失ったときに叱ってもらったりしていた。自分が3年の学年主任をしていた2007年度、卒業が迫ってきたので「卒業献身会」のメッセージを誰に頼もうか考えていた。というより自分の中では既に決めていた。yuji先生に来ていただこう、と思っていたのだ。同僚や生徒にアンケートをとったところ満場一致で賛成とのことだったので早速yuji先生に連絡をとってお願いをしてみた。奥様によるとこの電話で少し弱っていた体調が不思議に回復に向かったという。yuji先生がかなり体調を崩していることは分かっていたので兎に角間に合うように励まし続け祈り続けた。そしていよいよ献身会の朝、教員は7時半に集まって礼拝をするのだがその日は自分が礼拝の話をする順番だった。何も知らず、その晩の献身会にyuji先生が来られること、そのために祈り続けて欲しいことをメッセージとして語り祈って終わった。その後各部門からの発表があるのだが、突然学院長が肩を落として立ち上がり「今朝早くyuji先生が亡くなられました」と泣きながら発表された。自分は何かの冗談だろうと思うほど冷静だったが心は完全に冷たくなっていた。泣くこともできなかった。あとで聞いたことだったがyuji先生はこの献身会でメッセージを語ることを心から楽しみにされていた。しかし体調が徐々に、確実に悪くなりあれほど心の支えにしていた本校行きの航空券を24日木曜日の夜にご自分でキャンセルしたとのことであった。そしておもむろにペンを取りメッセージを書いてくださった。そのメッセージが新校長のkiyomi先生に届けられた。結局その夜の献身会は自分がyuji先生の思い出とメッセージに即した動画を作りkiyomi校長がyuji先生のメッセージを代読する形で進行した。kiyomi先生と言っても男性である。yuji先生とは高校からの親友で、彼なら信頼できると自分が校長を辞める時にkiyomi先生を校長に任命した。そんな間柄だったからkiyomi先生は代読しながらなんども言葉に詰まっていた。しなくて良い咳払いを何度もして必死にyuji先生の最後のメッセージを読み上げた。泣く以外にその時間を過ごす方法が分からなかった。

これだけ多くの人に愛され、多くの卒業生からも信頼されいつでも弱い立場の人の身になって考えられるyuji先生。もう自分がいる教育機関にyuji先生のような人は現れないだろう。なぜ神様はこういう人の命を取られるのだろうか。不思議でならない。yuji先生がいれば日本の教育界は更に発展したことだろう。yuji先生から別の人が教育界をある意味支配するようになってから多くの問題が起こり生徒数も急激な現象の一途をたどるようになってしまった。yuji先生がいれば…。そんなことばかり考えてしまう。今でもふとyuji先生に相談したくなり電話を掛けそうになる。まだ電話番号は「連絡先」に残ったままだ。「神様、命が必要だったら私の命をとってください。もう福音宣教に有益な人の命を取らないで下さい。自分のような生きているだけ無駄な人間の命をとって下さい」、と間違った信仰、間違った福音理解の祈りをしてしまう。自分が死んだ次の瞬間、もし自分が救われるのであればyuji先生に会える、これだけが唯一の希望である。

あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に
会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。

There hath no temptation taken you
but such as is common to man:
but God is faithful,
who will not suffer you to be tempted above that ye are able;
but will with the temptation also make a way to escape,
that ye may be able to bear it.

Ⅰコリント10:13

高校時代の思い出

卒業式

何度か書いたが今日2021年1月24日は高等学校の卒業式。恐らく県内で一番早い卒業式だと思う。自分が担任として関わった最後の学年ということもあり、式典には参加していないが祈る思いで同じ時間を過ごしていた。気になる生徒、どうしているだろうかと心配になる生徒、希望の大学に合格できたかが気になる生徒等々、ひとりひとりの顔を思い出していた。また一緒に過ごした非常に短くまた濃密な時間のことを丁寧に思い出していた。ちょっとしたことで女子の人間関係が崩れてしまったこと、家庭の危機で毎日心を痛めていた生徒のこと、助産師になったら働きたいと希望していた病院が急遽産科を閉じてしまって困っている生徒のこと、途中で留学のため転校していった生徒のことなど。ひとりひとりとの関わりに思い出があり交わされた言葉を反芻するように思い返す。居て当たり前だった存在が卒業式を境に急に居なくなってしまうことの違和感。これには何年教師をして居ても慣れない。そして自分の卒業の時もこれにはかなり滅入ってしまった。

海物語

もう40年前の話だから忘れてしまったことも沢山あるが高校生活は実に充実していた。1年から3年まで各学年で色々な思い出があって懐かしい。2年の時にホームルームである島に行ったことがあった。瀬戸内海に浮かぶ小さな島だが戦時中は特別な兵器を作る島として地図から削除されていたところだ。初夏の日差しが眩しく感じる日だったが、いつもと違う場所で礼拝をするためにこの島に来た。午前中は礼拝のプログラムを行い昼食後全体でのレクリエーションを楽しんだあとしばらく個々に過ごす時間があった。兵器を作る工場跡は少し不気味だったので海岸で遊んでいた。誰からともなく「泳ごう」という話になり泳いではいけないという先生の注意を無視して海に入ることにした。その時いたのは男子5人。用意の良い人が必ずいる。海パンを持っている友達がふたりいた。そこでまずふたりが海パンを履いて海に入り背丈ぐらいの深いところまで行くと海パンを脱いで海岸に投げる。そして次のふたりが海パンを履いてまた海に入る。そして最後にひとりの海パンを海岸に投げて最後の人が海に入って完了。みんな深いところで泳いでいるが5人中3人は何も履いていない。海から上がる時も同じ要領でふたりずつ海パンを履いて上がり着替えたところで海パンを海に投げる。往路と違うのは最後のひとりが残ったところでいたずら好きな自分たちは海パンを海に投げる代わりに女子を全員呼んで来た。彼は集合時間になっても海から上がることができず泣きそうになっていた。くだらない遊びだがそんなことが懐かしくてたまらない。
3年になると同室のメンバーを自分で決めることができる。自分は仲の良かったkenjiと同室になることにした。後輩も仲の良かったふたりを選び4人が同室のなった。受験勉強に追われる自分とkenjiは毎日のように必死に勉強した。夜に強い自分は0時過ぎまで勉強した。朝に強いkenjiが毎朝5時に起こしてくれ、その時間から勉強を始めた。自分は3年の夏休みから2ヶ月間停学になっていたのでその間は学校にいなかったが、学校にいる間は常にkenjiがいた。

kenjiの恋話

kenjiは2年の頃からchakoが好きだった。その気持ちは何度か聞かされていた。chakoはとても性格が良く明るくて誰からも信頼される女子だった。奥手のkenjiはなかなchakoに思いを伝えることができない。恐らくchakoもkenjiの気持ちが分かっているはずなので気持ちを伝えたところでchakoが動揺するとも思えない。高校生活ももうすぐ終わるから気持ちを伝えたら、と促すと「じゃあ、やってみる」とのことだった。ただ気持ちを伝えれば良いだけなのだが何故かkenjiはケーキに拘っていた。自分たちの頃はすごく雰囲気が自由で大きな街に参考書を買いに行きたいと言うと許可が出た時代だった。もしかしたら自分たちだけが特別だったのかもしれないがとにかく、ある金曜日に外出ができた。kenjiとふたりで外出し赤本などを買ったあと本題のケーキを買った。何故か5個のケーキを買ったのだ。理由を聞くとchakoの部屋も4人部屋だからみんなで分けてchakoがふたつ食べると言う計算らしい。とにかく買うものを買って学校に戻り夜にchakoを呼び出して渡すことになった。が、ここに来て急にkenjiが弱気になった。折角買って来たんだから渡そうと言っても「やっぱり迷惑だと思うからやめよう」と言う。今更何をいうのか。どうでも良い押し問答が20分以上続き結局ふたりで1個ずつ食べることにした。でもまだ3個残っている。今からでも渡しに行こうと言ったがなかなかいうことを聞かない。「じゃあ、自分がkenjiに代わって渡してくる」と言っても「それだけはやめて欲しい」という。結局また1個ずつ食べた。でも最後の1個が残っている。これだけは渡したいと少し強めに言うと、いつも穏やかなkenjiが狂ったように最後の1個を取り上げ食べてしまった。このままのkenjiをchakoに見せてあげたかった。結局kenjiとchakoは仲良しではあったが友達止まりの関係で終わってしまった。「チャコの海岸物語」ならぬ「chakoのケーキ物語」である。

卒業式の翌日

卒業式では何故か自分のような不良品が卒業生代表に選ばれてしまった。卒業生代表は卒業式で「答辞」を述べなくてはならなかった。何日も考えたがこの生活が終わってしまうことの悲しさが一番大きくなかなか良い文章を仕上げることができなかった。本当は自分たちを支えてくださった先生方や両親に感謝の言葉を述べなくてはならないのに「寂しい、悲しい」とばかり言ってしまった気がする。そして卒業式に来てくれた母と式後東京に帰った。翌日は東京理科大の受験日だった。悲しんでいる暇はなかった。翌朝、起こしてくれたのはkenjiではなく母だった。寮ではベッドから横をみると反対側のベッドのkenjiがいた。が、もうkenjiはいない。住みなれた自宅なのに異国の地にひとり取り残されたような気分だった。本当に悲しかった。卒業は別れだけでなく次に出会う人や環境への準備だと思う。しかしあの頃の自分は未来に対する期待や希望よりも過去からの引力の方が数倍強く地に足がつかない生活を続けていたことを思い出す。今日卒業したひとりひとりが同じような気持ちになっているのかもしれないが、どこにいても決して変わることのない神様が共にいることだけは忘れないで欲しい。

それぞれの再臨

簡易保険

就職して間もない頃、人の良い郵便局のおばさんに勧められ簡易保険(養老保険)に入った。毎月の掛け金が15,000円程度の所謂貯蓄型の保険である。それが数年前に満期を迎えたので再度継続して入ろうとしたところ断られてしまった。以前投稿したように屋根から転落して慢性硬膜下血腫で手術を受けたことがあったがこの時に保険金を請求し受け取った。これが良くなかったようである。かんぽ生命の世界ではこれを「ペナルティー」と呼ぶらしいが保険を受け取ると一定期間簡保には加入できないとのことだった。保険というものがそういうものなのかと半ば諦めていたが、数ヶ月後急に保険の勧誘員から電話があり「保険に入れるかもしれないから今から手続きをしたらどうか」と声を掛けてもらった。今思えばちょうどこの頃からかんぽ生命の不正が次々と問題になり金融庁からも改善命令が出ていたので、それも関係しているのかとも思った。が、生活も変わり自分に保険を掛ける経済的ゆとりもなくその時は丁重に断った。今思えば無理してでも入っておけば良かったのかもしれない、という思いと不正の簡保には2度と入らないと決心していたので入らなくて正解という気持ちの両方がある。自分に何かがあった時に家族に残せるものが無いかと探しているからだ。自分はまだ若いつもりでいるが、色々なところにガタがきている。膝は半月板の損傷で注射を受けないと痛みがひどい、バイクで手首を捻ったが一向に治る気配がない(怪我をするとなかなか治らない)、肝臓や腎臓に問題があり薬をのみ続けている、老眼に加えて極度の乱視等々。もうポンコツである。寿命まで生きたとしても長くて30年。でも残された時間はそれよりも遥かに短い気がしている。うちは両親ともにガンになっている。父は2回ガンを患っているので自分がガンで亡くなる可能性は高い。でも交通事故や不慮の事故などいつどこで人生が終わるかわからない。できることなら自分がしっかりしているうちに退職して退職金をきちんと家族に渡せるまでは生きていたい。

再臨の時

聖書によればイエスキリストは間も無くこの地上に私たちを迎えるためにおいでになる。自分が中学生の時に「現代の預言者」と呼ばれる方が3名の日本人を前にして「あなた方のうち生きてイエス様の再臨を迎える人がひとりいる」と言ったという。そのうち既に2名は亡くなっており残ったひとりも90歳を超えるご高齢だったので「イエス様の再臨は5年以内」と勝手に決めていた時期があった。あれから45年が過ぎたがイエス様はまだこの地上に来られていない。いったいいつイエス様はこの地上にきて私たちを天の御国に迎え入れて下さるのか、そもそも本当に来て下さるのかと疑問に思ってしまう。しかし、よくよく考えてみると人は亡くなってからは眠った状態になるので、亡くなった次の瞬間がイエス様の再臨の瞬間になる。そう考えると自分が生きてイエス様をお迎えできないないとしても、30年以内にはイエス様の再臨があるということになる。私にとっての再臨は私のこの世の寿命の時なのである。長くて30年。もしかしたら今年かも知れない。

つーぐーの話

沖縄の中学校で働いていた時に出会った「つーぐー」。彼は自分の親戚でもある。つーぐーのお父さんと自分の義兄が兄弟である。クラリネットとバイオリンが上手で芸術的才能に恵まれていた。屈託無くなんでも話してくれ、嘘や隠し事が大嫌い。正直で誠実、そしてどこまでも人を信じ続けるお人好し。自分に与えられた責任は最後まで果たす愚直な生徒だった。特につーぐーの笑顔は天使のようで話していいるとこちらが励まされる。一緒にバイオリンを弾いて沖縄のいくつかの教会を演奏して回ったこともあった。でも、彼は30歳になる前に亡くなってしまった。色々な病気が重なり命を落としたのである。「なんで?神様何故ですか?」と何度も祈り叫んだ。6年前の1月23日はつーぐーが亡くなった日なのだ。この日が来るたびに「つーぐーにとっては2015年1月23日が再臨の日なのか」と思う。悲しい別れではあったが、イエス様が再臨された時には全ての病が癒されて元気になったつーぐーのあの笑顔に会えることだけが希望である。再臨の時は間も無くであることはわかるがそれがいつなのかは分からない。しかし自分の地上生涯の最期を想像すると遅くともあと何年後にイエス様の再臨があるかがなんとなくイメージできる。イエス様を今日お迎えできるよう毎日の準備を怠らないようにしたい。つーぐーがそう教えてくれる。

卒業プログラム

思い出

今日、2021年1月22日夜から高等学校の3日間に渡る卒業プログラムが始まる。どこの学校も同じだと思うが卒業生との別れは寂しいものである。特に全寮制で教員も生徒も同じキャンパスで過ごした仲なので寂しさもひとしおである。何度経験しても卒業式は涙をこらえる事ができない。本日金曜日に行われるのは卒業プログラムの第一弾の「献身会」。卒業にあたりこれから聖書の神様に対してどのような献身をするのかをひとりひとりが表明する。合間合間に献身の讃美歌を卒業生が歌う。これが実に感動的な式で夜のプログラムとして行われる。土曜日は卒業礼拝。献身会で表明したひとりひとりの献身を受けて説教者がこれからどのような道を行くべきかをメッセージとして語る礼拝である。そして夜は「ハイライト」生徒会(在校生の生徒会役員中心に)が主催するプログラムでこれまでの3年間を振り返る写真や動画、また卒業生ひとりひとりの幼い頃の写真を紹介しどれだけ成長したかをみんなで観る機会でもある。在校生、卒業生ともに準備した歌や出し物を披露し合い最後は在校生の涙と拍手にとって送られ退場する感動的なプログラムである。そして最終の日曜日が卒業式。今回はコロナの感染予防で保護者は式典には出られず別室で生配信を見る形で行われる。長いがずっと涙が止まらない式典である。今まで何度も高校3年生を担当し送り出して来たがそれぞれに思い出があり懐かしい。ある年は大雪で式典に間に合わない保護者がいた年もあった。ある年は卒業式の直前に親御さんが亡くなられるというとんでもないことが起きてしまった。ひとつひとつに忘れられない思い出がある。

卒業記念品

ある年に担任した3年生も多くの思い出が残っている学年だ。この学年をスタートするとき、自分は学年主任と担任を兼ねていたがもうひとりの担任とは特に馬が合う仲でとてもやりやすかった。先生同士が仲良くしていると生徒も雰囲気が良くなるものでとても明るい学年だった。ただ途中でちょっとしたボタンのかけ違いから女子の間で大ゲンカが始まってしまった。大きくふたつのグループが対立し、それをなんとかしようと仲を取り持つ3つ目のグループ。何度も話し合いの機会を持ったし、機会あるごとに担任としての気持ちを率直にぶつけて「仲良くなれなくても、相手を理解しようとする気持ちは持って欲しい」と訴えた。卒業までさほど時間もなかったのでこちらもかなり焦っていた。加えて、学校としてはかなり痛手となる問題が夏に勃発してしまいふたりの担任で奔走し問題解決と火消しに最善の努力をした。保護者に事情説明をするため急遽東京まで行ったり台風の中渦中の生徒に会いに行ったりと今となっては良い思い出だが当時は翌日が見えない生活を続けていた。加えてセンター試験でもいくつかの内部的な問題があり毎日のように問題が起こるような状態だった。が、もうひとりの担任が必死に頑張っていたので自分も気合いで乗り切ることができたように思う。もしも違う人とコンビを組んでいたらもしかしたら途中で崩壊していたかもしれない。そんな思い出深い学年だが、彼らとは特に忘れられない思い出がある。この学年は生徒数が少なく50人の学年だった。各クラス25名ずつで学級運営をしていたが、人数が少なくて困るのは卒業記念品である。卒業積立金から卒業生が学校に寄贈したいものを贈るのだが、人数が少ないので卒業積立金も少ない。限られた予算でできるだけ印象に残るものを贈りたい、とは思ったが何を寄贈すれば良いのか悩んだ。生徒のアンケートからもいくつかのアイデアが出されたがいまひとつパッとしない。そもそも卒業記念品は、後輩や学校が使えるもの、そして数年後に学校を訪問した時に自分が確かにこの学校にいたことの証となるような残るものでなくてはならない。低予算で残るものでインパクトのあるもの…。なかなか思いつかなかったが、勢いで「ピザ窯」を提案してみた。実はこの学年は豪雨災害を経験した学年だった。キャンパス中がおよそ1週間停電したため、生徒は学校で生活できなくなり夏休みを数日繰り上げて帰省することになった学年である。もしもピザ窯があれば電気なしでもパンが焼けるので食料に困ることはない。もともと学校では独自にパンを焼き生徒の食事となっていたので粉などの材料はふんだんにある。卒業生たちもこの意見には賛成してくれた。自分は自宅(借家)にピザ窯を作った経験がある。また他のピザ窯を修理した経験もある。が、今回の計画ではかなり大型のもの、しかも窯だけでなく簡易的な小屋も作らなくてはならない。どうしようかと悩んだがもうひとりの担任とこの生徒たちがいればなんとかできるかな、と考え自作することを決めた。自分の物理を選択している生徒には窯や小屋の構造計算やモルタルの量を計算してもらった。素人作業でかなり苦労はしたがみんなで作ってとても楽しい経験となった。窯は二層式で下の燃焼室で薪を燃やし奥にある小さな空間から上の「焼き場」に熱風が通過する仕組みである。煙突を窯の手前に設置することで煙突効果により熱風が奥から手前まで全体に行き渡る構造にした。細かい点はかなりラフで参考にはならないが記録用として動画(タイムラプス)を編集したので機会があれば観てもらいたい。これほど卒業記念品に力をいれたのも初めてだったと思う。ちなみに女子の大ゲンカは動画にも出てくる彫刻をしている時にはすっかり解消され仲良くなっていた。

紹介する詩は作者がラインホルド・ニーバーと言われているが日本人に広く知らしめたのは渡辺和子さんだったように記憶している。何れにしても素晴らしい詩である。

神が置いてくださったところで咲きなさい。
しかたないと諦めてではなく咲くのです。
咲くということは、自分が幸せに生き、
他人も幸せにすることです。
咲くということは、
周囲の人々にあなたの笑顔が
「私は幸せなのだ」
ということを示して生きることなのです。
神が私をここに置いてくださった、
それは素晴らしいことであり、
ありがたいことだとあなたの全てが
語っていることなのです。
置かれたところで精一杯咲くと・・・・・
それがいつしか花を美しくするのです。

ピザ窯製作の動画はこちら

沖縄時代の話

週末リフレッシュ計画

親しくさせていただいている牧師先生から電話をいただいた。近くに住んでいるが数ヶ月に1度のペースでしか会っていない。その先生と昔話をしていたら急に過去のことが懐かしくなった。沖縄の中学校で働いていた時、この牧師先生もチャプレンとして勤務されていた。聖書の教員をされ生徒の相談にもひとつひとつ丁寧に応じ厚い信頼を受ける牧師先生である。私も何かにつけてこの先生に相談したり未知なる沖縄のことを聞いたりしていた(この先生は沖縄出身)。教員同士は皆仲がよかったが特に気があったのはひとつ先輩のatsushi先生。中学時代からの付き合いで、男気がある一方でとても面白い、また天然の先生である。この先生とは生徒を連れて毎年「具志川島」と言う無人島(50年ほど前までは有人島)に、キャンプに行っていた。atsushi先生は、当時としては非常に珍しかったポータブルのナビゲーション装置を無人島キャンプのために買ったらしい。毎日練習と称して学校のキャンパス内で使用していた。今のGPSと違って制度も悪いし使い方がとにかく難しい。2週間ほど毎日練習していた。そしていよいよ無人島キャンプ当日。伊是名島(いぜなじま)から漁船で具志川島まで運んでもらうのだが、その伊是名島で急にatsushi先生が顔面蒼白になってこう言ってきた。「ない、忘れたんだと思う」。ナビを忘れたらしい。ナビがなくても地形は十分把握しているし迷うようなこともないのだが何故か本人はひどく落ち込んでいる。折角このための購入して何度も練習したのに当日に忘れたのだから落ち込むのも理解できるが、それにしても落ち込みすぎだ。atsushi先生とは無人島キャンプ以外にも色々なことを企画して楽しんでいた。その中でも忘れられないのが「週末リフレッシュ計画」だ。全寮制の学校の割にスタッフが通学制の人数程度しかいないのでどの先生も昼夜問わず働いている。それを使命と思っているから本人たちは平気なのだがそれでも疲れる。そこでこのatsushi先生と考えたのは教員を3名ずつのグループに分けて金曜の授業後から日曜の夜まで慶良間渡嘉敷島でゆっくり過ごしてリフレッシュしてくると言うツアー。3名の欠員なら他のスタッフでなんとか補える。校長教頭に相談したところ結構乗り気だったので、atsushi先生と自分のふたりで下見に行くことになった。自分は海を中心に下見を行った。ダイビングの機材を持って行き綺麗な渡嘉敷の海を堪能した。GTの囲まれて泳ぐ体験もでき幻想的だった。下見というより自分たちふたりが楽しむだけの旅となった。

計画変更

学校に戻り下見の一部始終を報告した。海で遊ぶことのほかに灰谷健次郎さんの家を訪問するツアーなども組み入れ、あとは自分のペースで楽しむプランを提案した。結構好評だったが慶良間まで行くのが大変と言う先生もいらしたので、1度全員で渡嘉敷に行くことにした。前述の牧師先生も勿論一緒である。夏休みになって成績処理もひと段落したところで、教職員全員で那覇から渡嘉敷島に渡った。ビーチで遊んだり木陰で昼寝をしたり綺麗なカフェで休んだりとのんびりした時間を過ごす事ができた。ダイビングツアーは2日目のオプショナルツアーとした。参加希望者は自分を含めて6名。自分以外は男性3名、女性2名だった。体験ダイビングとして申し込んだが自分はCカードを所有するダイバーという事でインストラクターは2名ついた。船でエントリーポイントまで行くので重たいタンクを背負って歩く必要がなく楽なダイビングである。3名の男性教員は先に準備ができたので船の周辺を泳ぎながら呼吸の練習やハンドシグナルを教えてもらっていた。女性は装備の装着に少し時間がかかっているようだった。残っているひとりのインストラクターが、私に女性教員のひとりをサポートして欲しいと言ってこられたのでそれに従ったがこれが命取りとなってしまった。

完全なる熱中症

自分は潜る気満々で誰よりも早く準備を整えてしまっていたが、そこで女性教員のサポートを、と言われたのでそれに従った。因みに自分のウェットスーツは厚さ5mm。内地では標準的な厚さだが沖縄の夏には少し厚い。3mmでもどうか?1mmでエントリーする人もいる中で5mmはかなりきついが自分はこれしかウエットスーツを持っていない。せめてそれを1度腰まで降ろしてサポートしていれば違っていたと思うが、すぐにエントリーするつもりだったのでしっかりスーツを着てウェイトもつけおまけにタンクも背負った状態で手伝った。やっと女性教員の準備ができた頃には全身汗だくで逆に寒気を感じるほどになっていた。絶対にオカシイ、と思い1度エントリーしたものの直ぐにインストラクターに言って船で休むことを伝えた。喉が乾いて仕方ない。船にあるアイスティーはみんなの分だがとにかく飲んだ。飲んでも飲んでも喉が乾く。耳に呼吸の音が響き気が遠くなって行く。これはまずい。少しでも体温を下げなくてはとウェットスーツを脱いで海に入った。が、直射日光で暑い。しかも海水の表面温度も高くこれではまずいと思い裸のままBCジャケットを着てタンクを背負ってとりあえず7mぐらいまで潜った。少し水温が低くなったので流されないように岩にしがみつきながらひたすら耐えた。汚い話で恐縮だが何度か嘔吐した。海の中で嘔吐すると結構面倒だ。いちいちレギュレーターを外して吐いて…。当然だが吐くと魚が集まってくる。そして目をつぶってじっと耐えていたら、いつの間にか海蛇に囲まれていた。ゾッとしたが彼らは基本的に人間を襲わない。本音は一匹でも自分を噛んで別の意味で楽にして欲しい、と思った。結局その後も脱水の症状はなかなか抜けずかなり苦労した。一晩寝たところで頭痛は残ったけど少し回復したのでその後の行程に支障はなかったが脱水症状の恐ろしい経験をした渡嘉敷ツアーだった。色々な事があったけどとても懐かしく楽しい思い出である。