エリシャ
朝早く起きたが、少し気持ちが重かった。理由は分からないが、信仰的に新たな活路を見つけると翌日落ち込むことが多い。サタンの攻撃なのか好転反応なのか。いつもならすぐに聖書通読をするのだが、今朝は聖書に手が伸びずしばらく「神様、助けてください」と祈っていた。30分ぐらいしてやっと聖書が読める状態になった。今日は列王記上の後半から列王記下の7章まで。特にエリヤとエリシャにフォーカスされる部分なので少し心が躍った。エリヤの生涯から信仰深い預言者の一面と弱さを示され逃げたり死を願ったりする生々しい人間的な部分を学ぶことができる。何度かエリヤについては記事を書いているので、今日はその弟子であるエリシャのことを取り上げたいと思う。
預言者エリヤはアハブ王の死後ホレブに向かった。そこで神様から3つのことを使命として言い渡される。
①ハザエルに油を注ぎアラムの王とする
②ニムシの子イエフに油を注ぎイスラエルの王とする
③シャファトの子エリシャに油を注ぎエリヤの後継者にする
エリヤはダマスコに向かう途中で預言されていたエリシャに出会い外套を彼に投げ、自分に従うよう招いた。ここからエリシャが預言者として召されていく。エリヤと行動を共にすることでエリヤに宿る霊について学びそれを継承した。エリシャも色々な奇跡を行ったであろう。そのいくつかが聖書に記録されている。
①飲めないエリコの水を、水源に塩を投げ入れることで清めた
②負債を返せず生活に困窮している預言者仲間の未亡人とその子を油を満たすことで救った
③常宿にしていたシュネムの婦人に子どもが授かるようにした
④シュネムの女の子どもが激しい頭痛の末息を引き取るがそれを生き返らせた
⑤毒の入った煮物を麦粉で解毒した
⑥20個のパンとわずかな穀物で100人の腹を満たし更にあまりがあった
⑦ナアマン将軍の思い皮膚病をヨルダン川に7度身を沈めることで癒した
⑧沈んだ斧を浮き上がらせた
⑨(死後の復活)
今日通読したところではないが列王記下13章では、エリシャの死後墓に葬ったがその後ある人が亡くなったので葬ろうとしたが、モアブの部隊を見かけたのでその遺体をエリシャの墓に投げ込んでそのまま立ち去った。ところが、その遺体がエリシャの骨に触れその人は生き返った。
エリヤの陰に隠れてしまいがちなエリシャだが彼もまた神様の道を正しく歩んだ模範とすべき預言者であった。
預言者の学校
サムエル記もそうだがエリヤ、エリシャの記事を読んでいると預言者仲間或いはその家族が次々登場してくる。サムエルによってラマやキリアテヤリムに建設された預言者の学校がその後預言者の学校は各地につくられた。エリヤ、エリシャの話を聖書で読んでいくうちに、預言者の学校に対する憧れが更に強くなった。
古代から、預言者は天の任命をうけた教師として一般にみとめられていた。預言者とは、最高の意味においては、神から直接に霊感をうけて語り、神からうけた言葉を人々に伝える者である。しかし、神から直接に霊感をうけなくても、人々に神のみわざや道を教えるために神から召された人々もまた預言者とよばれた。こういう種類の教師たちを訓練するために、サムエルは、神の導きをうけて、預言者の学校を設けた。これらの学校は、当時広くひろがりつつあった堕落に対する防壁となり、青少年に知的また霊的な幸福をあたえ、国家の指導者としてあるいは助言者として、神をおそれる思いをもって行動する能力のある人物を社会に送り出すことによって、国家の繁栄を増進させようとするのがその目的であった。この目的のために、サムエルは、神をおそれる知的で勤勉な一団の青年たちをあつめた。これらの人々は、預言者の子とよばれた。彼らが神のみ言葉とみわざを学ぶとき、生命を与える神の力は、その頭脳と霊性の力を活気づけ、生徒たちは天来の知恵をうけた。教師たちは天来の真理に通じていたばかりでなく、自ら神との交わりを楽しみ、神の霊の特別の賜物を授けられていた。彼らは、学識においても信仰においても、人々の尊敬と信頼を受けていた。サムエルの時代には、こうした学校が2つあって、その1つは預言者の故郷と言われたラマに、もう1つはキリアテヤリムにあった。後になって、他にもこういう学校が設立された。
教育 電子版 p31,32
学校でも、家庭でも、授業の大部分は口頭でなされた。しかしまた青年たちはヘブル語の書物を読むことを学び、羊皮紙の巻き物になっている旧約聖書をひもどいて研究した。これらの学校の主要な学科目は、モーセに与えられた教えも含めた神の律法、聖史、聖楽、詩歌などであった。聖史の記録の中には、エホバ神のみ足跡がたどられた。聖所の奉仕における型によって示されているとうとい真理が理解され、それらのすべての制度の中心となっている本体―世の罪を取り除く神の小羊―が信仰によって把握(はあく)された。生徒たちの胸中には献身の精神が培われた。彼らは、祈りの義務を教えられると同時にまたどう祈るべきか、どのように創造主に近づくべきか、神への信仰をどのように働かせるべきか、神の霊の教えをどのように理解し、どのようにそれに従うべきかということを教えられた。潔められた知性によって、神の宝庫である聖書から、新しいものや古いものがとり出され、神の霊は預言と聖歌の中にあらわされた。これらの学校は、「国を高く」すると言われている正義を奨励する上に、最も効果的な手段の1つとなった。これらの学校は、ダビデとソロモンの治世に光彩を放ったあの驚くべき繁栄の基礎を築く上に少なからぬ貢献をしたのであった。預言者の学校で教えられた原則は、ダビデの品性と一生を形づくったのと同じ原則であった。神のみ言葉がダビテの教師であった。「わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました。・・・・わたしはあなたのさだめを終りまで、とこしえに守ろうと心を傾けます」と、ダビデは言っている。神が、ダビデを若い時に王位に召し、彼を「わたしの心にかなった人」と宣言された理由はここにあった。ソロモンの青年時代にも神の教授法の結果が現われている。若いころのソロモンは、ダビデの選択をわがものとした。この世のどんな財宝にもまして、彼は知恵と悟りの心を神に願い求めた。神は、ソロモンの求めたものをお与えになったばかりでなく、彼の求めなかったもの―富と栄えまでお与えになった。ソロモンの理解力、広い知識、治世の栄華は世界の驚異となった。ダビデとソロモンの統治時代に、イスラエルは、繁栄の絶頂に達した。アブラハムに与えられ、モーセを通してくりかえされた神のみ約束―「もしわたしがあなたがたに命じるこのすべての命令を守って行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、主につき従うならば、主はこの国々の民を皆、あなたがたの前から追い払われ、あなたがたはあなたがたよりも大きく、かつ強い国々を取るに至るであろう。あなたがたが足の裏で踏む所は皆、あなたがたのものとなり、あなたがたの領域は荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテから西の海に及ぶであろう。だれもあなたがたに立ち向かうことのできる者はないであろう」とのみ約束は成就された。
教育 電子版 p32,33
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