痛み

骨折

小学生の頃、同級生が骨折した。松葉杖をついて生活している様子がとても格好良くてしばらく松葉杖をつけるようにならないかと本気で考えていたことがあった。大人になってから骨折を経験した。自分には無縁だと思っていた手術も3回した。経験するには遅すぎた気もするが一通りの痛みを経験したのかもしれない。

今朝、妻からメールが届いた。何かを言いたそうなメールだったので胸騒ぎがした。数回のやり取りのあと、次男が昨日自転車で怪我をしたことを教えてもらった。公園で自転車に乗っていたが、帰るので車に戻ろうとした時に大きなくぼみにはまってしまい、そのひょうしに右側に自転車ごと転んでしまったそうだ。ひどく痛がるので心配になり南部医療センターに救急で行った。当直の先生が診ただけなので応急処置しかできなかったようだが骨折しているとのことだった。その場で応急的な固定をしていただきギブスは休日明けの明日に対応していただくことになったという。報告しながら「私のせいで」「私の責任で」と何度も書いていた。そんなことないのに。励ましの言葉をかけたが本人はひどく落ち込んでいるので心には届かなかったのかもしれない。痛すぎて歩くことすらできなくなった次男の車椅子姿の写真を見て少しだけ涙が出た。やはり子どもが痛むのは悲しいことである。

とても心配してずっと祈っていたが、次男から電話がかかって来た。仕事中だったので少しの時間しか喋れなかった。しかし声はとても元気そうだった。休憩時間に改めてこちらから次男に電話をするといつもの明るい声が電話越しに聞こえた。無邪気で明るい声、大きな笑い声を聞いたらホッとしてまた涙が流れた。

良かったよ

「パパ、ぼく骨がおれてよかったよ」と言っていた。ふたつ理由があるらしい。まず、骨折することで骨が強くなるから。昭和世代の自分はよくそういうことを言われて育ったが実際には医学的根拠は無いらしい。仮骨ができる際、一時的に骨が太くなるらしいが完治し元の生活に戻ると骨は元の太さになるという。決して強くなるわけではないらしい。自分と同じ昭和のお母さんがそう教えたのだろう。もうひとつの理由をきいて少しハッとさせられた。「前から骨が折れたらいいな、って思っていたんだよ。だって骨が折れたひとの気持ちがわかるでしょ」。何とも大人な発言。その通りである。人は他人の痛みを理解することができない。できないから自分が経験した痛みに置き換えて想像するしかない。妻からどれだけ言われても出産の痛みを理解することはできない。だから自分が尿管結石で苦しんだ痛みを思い出すしかない。生徒から相談を受けてもそれを自分の経験した痛みに置き換えないと理解できない。自分は比較的多くの痛みを経験して来ている方だと思うのでその意味では恵まれている。

子どもの幸せを願い痛みのない生活を祈る毎日であるが、成長すると言うことは新たな痛みを経験することでもあることに改めて気付かされた。人の命の重みが十分に分からなかったダビデも、我が子アブサロムを失ってその痛みがはじめて分かった。自分の命を狙うほどの存在のアブサロムであったが「自分が代わりに死ねば良かった」と言わせるほどダビデを変化させた。

ペテロ

31シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。 32しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
ルカ22:31,32

7今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
マルコ16:7

痛むことで更に大きな仕事に召されたペテロ。やはり痛むことは神様のご計画なのですね。

第10回「回復の物語」講師:稲田 豊

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