家長

家族との繋がり1

今日はいつもの通り休みをもらえたので部屋の片付けや聖書研究などをした後で外出した。先ずは弘前に出掛け両親へのプレゼントを送った。今度の月曜日が敬老の日なのでそれに合わせて毎年送っているのだが今まではなんとか子どもたちにカードを描いてもらいそれをプレゼントに同封していたが今回はそれができないので両親もがっかりすることだろう。その後祈るために自然界に出掛けた。帰りに、先週同様次男から電話があった。運転中だったので直ぐにair podsに切り替えて話しをした。相変わらず可愛い声で色々なことを喋ってくれた。先日お金を送ったがそれで自転車を買ってもらったと喜んでいた。次男は歩くのが遅かったので全てについて遅れがあったが自転車もそうだった。しかし小学校に上がる頃乗れる様になった。バランス感覚は非常に良いので上達も早いと思ったが、現在は母親の車に自転車を載せて安全なところで乗っているとのことだった。学校はまだコロナで行っていない事、ファッションも今は自転車が来たので小休止している事、割り算を頑張っている事等々。色々なことを話してくれた。今考えればおかしなことだが、しばらく前まで自分はこの次男が生きていないのではないかと思っていた。ごくごく稀に送られてくる写真は全て長男のものばかりだし、電話も1年以上無かった。自分も精神的におかしいので「生きていないかもしれない」と真剣に考え居ても立っても居られなくなってしまった。思わず長男に連絡して次男が生きているかを聞いてしまったくらいだ。そんな次男と2週連続で会話できるなんて夢の様な話である。

家族との繋がり2

家に戻る直前に今度は長男から電話があった。受験生なので必死に勉強しているが精神的に参っているのが手に取るように分かる。励ましながら、とにかく苛立たないで計画通りのことをする、その様な話をした。1週間を1サイクルとした反復学習の方法を教え随分前から取り組ませているが、学校から出される課題が多くて苦労しているとのことだった。自分も同じだったことを懐かしく思い出す。学校の宿題が自習のペースを乱すのでいつも苛立っていた。しかしその苛立ちがかえって学習効率を下げる結果になっていたことを長男い話し、「パパの様に感情的になってはいけない」と何度も言い聞かせた。やっと少し落ち着いて来たので電話を切った。受験のために勉強することにある種の虚しさを感じる。学ぶことはもっともっとクリエーティブな作業だし本来楽しいものだと思っているからだ。今通っている中学校の系列高校に進学するのではなく沖縄の県立高校に行きたい一心で必死に頑張っているが全てが心配である。

家族との繋がり3

家で夕食を食べているときに妻から連絡があった。LINEだが自分が落ち込む様な内容ばかりが送られてくる。今日は比較的軽度でジャブ程度の連絡だった。

振り返って見ると、今日1日で家族3人と何らかのコンタクトを取ることができた。普通のことなのかもしれないがいまの自分には奇跡である。このようなことはこの2年で無かったと思う。こういう日もあるから死ななくてよかった、と思う。同時に自分が首の皮一枚というか家族は誰も認めていないだろうが今でもこの家族の家長であることを思い出した。自分が一番偉いとか権威があるとかの話ではない。そのようなものはとっくに失っている。そうではなく自分がこの家族に対して責任も持っているということを自覚させられたのだ。旧約聖書の時代、家長には家族全員が神の前で罪を犯していないかを注意深く観察し、罪があればそれを神様にとりなし、神様から決して離れないように導く責任があった。自分は家族に対して何かを語ったり諭したりできる立場ではないが、毎日とりなしの祈りは真剣にささげている。今日視聴した動画で、このとりなしというのが家族の罪を自分の罪として謝罪しその報いが自分に降りかかっても構わないという決心に基づく祈りであることを学んだ。今できるただ一つのことはこのとりなしの祈りだけである。また取りなす家族が与えられていることを深く感謝するものである。

安息日を迎えたがこの日が神様との交わりだけに用いられる1日になることを期待したい。

⑧【字幕】聖所に仕える現代の祭司(再アップ版)

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