祈祷会

律法学者の義

今日は朝から楽しみにしていた祈祷会の日。毎週水曜日の夜19時から教会で行われる。祈祷会という名称はクリスチャンの間では一般的であるが教会外からすると何とも仰々しい名称に思われるかも知れない。要は参加者全員で心を合わせてお祈りをする集会である。聖書の中に次のような言葉がある。

また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。
マタイによる福音書18:19,20

この言葉に従って集まって心を合わせて祈る機会を設けている。祈る前に牧師先生がメッセージをすることもあるし聖書を輪読することもある。方法は様々であるがあくまでも祈ることが目的である。昨年は教会生活を全くしていなかったので祈祷会はおろか安息日の礼拝にも参加していなかった。時々牧師先生にお願いして教会を開けていただき礼拝堂でお祈りさせていただくことしかしていなかった。それがこの4月から教会生活ができるようになったので本当に嬉しくてたまらない。安息日の礼拝、聖書研究の時間も本当に心が満たされる。また祈祷会は今まで味わったことがないほどの祝福を毎週いただくことができている。だから水曜日は朝から祈祷会の時間を楽しみにしている。今日は祈りの前に律法学者の義とイエス様が教える義について学んだ。

わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
マタイによる福音書5:20

律法学者やパリサイ人のそれに勝る義とは何かを考え学んだ。

牧師先生ご夫妻

自分が通う教会には常駐の牧師先生がいない。なので遠く仙台から月に一度通ってこられる。この牧師先生は自分がかつて東京の教会で聖書学校をしていた時の生徒だった子である。聖書の学びをした後たくさん遊んだ。可愛らしい少年も今では立派な牧師先生となり私のようなできの悪い羊を養ってくださる。また、この牧師先生の他にもうひとりの牧師先生がいらっしゃる。この方は随分昔に牧師を引退されたが現役以上に忙しく走り回っている方である。今年で84歳であるがやはり仙台から車を運転して通ってくださる。青森では1週間滞在して病院の職員の霊性向上にためにご奉仕してくださる。青森の他にも広島や山形にいかれる。仙台の自宅にいらっしゃるときはおよそ200坪の農園で作物を育てる毎日を送っている。このご夫妻が本当に良い方でたくさんの慰めと励ましをいただいている。かつて自分が働いていた環境は牧師先生が2,3人いるような場所でいつでも必要があれば誰かしら牧師先生をつかまえることができた。しかし今は違う。通ってこられる牧師先生が青森の滞在してくださるのはおふたり合わせて10日間。それ以外の20日間は無牧の状態である。だから牧師先生に飢えてしまう。とにかく牧師先生とお話しさせていただき、あわよくばお祈りをしていただくことが一番の願いである。今回いらしている牧師先生ご夫妻はご高齢でありながら全国を飛び回っているが、決して楽な状況の中でいらしているわけではない。長年家族として生活してきたワンちゃんが極めて危険な状態だという。水も飲めず食物も受け付けないらしい。そのような中でワンちゃんを獣医さんに預けて1週間留守にするということは、青森滞在中にワンちゃんにもしものことがあるかも知れないことを意味する。自分も家族として一緒に生活していたヨークシャテリアを自分も腕の中で亡くす経験をしているのでどれだけ辛い気持ちで今回いらしているか容易に想像できる。それでも自分の事情を横に置いて養うべき羊のために青森までいらしてくださるのである。本当にありがたいことである。

【こころ食堂礼拝】「教会に集まれなくても」

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