雨が上がって

このところ寒い日が続き、ついに暖房を使わないと過ごせなくなってしまった。脂肪を蓄え寒さに強い体ではあるがそれでも寒さに勝てない。天候も影響している。ずっと雨が降っているので過ごしにくい日が続いている。そのような中、午前9時過ぎに雨が病んだ。実際にはその後も断続的に降ったりやんだりを繰り返し完全にやんだのは15時ぐらいだったが、午前に晴れ間が出た際「虹」が出た。丁度患者さんを二人乗せているときだったが、すごく綺麗で間近に見えたので「見てください、虹です」と思わず言ってしまった。患者さんも「綺麗だね」と虹を見ていた。運転中だったので何もできなかったが、患者さんを病院に降ろし、直ぐに広い場所に移動して写真を撮ってみた。残念ながら、先ほど見た大きな虹ではなくなっていた。本当に大きく太い虹だった。

契約

虹は神様が人間に対して約束してくださったことの印であると聖書は言っている。

 

「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。」

創世記 9:11-17 口語訳

神様は必ず契約、約束を守ってくださる方である。その約束を人間が忘れないよう色々な印を与えてくださった。例えば割礼もその一つである。

人間とは全くレベルも質も違う神様が契約を交わしてくださりそれを忠実に守ってくださる事は衝撃であり驚きである。

もしかしたら

神様との対話の中で、色々な気づきが与えられている。先日、災いについて考えていた。何故神様は人間に災いが下ることを許すのか?火による「聖霊のバプテスマ」を通して品性を清めるためなのか。ではなぜ、「災いから遠ざけてください」と祈ったのに災いに直面するのか?

前述の通り、神様は約束を守り祈りを聞いていてくださる方である事は間違いない。ならば、神様は祈りに応えてちゃんと「災いを遠ざけてくださっている」のではないか。災いと思える事は、全て災いではないのではないか、そのようなことを考えていた。

ある牧師先生から聞いたのだが「変装して近づいてくる祝福」と言う言葉が気に入っている。「災い」としか思えないことが、実は変装している「祝福」であると言うのだ。にわかには信じられないがそうなのかも知れない。虹を見ながら、神様がどれほど良いことをしてくださっているかを考えることができた。

「この時代」に関するイエス様の警告
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