責任

ある事故

しばらく前のことだが職場のある機器に不具合があった。正確に言えば毎月点検を受けている機器でそろそろ部品交換の時期だと言われていた。日程の調整ができたので部品交換をお願いした。さほど難しい作業ではなく3時間ほどで終了するとのことだったが余裕をもって4時間を想定してその機器を使用不可状態にしていた。

別に自分が部品交換に立ち会う必要もなかったのだが少し気になり終了時刻の17時に現場にて立ち会った。が、まだまだ作業が終わる様子はない。もうすぐこの機器を使うっことになるのだが間に合うかどうかが分からない。作業員に質問しても首をかしげるだけで明確な回答がない。そしてついに終了予定時刻を過ぎてしまった。その間に発煙もあり一時騒然とした。

結局この日に復旧はできず修理は翌日に持ち越された。翌日も正午に再度発煙騒ぎがあった。これは尋常ではないと思い東北支社ではなく川崎の本社が直接対応するよう強く要請した。本社から東北支社に連絡があり、東北支社の対応が急に変わってきた。

それにしても作業が進まない。不具合が起こっている場所が特定できないらしい。本社からも毎日応援が来て、それでもダメなのでこの機器を設計した部門が来た。それでも難航し結局修繕が終わったのが作業開始から8日後だった。この間にこの機器を使えずに発生した損害は計り知れない。

取り返しのつかないこと

最初に本社に連絡したことから、何となく自分がこの件の担当になってしまった。賠償請求なども視野に入れながら、一方でこの機器を必要としている患者様のことで胸を痛めていた。これが使えないために入院をお断りした患者様が数名いらっしゃった。

しかし、最悪の結果を招いたのは検査と処置を受ける予定の患者様だった。結局検査と処置ができず、院長自ら他院をあたりやっと受け入れてくれた病院まで院長が救急車に同乗して搬送される事態となった。

昨日、職場の会議で例の搬送された患者様が転院先で亡くなったと聞かされた。こちらを出る時にはしっかりと受け答えもできていたようだが状態が急変したらしい。院長曰く「その機器が使えていたらこの患者様の運命も変わっていたと思う」とのこと。

この会議以降、自分が患者様の命を奪ったという負い目が払拭できない。

命の職場

退職を決断してから色々な悩みがある。状況がなかなか前に進まないので「もしかしたら、退職は神様のご計画ではないのかもしれない?」と思ったこともしばしば。そして短い期間ではあったが一緒に働かせていただいて同僚のことを思うと寂しさと心配で後ろ髪をひかれる思いである。しかし、一方で昨日の院長からの報告を聞いて、自分は絶対に命の職場、命を直接左右する職場で働いてはいけないことを痛感した。やはり退職は正解だった。

「むなしくは戻らない」伊藤滋牧師2022年8月20日

 

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