必要な資格

イエス様を愛すること

キリストがペテロにされた質問には深い意味があった。キリストは、 弟子であることと奉仕とについてたった1つの条件を述べられた「わたしを愛するか」と、主は言われた。これが必要欠くことのできない資格である。ペテロがほかのあらゆる資格をそなえていても、キリストの愛がなければ、彼は主の羊の群れを飼う忠実な牧者となることはできない。 知識、慈悲心、雄弁、感謝、熱意はすべてよい働きの助けとなる。しかしイエスの愛が心のうちになければ、キリスト教の牧師の働きは失敗で ある。
各時代の希望電子版 p864   もう一度海辺で

反省

少し前にある方の本を読んだ。本ではあるがキリスト教のメッセージが綴られているものである。その中に非常に考えさせられる言葉があった。

ひとつのことを理解すべきです。イエスキリストは、実に、真理を理解している人たちによって十字架につけられました。イエスキリストは安息日を守っている人たちによって殺されたのです。そして最近になって、安息日を守っている人々によって聖霊の神様が抹殺されています。
 真理を信じているはずの人たち、真理を説き、教えている人たちが、真理に生きていないのです。そういう人たちは世界で最も危険な人たちというべきです。その人たちというのはSDAなのです。残念ながら多くのSDAの人たちが、聖霊の影響を無視し、殺してしまっているのです。真理をただ知的に理解しているだけで、真理に生きることをしないなら、ただ真理の知識だけを持っていて実践しないのなら、そのことによって、真理を破壊してしまっているのです。
(セブンスデー・アドベンチストを外部から攻撃しているわけでは無い。著者はセブンスデーアドベンチストのメンバーである)

どれだけ素晴らしい真理を知っていても愛がなければ一切は無益、ということを反省させられた。

本当の愛など自分の中には無いことを自覚している。イエス様を愛する愛はやはりイエス様からいただく以外に方法は無い。

いま多くの人々がそうであるように、ペテロはそれまで肉体をとられ たキリストしか知らなかった。しかしいまはもうこのような限られた見方はしなかった。彼は、人性をとられたキリストと交わっていた時のような見方はもうしなかった。彼はイエスを1人の人、天からつかわされた教師として愛していたが、今はイエスを神として愛した。彼は、キリ ストが自分にとって何ものにもかえがたいお方であるという教訓を学んできた。いま彼は、主の犠牲の使命にあずかる用意ができた。ついに十字架の前につれてこられた時、彼は、自分からたのんで、さかさまにはりつけられた。彼は主と同じ方法で苦難を受けることはあまりに名誉すぎると考えたのであった。
各時代の希望電子版 p865  もう一度海辺で

57 Naoe Matsuda【私と俺と神様】

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