真の実力

盛(兄、もり、仮名)、正(弟、まさ、仮名)との出会い

ある年、高等学校で「盛」の担任になった。このころの生徒は昭和末期生まれで日本が何につけ冷え込んでいた頃に子どもだった世代だ。共働き家庭が多く、子どもは小さなゲーム機をあてがわれ親の苦労を見ながら静かに暮らしていた世代。しかし全寮制の本校ともなると少し様子が違いこの学年は好奇心と探究心旺盛で「とにかくやってみよう」というチャレンジ精神に溢れていた。少し気を緩めると暴走する生徒を秩序ある集団にまとめるには更なる祈りが必要だった。しかし一人一人はとても心優しくホームルームにいるだけで教師の私の方が心癒される、そのような集団だった。中でも人一倍背が高くおしゃべりが大好きで気が利く盛はみんなの人気者で常に集団の中心にいた。実は彼のご両親をよく知っている。自分が高校生の時に働いていたアルバイトの直属の上司が盛のお父さん。同じ職場の別セクションでは盛のお母さんが働いていた。お父さんはその昔、憧れの「メンズクラブ」(通称メンクラ、トラッドを中心とした男性向けファッション雑誌)のモデルをしていた方だ。私が盛の担任をした時にはお父さんとお母さんは離婚され、お母さんが再婚して学校から30分ぐらいのところに引っ越してこられていた。盛は何かにつけ私のところに来ては面白い話を聞かせてくれた。そんなある日盛が「先生、今日はお願いがあるんです。弟の誕生日なので週末母と弟の住む家にいかせてもらえませんか」。学校のルールではこのぐらいの理由での外出はできない。「そうか、少し難しいかもしれないね」というと盛は家庭の事情を話してくれ、ご両親の離婚後母親に引き取られた弟とは数年会っていないこと、弟が自分に会いたがっていることなどを話してくれた。「わかった。任せておいて。」と彼の願いを受け入れた。教師会でどのような説明をしたのかは覚えていないが何かしらのマジックを使ったのだろう、許可がおりた。週末、彼を自家用車に乗せ途中で注文しておいたケーキを受け取り弟の「正」がいる家に向かった。家に着くと「先生も一緒に」と言われたが「車で待っているから何時間でもゆっくりしたらいいよ」と盛を送り出した。2時間ぐらい経った頃、盛が車に戻ってきた。「もう帰りますが母が先生にお会いしたいと言っていますから少しだけ中に入ってください。」と言われたので家に入ると懐かしいお母さんの顔。そして新しい旦那さん。実はこの方も面識がある。そして初対面の「正」。当時正は小学5年生。電車とバスで1時間以上かけてキリスト教系の学校に通学していた。
「初めまして。お兄ちゃんの担任です。」
「初めまして、正です。僕は飛行機が大好きで飛行機のエンジン音で機種が分かります。」
といきなり特技を含めた自己紹介をしてくれた。彼が住んでいる家は空港のすぐ近くで家の真上が航空路になっているためいつの間にかわかるようになったとのこと。そんな小学生の正とその後ずっと関わるようになるとはこの時想像もしていなかった。

中学生になった正

正は通学地獄から解放され全寮制の本校に入学してきた。自分のことをほとんど話さずただただ人のことばかり考える正、実は彼の家を訪問していた時にはすでに新しい父親からDVを受けていたという。後からお母さんから聞いた。なのでお母さんと正は家を出て東京の実家に戻っていた。その頃私は高校の教員だったので正との接点はあまりなかったが、中学校で働く妻が奇しくも彼の担任になった。妻は私の10歳年下。態度は10歳年上。彼女はとにかく生徒の話をゆっくりと聞く能力に長けている。正も妻に何でも話を聞いてもらえるので色々な相談をしていたようだ。一応、我が家にはルールがあって同じ学校で働くもの同士なので生徒や保護者の情報については家庭で話さないようにしていた。折角心を開き信用して色々な話しをしてくれる生徒が、情報の出所が分かり「この夫婦、家で自分のことを話している」とわかると急に心を閉ざしてしまう。何より生徒を傷つけてしまうのでこのようなルールを作っている、というより教員の守秘義務本能がそうさせていた。時々家に帰ると正が家にきていることがある。もちろん理由は聞かない。「よぅ、正。元気?」と声をかけるだけで妻との会話を邪魔しないようにしていた。

高校生になった正

正はそのまま高校に進学してきた。今度は私の担当だ。彼を2年、そして3年の時に担任として受け持った。正はおおらかで大雑把な盛に比べて緻密で計画通り物事を進めていくタイプである。盛と同じでバスケットボールが得意で周囲に対する細かい気配りができるため男女、先輩後輩関係なく信頼されていた。聖歌隊でもリーダーシップを発揮し創意工夫に長けている。学習には常に真面目に取り組み「これをやりなさい」と指示されるとずっとそれをやり続ける真面目さと根気強さがある。しかし、試験週が終わると決まって私の家に来る。いつも明るい正が暗い顔をする。「先生、僕ってバカなんですかね?なんでこんな点しか取れないんですか。怠けていないんです。すごく努力しているんです。努力しているのにこんな点なんです」。学業成績だけを見たら彼は「中の中」、或いは「中の下」。「正、点数で人の能力を測ることがいかに愚かなことか、よくわかる時がくるよ。点数じゃない。真面目にコツコツと実直に学び続けることこそ一つの結果じゃないか。日本はそのプロセスを結果として評価してくれない国なんだ。だから学校は人を育てながら人を殺す場所なんだよ。学校の価値観を自分の価値観にしてはいけない。じゃないと君も人を結果、点数でしか評価できない人間になってしまう。45点の物理のテストを堂々とお母さんに見せなさい。僕は毎日3時間物理のために使って勉強して45点も取れたよって報告しなさい」。こういうやりとりを毎回続けていた。因みに彼の飛行機熱は冷めるどころかどんどん熱くなり「パイロットになりたい」というのが彼の夢になった。夏休みや冬休みは羽田空港でアルバイトをしていた。今はなきJASの機材清掃のアルバイトだ。輸送を終えた航空機を次の出発までにセッティングする仕事。当時JASはエアバスを多く導入していたが時々コックピットの写真を送ってくれた。正の夢が叶ったらいいな。でも今の学力では少し難しいかな。

高校卒業後の正

正は高校を卒業して留学した。米国にある系列の大学にはaviationのコースがありそこで学ぶためだ。しかし、前述の通りお母さん一人の収入である。留学、しかもaviationともなると年間500万円ぐらいかかる。奨学金やローンを用いても300万円ぐらいはかかる。それはかなり厳しいことに思えたので一抹の不安があった。加えて正の英語力。そこまでできるわけではないことは本人も自覚している。本当に大丈夫なのだろうか。緻密で計画的な彼のことだから大丈夫、という気持ちとダメかもしれないという気持ちが交錯した。そんな周りの不安をよそに彼は私たちの見えていないものに目を向けて渡米した。時々くる彼からのメールには様々な近況は記されていた。妻と一緒に我が子を送り出した保護者のようにメールを読んだ。大学の聖歌隊で日本人として初めてリーダーになった、とか単発機で練習をしているとか、勉強はかなり苦労しているけど助けてくれる人も多い、等々。もう無理かな、と心配する頃になるとメールが届き「単発のライセンスが取れました」「双発で練習中です」などアップグレイドしていく様子が伝えられる。そうこうしているうちに結局彼は卒業した。卒業できた。いや卒業を果たしたのだった。卒業式にはお母さんも盛と一緒に米国に行ってその式典に参加し彼の卒業を祝福したという。文章ではなかなか伝わらないだろうがこれは奇跡の中の奇跡である。経済的、能力的に不可能と思える道が開かれたのだ。以前の投稿に出てくる歯科医の女子生徒もそうだがこういう奇跡が私の周りにはたくさんあるのだ。モーセが200万人のイスラエル人を率いてエジプトを脱出する時、追っ手のエジプト軍がすぐ後ろまで迫ってきた。無情にも目の前は葦の海。前にも後ろにも行けない絶体絶命のピンチで神様は葦の海を二つに分け水のない乾いた地をモーセに示した。そしてそれを進み全員が渡りきったところで水は元に戻って一つの海となった。追っ手のエジプト軍はそこで海に呑まれて滅んでしまう。まさにそのようなことが起きたのだ。帰国後彼は九州でライセンスの仕上げをしていよいよ就職することとなる。

トリプルに乗りたかった正

パイロットとして歩み始めた正が最初に就職したのがSKYMARK AIRLINESだった。ボーイング社の機材が好きな彼を待っていたのはB737だった。詳しいことはわからないが正がいうにはエアバスとボーイングは設計のコンセプトが全く違うらしい。エアバスは最終的な判断を最後まで冷静なコンピュータに任せる設計、対してボーイング社は最終判断をパイロットの技術と力量に任せる設計。で、正はボーイングが好きらしい。当時SKYMARKは経営も不安定であったが彼の英語力が大きな武器となって採用されたらしい。確かに聞いていてすごく綺麗な英語を喋る。パイロットになりよく写真を送ってくれていたが当時のSKYMARKは制服がポロシャツ。機材の前で写る正はパイロットには見えずどう見ても整備士さん。でも彼は嬉しそうに日本中の空を飛んでいた。その後別の会社に移った。今度はANK。ANAに入社したかった正は少しでもANA色に近いところということでエアー日本に入社した。新千歳ー広島路線が多く彼と会うことが多くなった。何度も家に遊びに来てくれた。ただ、この会社の体質らしいが上下関係が理不尽に厳しいらしい。結局ここも4年ぐらいで辞めてしまった。そしてついにずっと乗りたかったB-777(トリプル、トリプルセブン)に乗れる会社を見つけた。EVA AIRだ。彼は東京在住なので通勤は飛行機。家を出て出勤、台湾に向かう。そこから海外路線で777を操縦するのだ。田舎の山奥でスーパーカブに乗っているおじさんとは住む世界が違う。しかし、いつも彼はあの少年「正」、また試験のたびに落ち込んでいた「正」のままで謙遜で心優しい人間だ。自分が神様という存在を信じる理由がいくつかあるが、その一つが正のような奇跡の生き証人がいることだ。人の力や経済力で判断したら正がパイロットになれるはずがない。しかしその背後でずっと働き続け導いた神様がいるから彼はパイロットになれた。正に聞いたことがあった。「よく頑張ったよね。正直いうと少し無理なんじゃないかとも思っていたんだ」というと「僕も何度もダメだと思いました。でも不思議なことにいつも必ず助けてくれる人がいたんです」。彼はわからないことを「分かりません」ということに躊躇しない。恥ずかしさを捨てて素直にわからないものはわからないと言えるのである。これってできそうでなかなかできないことである。特に男性には難しい。「分からない、出来ない」はイコール「恥」と思っている人が多いからだ。さり気なくできて、なんでも分かって「凄いね」と言われたいのが男性である。正は何でも正直に自分をそのままさらけ出せるから、彼の周りには「正を助けたい」と思う人がいっぱいいたと言う。教師として人の実力というものを考えるときにいつも正のことを思い出す。学校も社会も結果を出せた人を力のある人、優秀な人と評価する。ではその結果とは。試験の得点や営業成績、企画の成功率、収入、を結果とするのが社会である。しかし、正のように「素直に生きる、自分をそのままさらけ出し、分からないことをわからないと言える」ことも実力のうちではないだろうか。30年以上教員をしているから色々なタイプの生徒に出会う。周りから「頭の良い人」と思われている人は結構かわいそうだ。「分からない」と言えない、言わせてもらえない雰囲気があるからだ。だから知ったかぶりをする。それが蓄積されて結局学力も伸びないし夢も叶わない。等身大で生きられない、知ったかぶりの末路はかわいそうである。日本の社会が本当の力、本当の人間らしさを評価できるようになったらもっと多くの人が幸せになれるのに、と思う。

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