祈り

今日のこと

安息日である今日、本来ならば教会で礼拝をする日であるがP.C.R.検査の結果が出るまでは外出自粛、人との接触は厳禁なので自宅にてオンライン礼拝をした。いくつかの教会の礼拝メッセージを視聴しながら色々なことを考えさせられた。奇しくもそのうちふたつの教会はメッセージのテーマが「祈り」であった。ともに切り口は違ったが終末時代に生きる自分たちが何よりも大切にすべきことが祈りであることを教えてくれた。そして諦めずに執拗に祈り続けることの大切さを教えていただいた。
夕方、ひとりの卒業生から連絡がありしばらくやりとりをしていた。本投稿でも何度か紹介したことがある青年で現在EVA航空でパイロットをしているN君からの連絡だった。N君は昨日遅くにもメールをくれていたがその時は他愛も無い近況報告のやり取りで終わった。が、また今日も連絡があったので何か話したいことがあるのでは無いかと思いゆっくりと聞くことにした。段々と問題の核心に迫って来た。彼は海外(台湾)勤務なので日本から台湾まで「出勤」しそこから乗務に入り終わると日本に帰ってくるという生活を続けている。ところが、このコロナの影響で日本に帰ると2週間の隔離生活に入ってしまうので、3ヶ月間乗務し続け休みをためてそれで日本に帰国するスタイルに変更しているとのこと。奥様、可愛い2人の幼いお嬢さんたちに会いたい気持ちを我慢して仕事に従事している。また乗務のあとはホテルから外出することはできずその都度P.C.R.検査を受けているという。「この生活ももう限界です」と泣きそうな声で言っていたのが本当に気の毒でたまらなくなった。コロナの影響がこういう形で出ていることも知らなかった。彼のためにも真剣に祈る必要を感じた。

祈り

自分が祈りについて何か語れるほど信仰や知識があるわけでは無いので19世紀から20世紀にかけて活躍した女性クリスチャンで著作家のE.G.Whiteさんの言葉を色々な書物から抜粋して紹介したいと思う。

祈っても祈っても道が開かれないように思えることが度々あります。神様は本当におられるのだろうかと。「しかし彼は私の歩む道を知っておられる。彼が私を試みられるとき私は金のようにでてくるであろう。(ヨブ23:10)」ヨセフもヨブも神は何一つ無駄なことはなさらないと信じていました。だから次のように言えたのではないでしょうか。「私の足は彼の歩みに堅く従った。私は彼の道を守って離れなかった(ヨブ23:11)」と。E.G.White 今日の光 p20
私どもの祈りが聞かれないように見える時も、み約束にかたく頼らねばなりません。なぜならば、祈りが答えられる時が必ず来て、私どもが最も必要とする祝福を受けることができるからであります。
E.G.White キリストへの道 祈りの特権 p127

神の民の捧げる祈りを神がお聞きにならないと言う恐れは全くない。私たちは誘惑や試練にあった時に失望落胆に陥り熱心に祈り続けなくなってはいけない。・・・この母親に、これほどの求めてやまぬ心を起こさせたのはキリストご自身であった。裁判官の前で訴えるやもめに勇気と決意を与えたのもキリストであった。又幾世紀もの昔、ヤボクの渡し場で不思議な格闘の際に、ヤコブに同じ不屈の信仰を与えたのもキリストであった。こうしてご自身が人の心にお植えになった確信に対して主は必ず報いをお与えになったのである。・・・これらの天の使いたちによって人の子らの言葉と行いがもれなく記録されている。神の民に対する残酷と不正行為、悪人の権力によって、神の民に加えられた苦痛もみな天に記録されるのである。
E.G.White キリストの実物教訓p158

祈りは魂の呼吸であり、すべての祝福はいのりを通ってきます。人が自我に気づき、悪を悔い改め、いのりを捧げるとき、神はその苦闘をみられ、その葛藤を見守られ、心からの祈りに心を留められます。神は指をその人の脈に置かれ、脈拍のすべてを書き留められます。
E.G.White 2001年度2期今日の光P33

我々はもっと密室で祈らなければならない。キリストはぶどうの木で我々はその枝である。そして我々が成長して豊かに実を結ぼうと思うならば我々は生きたぶどうの木から絶えず水分と栄養分を吸収しなければならない。我々はぶどうの木から離れては何の力もない。イスラエルの中に信仰と力が何故もっとないのだろうかと私は天使に尋ねた。「あなたがたは主の手をあまりにも早く離しすぎる。あなたの願いを御座に訴え強い信仰をもって訴え続けなさい。約束は確実である。あなたがたが願い求めることは受けると信じなさい。そうすればその通りになる」と天使が言った。それから私はエリヤのことを示された。エリヤは私たちと同じ人間であったが熱心に祈った。彼の信仰は試練に耐えた。彼は主の御前で七回祈った。そしてついに雲が現れた。我々は確実な約束を疑い我々の不信仰のために救い主の御心を傷つけていることを私は悟った。「武具を身につけなさい。その上に信仰の盾をとりなさい。それが悪しき者の放つ火の矢から心臓、すなわち生命そのものを守るのである」と天使が言った。もし敵が失望した者をイエスからそらして自分たちを眺めさせ、彼らにイエスの尊さ、イエスの愛、イエスの功績、イエスの大きな哀れみなどを考えるかわりに自分たちの無価値なことを考えさせることができるならば、彼は彼から信仰の盾を奪い去って自分の目的を達成することができる。人々は敵の火のような攻撃にさらされる。であるから弱い者はイエスを仰いでイエスを信じなければならない。その時彼らは信仰を働かせるのである。  
E.G.White 初代文集 P152、3

2021年5月29日 「ある父親の祈り」 礼拝LIVE配信 メッセージは25:35から

2021年5月29日 礼拝「万物の終りが」伊藤裕史牧師  メッセージは23:45から

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