祈りの意味
昨日、院内の代表者会議があった。自分がプレゼンする時間帯もあり気が重かったが何とかやり終え会議も終会となった。自分は書記なので会議後の書類整理や会議室の後片付けをするためにしばらく部屋に残っていたが、ひとりの職員さんが急に「祈りの力って本当にすごいんですよ」と言ってきた。そしていくつかの事例を挙げて祈りの力を説明してくださった。
多くの宗教に「祈り」という行為があると思う。「祈り」といっても、宗教によって方法やその意味、あるいは祈りに対する考え方は違う。キリスト教の場合は「祈り」を聞いてくださる神様を、「人間が主であり、祈ることにより、自分の願いを叶えてくれる存在として自分が操る方」とは教えていない。つまり御利益信仰ではない。願いを聞いてくれるから良い神様、願いを聞いてくれないから力のない神様、という評価をしない。祈った通りにならない時には「祈りが聞かれない理由は何か」を考え、更に「神様のご計画は何か」を祈る。祈りこむことによって、徐々に神様のご計画の一部が鮮明に見えてくる。この一連の行為を「祈り」と言っている。
祈りの力
自分の祈る行為に力があるわけではない。あくまでも祈りを聞いている神様に力がある。キリスト教の世界には、祈りがかなえられた証が数え切れないほど多く存在する。自分にも不思議な方法で祈りが聞かれた経験がいくつもある。子どもの命が助けられた経験は何度思い出しても胸が熱くなり、「もう一度祈ってみよう」と不信仰になった時にも励ましてくれる。
聖書の中にも祈りによって不可能が可能になった話が数え切れないほど書かれている。
ヒゼキヤ王の祈りがきかれる場面はとてもダイナミックである。ヒゼキヤ個人を癒すと同時に印を求めたヒゼキヤに対して太陽を10度後退させた。一日中太陽が動かなかった日があると聖書(ヨシュア記10:12,13)は言っているが、それとは別にヒゼキヤ個人に対する印として日を10度後退させられた。
自分が祈っている相手が持つ力の大きさは、自分の想像をはるかに超えていることが良くわかる。
1そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。アモツの子預言者イザヤは彼のところにきて言った、「主はこう仰せられます、『家の人に遺言をなさい。あなたは死にます。生きながらえることはできません』」。 2そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて主に祈って言った、 3「ああ主よ、わたしが真実と真心をもってあなたの前に歩み、あなたの目にかなうことをおこなったのをどうぞ思い起してください」。そしてヒゼキヤは激しく泣いた。 4イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ、 5「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。 6かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。 7そしてイザヤは言った、「干しいちじくのひとかたまりを持ってきて、それを腫物につけさせなさい。そうすれば直るでしょう」。8ヒゼキヤはイザヤに言った、「主がわたしをいやされる事と、三日目にわたしが主の家に上ることについて、どんなしるしがありましょうか」。 9イザヤは言った、「主が約束されたことを行われることについては、主からこのしるしを得られるでしょう。すなわち日影が十度進むか、あるいは十度退くかです」。 10ヒゼキヤは答えた、「日影が十度進むことはたやすい事です。むしろ日影を十度退かせてください」。 11そこで預言者イザヤが主に呼ばわると、アハズの日時計の上に進んだ日影を、十度退かせられた。
列王記下20:1-11
断食祈祷
自分が所属する教会(教団)は本日7月7日を断食祈祷の日として特別な祈りをささげることを掲げている。
イエス様も悪霊を追い出せなかった弟子たちに対して「このたぐいは祈りと断食とによらなければ、追い出すことはできない」と言われた。イエス様自身40日の断食をされているが他にも断食祈祷は行なっていたであろう。
聖書は「断食祈祷を必ずしなさい」と強制していない。却って断食祈祷をしていることを見せびらかすようなことを決してするなと戒めている。断食祈祷をしていかにも神様に対して敬虔であるかを見せびらかそうとせず、顔に油を塗り血色よく見せ決してその行為を誇らないように、また見せびらかさないようにと教えている。あくまで断食祈祷は神様との関係において神様にのみ心を向けることが目的である。この世の全ての執着するものから解放されて神様にだけ心を向ける、だからクリスチャンの行う断食には祈りが伴う。
昨日言われた、「祈りの力って本当にすごいんですよ」という言葉がまだ耳に残っている。
「主の大いなる日が急速に進んでおり、貴重な保護期間がわずかしか残されていないという事実を考慮すると、神の教会は霊的な無気力状態から目覚め、悔い改めとへりくだりを求めるべきである。シオンには、自分の霊的な達成度に満足している人がたくさんいます。彼らは、「富み、財を増し加え」、「何も必要としない」と感じています(黙示録3:17)。必要性を感じている人は、変化を起こすにはあまりにも無気力であるか、あるいは、不足分は後の雨の時に供給されると期待しています(TM507参照)。このような人たちはみな、シオンの見張り番のラッパの音で呼び起こされる必要があります。恵みの日が続いている今こそ、悔い改めを徹底的に行い、あらゆる汚れから魂を清めて、心に恵みの完全な働きをさせるべきです。」「(『SDAバイブル・コメンタリー』第4巻942p)
宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓