脱帽

クリスチャン

自分は殆ど面識がないのだが妻が良く挨拶をする高齢のご婦人がいらっしゃる。二軒先に住んでいらっしゃる方で時々玄関が開いていることがある。見るとはなしに何となく玄関が視界に入ってしまう。いつも整理整頓されている玄関。妻はこのご婦人に会うたびに世間話をしているらしい。会話の端々に「祝福」という言葉が聞こえて来るので「もしかしたらこの方はクリスチャン?」と思っていたようである。

伝道

先週の土曜日、安息日に教会へ行こうと家を出るとこのご婦人の玄関先に何やら椅子が出ていた。二脚の椅子の上にはA3サイズの紙が二枚。ファイルに入れられた手紙の文字を見て驚いた。

じっくり見たわけではないので正確ではないがエゼキエル書の言葉が書かれていた。そしてその下には「神様は私たちが祈ることを心待ちにしておられる。今すぐ祈りましょう」「希望は失望に終わることはなく全ての祈りは神に届いています。」「大切なことは祈って、神様の時を待つこと」と書かれていた。

やはりこのご婦人はクリスチャンなのだろう。しかも

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」

のようによく教会の玄関に掲げられている言葉ではなく、どちらかというと既に信仰生活を送っている人に向けて書かれたメッセージのような言葉。

昨日、そして今日もまた別のメッセージと聖書の言葉が書かれていた。

模範

クリスチャンとして周りの方々にイエス様を紹介したいと常に願い祈っているのに、自宅の玄関に聖書の言葉や励ましになるメッセージを掲げることは自分にはできない。そもそもそういう発想がない。

通っている教会では信徒さんの体験談が語られることがある。職場やご近所のお友達を教会に招きイエス様を紹介しバプテスマに導くお話である。そういうことができない自分を恥ずかしく思う。近いうちにこのご婦人とお近づきになって色々とおはなししてみたいと思っている。こういうことが不得意分野なので妻にも助けてもらおう。

クリスチャンとして誠実に生きる方々の生活ぶりは全て自分の模範となる。

「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。」

ヨシュア記 1:9 口語訳

 

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