原点

楢葉の思い出

少し前からアルバムの整理をしている。今と違って写真はプリントして台紙に貼る時代が長かったので100冊を超えるアルバムがある。写真を一枚一枚剥がす。これからデジタルデータ化するかは思案中だがとにかく写真を残してアルバムそのものは処分したい。そんな気持ちで始めたが懐かしすぎて作業が進まない。何も知らないで笑顔で写る自分に対して将来はこうなるよ、と教えてくなる。笑っていられるのも今のうち、と言ったところだろうか。

色褪せる写真がより一層過去の記憶を鮮明にする。これからも懐かしい写真がたくさんでてくることだろうが、楢葉で過ごした中学生活を思い出させる写真が見つかった。自分の通った中学校は全寮制の学校だったがはじめは千葉県にあった。今は「袖ヶ浦」と言っているが、自分がいた頃は「長浦」とか「楢葉(ならは、ならわ)」と呼ばれていた。中学2年に進級するときに広島県賀茂郡(現在の広島県三原市)に移転したため千葉で過ごした時間はたった1年であった。が、この1年がとても印象深く心に残っている。「大草原の小さな家」を思わせる小高い丘があり、洋風の建築物に異国情緒を感じていた。芝生とその間に設けられたサイドウォーク。ミッションスクールで外国からの宣教師や海外生活経験者が多かったことから随所に米国の雰囲気があった。東京都板橋区には無い雰囲気に圧倒される毎日だった。かなり長い期間、ホームシックに苦しんでいた。学校は好きだったけど家族と離れていることに違和感を感じ続けていた。高校に姉がいたので土曜日の午後は姉に会いに行っていた。寂しかったけれど、先生方の信仰心には常に圧倒されていた。自分が「預言者の学校」を実現させたいと思ったのは、実は自分が育った中学校の経験が大きく起因している。変な言い方だが、先生方は本気で神様を信じていた。人生をかけていることが、ホームシックに悩む中学1年生にもよくわかった。イエス様と同じように生きていらした富永校長先生、信仰があれば何でも可能なことを実物教訓として教えてくださった近藤先生はじめ全ての先生が信仰生活の模範だった。預言者の学校だから、先生方も全員預言者でなくてはならない。先生方はそれを自覚しておられたのだと思う。

責任

人に影響を与えられる生き方は素晴らしいと思う。「インフルエンサー」のことではない。口先や書いた文章で影響を与えるのではなく生き方を通して周りの人を励まし、支え、そしてイエスキリストに導ける人。自分はそういう人物になりたい。なかなか実践できないが「あなたの隣に、あなたを決して離れないイエス様がいます」と言って共に祈れる人になりたい。真理を知っている自分が負っている責任は計り知れない。

今日読んだ書物に次のような言葉があった。

どの魂にも責任が負わされている。大牧者イエスは、1人1人に、「あなたに賜わった群れ、あなたの麗しい群れはどこにいるのか」と要求される(エレミヤ 13:20)。「主があなたを罰されるときあなたは何と言うであろうか」(エレミヤ 13:21・英訳)。
各時代の希望電子版 p679  わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者

自分の責任に対して誠実、忠実でありたい。

25 Ryoko Furuya【私と俺と神様】

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