キリスト教の嫌なところ
自分はクリスチャンになって随分と時間が経つが成長のない者として恥ずかしさを感じている。その様なものがキリスト教について何かを語ること自体間違っていることであり冒涜とも思えるが自分の思っているところを述べたい。キリスト教を説明する場合、どの様な言葉が相応しいかを考えてみたときに中心は「愛」であると断言できる。そしてその愛は言葉だけのものではなく実際的でとても具体的なものである。具体的な愛を示すために神様はイエスキリストをAD1世紀に受肉させこの地上に送ってくださった。このイエスキリストに繋がることにより愛が現実のものとなり、その究極である救いを体験する事ができるのである。「愛と愛による関係性」こそキリスト教の本質であると自分は考えている。本来とても具体的だったものが教会の歴史において徐々にそれがフワフワとした曖昧で言葉だけのものに変わってきてしまっている様に感じてならない。その本質がよくわかっていなくても、クリスチャンがよく使う言葉、単語がある。「恵み」「祝福」「導き」「感謝」「罪」「救い」「聖霊」等々。これらが何と無く並べられるとキリスト教の説教や祈りになってしまうのだ。例えば「聖霊に満たされることは私たちの力になるのです。皆さん、聖霊を受けましょう。聖霊によって更に祝福された人生を送りましょう」といった感じである。聖霊に満たされるってどういうことなのか。その方法や聖霊に満たされているかいないかはどうやって判断できるのか、そもそも聖霊は求めたら与えられるものなのか、あるいはバプテスマと同時に全てのクリスチャンに与えられたのか。疑問は尽きない。こんな悶々とした気持ちを持ちながらクリスチャン生活を送っても何か空振りばかりしている気がする。だから自分はより具体的に説明することを心がけている。
キリスト教の疑問に明解を
自分の物理の授業の話。後半になると「量子力学」のさわりの様な部分に触れる。今までの勉強では物質の究極は、その性質を残した最小を分子といい性質を度外視した究極を原子と習う。そしてこの原子が陽子や中性子、電子から構成されていることも学ぶ。量子論では更にそのさきの究極を知らないといけない。中間子やクオークなどの存在に目を向けそれぞれの振る舞いを理解しないと全体が分からない。その基礎として量子論とは対極にあるアインシュタインの相対性理論を学ぶ必要がある。相対性理論は「光速不変の原理」というとても不思議な原理を柱としている。光速が秒速30万kmを越えない、という原理だがこれは自分たちの身の回りの物理現象とは矛盾する。互いに時速300kmで走行するふたつの新幹線がすれ違う時、自分が片方の新幹線に乗っているならば相手の速度は時速600kmに見えるはずである。しかし光速の世界では30万kmを超える事ができないので、すれ違う光は互いに相手を秒速60万kmとは認識しないのである。この様な話から、イエスキリストの再臨の光景がどの様なものかを授業の後半でディスカッションする。世界中の人が同時にイエスキリストの再臨を確認すると聖書にはあるがそれはどの様にして可能なのだろうか。ある人は現在の科学技術を用いてオンラインでイエスキリストの再臨を配信すれば良いという。しかし世の終わりに全ての人がコンピュータの前に座っているとは考えにくい。生徒からは色々な意見が提出される。極力否定しないで彼らの意見を聴く。面白い意見がたくさん交わされる。光に関して「闇はこれに勝たなかった」と聖書は述べている。勿論これは比喩的にキリストとサタンとの戦いを表しているが、字義通り自分たちの知っている光と解釈するとどうなるか。現在は光子をも飲み込んでそこから脱出できなくする巨大重力の存在、ブラックホールが確認されている。ここから光が脱出できるのは光速が30万kmを越えた時である。つまりご再臨の時には光の速度の制限が解放されさらに高速の光が明らかにされると思っている。相対性理論による面白い話で双子の一人が光速の90%で宇宙旅行をして地上に戻ってきたときに、地上に残った双子の片割れと年齢が違うという話がある。これは実際に起こる現象である。が、秒速30万kmの限界においては未来方向に向けてのみ時間の遅延が起こるだけである。しかし光速が30万kmを越えた瞬間に時間の逆行が起きるのだ。再臨の時にはこの現象で同時刻に全世界中がご再臨の光景を見る事ができると思っている。今、この現象が起きてしまうと過去に遡って歴史を変えてしまう人が出てくるかもしれないので、神様はご再臨の時までこれを封印されているのだと思う。
キリスト教の疑問に具体的に答える牧師
先日、この物理の授業で活発に意見を出していたsatoruの動画を見つけた。留学して海外で神学を修めるなどの経験を経て現在沖縄で牧師をしている。彼の聖書講座が非常に具体的で分かりやすかったのでここに紹介したいと思う。この動画以外にもたくさんの動画をアップしているので興味があれば是非視聴していただきたい。クリスチャン用語を並べて曖昧模糊とした信仰生活を送るのではなくひとつひとつ具体的な示唆をいただきながら実践的なクリスチャンになれたらどれほど良いだろうと思う。
satoruの動画はこちら
他にもたくさんあるのでこちらを検索してほしい。