神様の応答

Apple Pencil 2

祈りながら、迷いが生じることがある。そんな時に神様に何が正解なのかを教えてくださいとお願いする。また、自分の祈りが御心にかなっているかどうかがわからなくなる時、印を求める祈りをすることがある。イエス様は終末時代に与えられる印はヨナの印以外には与えられないと仰っている。またみ言葉を通して多くの示唆を与え正解に導いてくださる。しかし、時として個人的な祈りに応えるべく印を与えてくださることがあるように思う。少なくとも自分はそのような経験を何度もした。

ここ数日、というかいつもそうであるが悶々とする日々が多く祝福の印、いつも神様が一緒にいてくださり守ってくださっていることを分かりやすく教えてください、と祈り続けていた。実は、先日も投稿の中で紹介した聖書の言葉が自分に対する約束として受け止めて良いのかどうかをずっと神様に祈り求めていた。このみ言葉を後ろ盾にして大胆に恵みの座に近づくことが良いことなのかどうか自信がなかったのだ。

その御言葉が

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
創世記 28:15 口語訳

である。この御言葉を忘れないよう家中に貼ってある。またこの聖句を歌にして覚えている。それほど自分には欠かせない、掛け替えのない御言葉なのである。しかしこれは兄との再会で恐怖と、神様を信頼する信仰との狭間で心が揺れ動いているヤコブに対して与えられた言葉。ベテルでの非常に限られた場所、対象、時、背景に与えられた神様からの言葉である。これを自分に対して語られていると受け止めて良いものかとずっと思い悩んでいた。そんな悶々とした思いが背景にある中で、神様が共にいてくださる印を求めて祈っていた。以前のように「このような印を与えてください」とは祈らなかった。ただ自分にわかる方法で教えてくださいと祈った。

神様が自分の前から消え去ったApple Penchil 2。これについても無いと不自由ではあったが、ノートとペンがあれば事足りるので、必要ならば神様が与えてくださるだろう、と真剣には探していなかった。一応心当たりの車のディーラーには探しに行ったが無かったのですっかりこのことを忘れていた。ところが今日になって急に…。

一日の送迎業務が終わって最後の消毒、吹き上げ清掃をしていた。常に助手席には人を載せないので助手席側のドアを開けることが殆どないのだが、今日は消毒のついでに助手席側のシート下も拭き掃除をした。普段はやらないのに今日に限って何と無くやった。シート周りを全て消毒して、ドアを閉める前に何気なくドアの内側にある深めのポケットに手を入れたら少しゴミらしいものが手に触れた。捨てようと取り上げてみると、ゴミの中からなんと探していたApple Pencil 2が出て来た。絶対におかしい。ここには絶対にあるはずが無い。助手席に落とすわけないし、ドアのポケットに入るわけがない。なのにあった。

偶然なのかもしれない。しかし、自分にはこれが神様からのメッセージであることがよくわかる。

「私はここにいるよ、片時も離れずあなたのそばにいるよ」

と語りかけてくださっているのが良くわかる。

今日の御言葉

今朝与えられた聖書の言葉である。

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」
ピリピ人への手紙 2:13 口語訳

【字幕】死ぬとき生まれる時(人生がどん詰まった時どうしたら良い?)

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