祈祷会

パニック

今日は全てが上手くいかなかった。まずは仕事。今日から新しく透析の患者さんを黒石にある系列の老健施設に迎えに行くことになっていた。午前9時に来いと言われていたので他の患者さんの予定をずらしていただき迎えに行った。到着してまず驚いたのが車椅子だったこと。自分の運転する車は車椅子仕様にはなっていないためこのままではお乗せすることができない。しかも予定外というか、施設の方ではうちの医院に連絡をしていたようだが現場には伝わっていなかった。それはもうひとり外来の患者さんがいてその方も車椅子だということ。本当に困った。足が震えて途方に暮れてしまった。とりあえず患者さんたちを説得して車椅子なしで送迎車に乗っていただくことにした。これがひとつ目。次は子どもの「特別児童扶養手当」の受取人が自分名義になっているが離婚前提で話が進んでいるので妻の名義にして欲しいと言われていた。そのことを受け入れ自分の資格失効の手続きをしているのだが遅々としてこれが進まない。青森の役所職員もなかなか本腰を入れて動こうとせず書類を1ヶ月以上放置していた。今日も休憩時間に役場に行って進捗状況を尋ねたが相変わらずだった。昔の自分だったら怒り心頭で何らかの行動に出ていたと思うが今はそのような気力も無くなってしまった。ただ肩を落として役場をさることしかできなかった。そして決定的だったのは妻からのLINEと電話。特に電話は一方的に1時間喋られ罵声を浴びせかけ早く離婚に応じろと怒鳴られた。悲し過ぎて涙も出なかった。毎日真剣に祈っているのに何故こうなるのだろう、神様はどこに行ってしまったのだろう、もう神様に見捨てられたのかな?などと泣きながら考えていた。

解決

ずっと同じ祈りをささげているが事態はより深刻になって行く。いつも追い詰められて不安に押しつぶされそうになりながら何とか生きている状態である。自分はクリスチャンだし神様の力を信じる者である。だからどのような時も神様をあてにして生きているのだがこれだけ辛いとどうしても平安を求めたくなる。死にたいわけではない。しかし自分が平安になれるのは「死」という解決よってではないかと毎日考えている。そうではない、と言い聞かせながらも死による解決に憧れを感じてしまう。以前に行った城ヶ倉大橋。ここから飛び降りれば直ぐに解決する。そんな愚かなことを本気で考えてしまう。

祈祷会

今日も水曜日なので夜に教会に行った。祈祷会で祈るためである。祈る前に聖書から御言葉を与えていただいた。今日は

あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。

Ye are the light of the world. A city that is set on an hill cannot be hid.

マタイによる福音書5:14

という御言葉とそれに関連する書物から恵みをいただいた。聖書の言葉に触れて、また信仰を持って祈ること。これに勝る励ましはない。この祈りが神様に届いていることを確信している。しかし、なぜ祈りを聴いていらっしゃる神様はすぐに助けてくださらないのだろう。また悶々とした気持ちになる。祈祷会を終えて家に戻りこの記事を書いている最中に再度妻から電話がありまた離婚の催促をされた。悲しい気持ちになったが祈祷会で祈った後なので昼間よりは落ち着いている。神様に聞いてみたい。神様、いつまでこれが続くのですか?自分に平安は訪れないのでしょうか?そして神様はどこに行ってしまったのですか、と。

「それでも・・失望落胆しない生き方」

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“祈祷会” への2件の返信

  1. 私の考えで恐縮ですが、主に祈る時は結果を祈るのではなく、例えば「夫婦円満でありますように」と祈るのではなく、「妻を愛し大切にし幸福にすることが出来ますよに」のようにその手段を祈られると多大な力があると思います。
    私もあなたの年頃の時は妻と犬猿の仲でしたが、この祈りを毎日数年間続けて仲直り出来ました。夫婦円満は配偶者を愛する結果としてあると思います。この祈りを続けて私自身微妙に妻に対す態度が変わったように思います。まだまだ仲直り出来る機会はいくらでもあると思います。

    1. 素晴らしいご示唆をくださり誠にありがとうございます。大変参考になりましたしとても励まされました。教えていただいた祈りを実践していきたいと思います。心より感謝いたします。

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