痛み

報われないこと

自分が所属する教団では同じ教会に3ヶ月以上通う場合には教会籍をその教会に移すよう指導されている。今通っている教会には4月から8ヶ月以上通っている。が、教会籍の転会ができていない。教会書記がその担当なのだが結構意地悪な人で遅々としてその手続きをしてくれない。そのうち自分でも、どうでも良いと思うようになってしまった。が、夏頃からこの教会に籍をおくことに疑問を持つようになった。うまく言えないがまともな教会ではないのだ。牧師が常にいる教会ではないので信徒、その中でも1,2名の声の大きな信徒が理事になり教会のルールを勝手に作ってしまう。この理事に睨まれたら教会にも通えなくなる。教会の役員を決める「役員推薦委員会」なるものもあるのだが、そもそもこの委員会が機能していない。例の1,2名に忖度し彼女たちが間違っていることを知りながらそれを指摘することもなく、必ず理事に推薦する仕組みが出来上がっている。そのような教会に嫌気がさし、この教会に転会にしないことを祈りのうちに決め正式に牧師にその旨を伝えた。安息日が待ち遠しく、神様との交わりも積極的にしたい。が、どうしても教会に行くことが辛い。今日も特別讃美歌といって礼拝で讃美歌をささげる奉仕をバイオリンでしたのだが、早速その問題の人から「教会員でない人が特別讃美歌をすることはできないんですよ」と注意された。そんな話を聞いたことはない。しかも頼まれてしたのであった自分からさせてくださいとお願いしたのではない。悶々とした気持ち、悲しい気持ちで家に帰ってきた。

イエス様の愛

家でいくつかのオンライン礼拝を視聴していた。大好きで影響を受けている3名の牧師先生の礼拝メッセージがとても良かったのだが、その中でも今の自分を励ましてくれるメッセージがあった。自分は何か大きな仕事をしたこともなく、生きているだけで神様を悲しませるだけの存在であることを自覚している。加えて、人の祝福になることは決してできず、誰かに迷惑をかけたり傷つけてしまうだけの存在である。だからこの礼拝メッセージと自分は決して同じではないのだが、心の中には常に神様を求め続ける思いがあり、また一方で信仰が足りなくて神様に祈り求め続けることができない。そのような弱さの中で悶々とする毎日であるが、それでもイエス様が受け止めてくださることを教えてくれるメッセージであった。

メッセージの中で出てくる原文は次の通りである。

すべての高潔な行いの成果

無我の精神で働いてきた人々は、そこに自分たちの骨折りの結果を見るであろう。あらゆる正しい原則と尊い行為の成果が見られるであろう。その幾らかは、この世においても見られる。しかし、世界の最も尊い働きの結果は、この世においてはそれをなした本人にもほとんどわからないのである。己を忘れてたゆまずに働いた結果が、どれほど彼らの手の届かない知らない人々に及んでいることであろう。親も教師も最後の眠りにつく時、自分の一生の働きは虚しかったように思われるかもしれない。彼らは、自分の忠実さによって開かれた祝福の泉からやまずに水が流れ出ていることを知らない。ただ信仰を通してのみ、彼らは自分の教育した子どもたちが人類同胞の祝福となり、良い感化となって、その影響が幾千回となく繰り返されることを知るのである。多くの働き人は、力と希望と励ましの言葉、全地の人々の心に祝福を与える言葉を伝えるが、世に何も知らずに独りで骨折ったその結果は、自分にはわからないのである。このように、彼らは賜物を与え、重荷を負い、働きをなすのである。人は種をまくが、それは、彼らが墓に入ってから祝福の収穫となって他の人に刈り取られるのである。彼らは木を植えるが、その実は他の人が食べるのである。彼らはこの世では、自分で良い働きを始めたことを心に思うだけで満足する。来世では、こうしたすべての働きとその結果が明らかにされるであろう。
教育 p357
終わりの時代の諸事件 p293

自分の全てが否定され忘れ去られて生涯を終えていく時、「それで良い。イエス様が一緒にいてくださったからそれで十分だ」と感謝したいものである。

2021年12月11日 礼拝「頑張りが報われなかった人へ」河原 久 牧師

メッセージは25:30から

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