点と線

牧師先生との面談

今日は以前から楽しみにしていたある牧師先生とお会いできる日だった。謙虚で面白くてユーモアーに溢れ、聖書の知識豊富で講演会でも大活躍の牧師先生である。以前、この牧師先生が本校のチャプレンをしている時に数年一緒に働かせていただいた経験がある。それからの付き合いだが自分のことを赤裸々に語りながら常に神様に栄光をお返しするこの先生の生き方に感動を覚えている。

先生がよくされる「ヨハネの黙示録講解メッセージ」は非常に分かりやすく勉強になる。2020年秋には3週間連続講演会を開催してくださり黙示録を含む聖書のお話をわかりやすく解説してくださった。勿論毎日欠かさず視聴していた。20回以上に渡る連続講演会なので視聴するには時間が必要であるが通勤通学の時間を活用して視聴していただけると良い勉強になると思う。
メッセージの第一回目はこちら。

その様な尊敬する大先生との面談だったのでとても楽しみにしていたし大いに期待していた。

まずは黙示録の勉強を進める中で自分が疑問に思っていることや理解できないことを質問した。どの質問にも迷いなく的確に答えられることからも、本当によく勉強していらっしゃることが伝わってくる。

そして話題は先生が今取り組んでおられる研究テーマについて質問してみた。

パウロの世界観、その背景にあるものを全て書き出して学んでいるとのことだった。先生の素晴らしいところは、自分が学ばれたことを全て画像化してプレゼンソフトに取り込んでいらっしゃるところ。

実は今まで長い年月を費やして作ってこられた画像データを全部くださると仰っていただいた。とんでもない財産である。これを惜し気もなく自分のような、未熟クリスチャンに提供してくださった。

あと一つのピース

その後も話は盛り上がり色々な質問をさせていただいた。恥ずかしながら信仰歴は45年になるがまだまだヨチヨチ歩き程度しかできない未熟者なので「え、クリスチャンなのにそんなことも知らないの?」と笑われてしまいそうなことを質問させていただいた。

そして自分の近況も含めて今悩んでいること、神様の御心が分からないことなどを相談した。中でも、「イエスキリストは『疲れている者、重荷を負うて苦労しているものは私の元に来なさい。あなた方を休ませてあげよう』と約束し招いてくださっているのに、イエス様のところに重荷を持って行ったところで重荷が軽くなるわけでもなく、結局は自分で担がなくてはならない重荷に変わりはない。にも拘らず、なぜキリストはその様な人を招くのか」と質問してみた。

 

すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心の
へりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、
わたしに学びなさい。
そうすれば、
あなたがたの魂に
休みが与えられるであろう。

 Come unto me,
all ye that labour and are heavy laden,
and I will give you rest.

 Take my yoke upon you,
and learn of me;
for I am meek and lowly in heart:
and ye shall find rest unto your souls.

マタイによる福音書11:28,29

先生の回答はこうだった。

イエスキリストは招きの後に突如自己紹介をしている。「私は柔和で心のへりくだったものであるから…私に学びなさい」と。要するに問題の根底にあるのは謙遜と柔和の不足。それをイエスキリスト自身から学びなさい、そうすればあなたの重荷は軽くなりますよ、という招きなのだとのこと。本当にその通りだと思った。

また、何となく自分が直面している問題についても打ち明け、神様が何故助けてくださらないのか、何故約束の聖霊様を与えてくださらないのかを質問してみた。質問しているうちに、自分の辛い心の内を人に話すことがなかったので言葉に詰まってしまった。それでも先生はゆっくりと時間をかけて私の話を聴いてくださった。

そして次の様にお話ししてくださった。

「あなたは今、一点で神様をみているから自分だけが神様の祝福から漏れたのではないかと思っているのです。愛の神様があなたを見捨てるわけがないじゃないですか。神様は今も一生懸命あなたのために働いてくださっているのです」

そうなのかな?と少し疑問も感じながら聴いていた。

「ただ、一点だけだと文脈が分からないんですよ。点が線になるためにはもう一つの点が必要なんです。もう一つの出来事が必ず起こります。その時、今苦しんでいるその点ともう一つの出来事の点が結ばれて直線となり文脈がわかる様になるのです。あ、この時のために神様は敢えてこの様な経験を与えられたのか、と理解できる時がきます。もう一つの点です。一寸先は闇と言いますが、キリスト教の場合、特に神様が働いている場合一寸先は光なのです」と優しく悟し慰め、励ましてくださった。

本当に神様が働いていらっしゃる光景が眼に浮かぶ様な気がした。

ありがたい励ましをいただいた。

今は途方にくれるしかない毎日を送っているけど、必ず神様が回答を与えてくださる時がくることを信じて、先取りして感謝したいと思った。

Allelujaという讃美歌をネット上で見つけた。聴いたことのあるフレーズがいくつも出てくるので分かりやすい讃美歌だと思う。是非視聴していただきたい。

Allelujaはこちら

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