受験用推薦書
今までどれほど多くの推薦状を書いてきただろうか。高校3年生の担任ともなれば毎年数十通の推薦書を書かなくてはならない。進学指導、進路指導を担当する時期が長かったので各種推薦書を書いてきた。推薦文だけを読むと「いったい誰のことだろう?」と思うほどの文章を書くので毎年いくつかの大学から受験生が指摘を受けてくる。「この書類は担任の先生が書いたのですか?」と質問されるらしい。受験生よりも推薦文に興味を持つらしい。国内だけでなく海外の大学にもRecommendationを書く。勿論稚拙な英文しか書けないから手伝ってもらう。また奨学金や就職先に対する推薦文も書く。稀に自分の名前で書く推薦書もあるが、基本的にはどれほど良い文章、面倒な文章を書いたとしても書類作成者は校長になる。全責任を校長が負ってくれる書類なのだ。教頭になってからは自分の名前で推薦書を書くようになったが、場合によっては推薦文によって合否、可否が決まることもあるので生徒の特性をしっかり捉え誇張の少し手前の文章を書く能力が求められる。
信徒が推薦状
パウロはコリントの信徒に対して、信徒自身がキリストの推薦状だと言っている。
パウロは、コリントの兄弟たちを、彼の推薦状と見なした。彼は、次 のように言った。「わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それ は、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読ま れている。そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られた キリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石 の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあ らわしている」。
患難から栄光へ電子版p249 患難と栄光
肝に銘じる
抜粋の文章は「牧師」と書かれているが、今現在イエス様を信じておりイエス様をのべ伝えようとする全ての信徒に当てはまる言葉だと思っている。いくつか思い当たることがあり、まさに自分のことだと肝に命じた文章である。
真の牧師は、主の働きをする。彼は、自分の働きの重要性を感じ、自 分の教会と世界とに対して、キリストが持続されたのと同様の関係を持 続すべきことを自覚する。彼は、うまずたゆまず、罪人をもっと高尚な 生活へと導き、勝利者の報賞を彼らに得させようとする。祭壇からの燃 える炭が彼のくちびるに触れ、彼はイエスを、罪人の唯一の希望として 掲げる。彼の説教を聞く者は、彼が、熱烈な力ある祈りによって神に近 づいたことを知る。聖霊が彼の上にとどまり、彼の心は燃えさかる天か らの火を受け、彼は、霊によって霊のことを解釈することができる。彼 には、サタンの砦を破壊する力が与えられる。人々は、神の愛について の彼の説教を聞いて、心をくだかれ、多くの者が、「わたしは救われるた めに、何をすべきでしょうか」とたずねるに至る。
患難から栄光へ電子版p250 患難と栄光
土の器
パウロは、続けて言った。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の 中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたち から出たものでないことが、あらわれるためである」。神は、罪なき天使 たちによって神の真理を宣布することもおできになったが、しかしこれ は、神の計画ではない。神は、神の計画を実施する器として、弱さを持 った人間をお選びになる。この上なく貴重な宝が、土の器に盛られる。 神の祝福は、人間によって世界に伝えられるのである。彼らを通して、 神の栄光が、罪の暗黒の中に輝き出るのである。
患難から栄光へ電子版p251 患難と栄光
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