浪人時代について

失意のどん底

高校時代、3つのことを決心してスタートさせた。

①毎日最低5km、できれば7km以上走ること。

②自分が決めたことはどれだけ辛くても最後までやり続ける。

③うまくいかなくても自分以外のせいにしない。

中学校からの継続ということでサッカー部と聖歌隊に所属した。特にサッカー部の練習はかなり厳しかったが練習の前か後に必ず7kmは走るように心がけた。お陰様でこれは高校を卒業する時まで継続することができ、3年次には校内で一番速く走れるようになっていた。恐らく3年の時に出した1500mのタイムは未だに更新されていないのでは無いかと思う。聖歌隊の練習も結構きつかった。先生はとても穏やかな方だったが2つの聖歌隊に所属していたため練習がほぼ毎日行われるような状態だった。コンサートの前などは自習時間も練習に充てていたので勉強にも支障が出ていた。そのような中、受験を考えていたので受験勉強の時間を捻出するのが結構大変だった。朝があまり強く無いので毎朝5時に起きて勉強に励んだ。同級生には4時、あるいは4時半から取り組んでいる人もいたので自分は遅く起きる方だった。夜は日付が変わるまで勉強するようにしていたので毎日睡眠時間は4時間半ぐらい。四当五落と言われていた時代だ。また休み時間も教室の移動以外は席を立たずに英単語の復習などをしていた。勉強時間が足りなかったが、それでもクラブや聖歌隊は決して辞めなかった。自分はどちらかというと頭の回転が遅い方なので人の何倍も努力しないといけなかったが可能な限り自分を追い込んで学習した。少なくともそのつもりだった。だから、どこかに合格できるような気がしていた。しかし、結果は全部不合格。1つも受からなかった。今でも覚えている。最後の合格発表が「芝浦工業大学」。今のようにネットで合否がわかる時代では無い。合格発表の日に受験上まで行って掲示板で合否を確かめるのである。朝、家を出る時、おもむろに父が封筒を渡してくれた。「万が一今日合格していなかったらこのお金で予備校の入学手続きをして来なさい」と言われてお金を渡された。悔しいやら申し訳無いやらで気持ちが爆発しそうだった。芝浦工大まで行って合否を確認したがやはり名前はなかった。あれほど頑張ったのに…。頑張りが評価されるのではなく頑張った結果として得点できた人が評価されるのが受験だ。自分は評価されなかったのだ。何か社会が「お前は不要な人間なんだ」「お前は役に立たない、いてもいなくても同じ存在なのだ」と言っている様な気がして、気づけば新宿のホームで泣いていた。あの界隈に予備校がある。代々木、高田馬場。いくつか行ってみた。●●予備校、●●ゼミナール、●●学院、●●塾。地名を変えただけで基本的にこの4つのパターンの使い回し。どこも自分には合わない気がした。というよりそもそも浪人する気持ちになれなかった。

落ちこぼれ

来年合格したいから浪人するわけであるが、自分はそのスタートラインにすら立っていない。社会からつまはじきにされた気がしたので、素直に浪人という社会のシステムに自分を適応させることができなかった。結局色々と考えた挙句、新宿から中央線で高円寺というところまでいきその駅前にあった予備校に入学することにした。昼間部ではなく「夜間総合文理コース」というコースだ。ここなら昼間部のおよそ半額。これにオプションとして午後からの単科ゼミを受講すれば良いと考えた。朝から自習室は使える。しかも、真面目にやる気になれなかったのでその足でアルバイトも決めて来た。真剣に浪人するのではなくアルバイトをしながら様子見をしようとしていた。実際6月半ばまでアルバイトをしていた。しかもこの頃パチンコも覚えた。友人が教えてくれた。今、その実力はないと思うが当時はアルバイトをしなくてもパチンコで稼げる程度の腕にはなっていた。浪人時代に一番嫌だったことは「今何しているの?」と聞かれることだった。「浪人している」と言えず、しかし大学生でも高校生でもない。仕方がないので「高校と大学の狭間にいます」と答える様にしていた。本当に自分が落ちこぼれたことを自覚する1年だった。夕方から夜の講習に入る休憩時間にバルコニーに上がり外を眺めるのが習慣だった。目の前を総武線、地下鉄東西線が走る。ちょうど5階のバルコニーと電車の高架が同じ高さなので時々電車内の人と目があう。みんな疲れた様子で下り電車に乗っていた。しかしその疲れた様子が自分にはものすごく格好良くて羨ましかった。「この人たちは社会から必要とされ、今日も社会に貢献して疲れているんだ。凄いな!」と心から感心していた。それに比べて今の自分の惨めなこと。本当に情けなかった。

母親への反抗

自分は親を尊敬しているし大好きである。が、この浪人時代は気持ちが荒んでいて、親に対してとても反抗的だった。社会に反抗できない分、親に八つ当たりしていた。特に母親にはひどい対応をし続けた。本当に申し訳ない限りである。母は小言をいうこともあるが浪人時代に自分を叱りつけたことはなかった。また母はどれだけ前日怒っていても翌日は必ず笑顔に戻っている。その様な安定した親だから余計に反抗していたのだと思う。ある日食事にすき焼きが出て来た。少し嬉しかったが顔に出してはいけない。家では笑顔を見せないことにしているから。母が気を使って「お肉、たくさん食べなさい」と言って私の器に取り分けてくれた。嬉しかったはずなのに「肉は嫌いなんだよ」と思ってもいないことを言ってしまった。「あ、そうだったの。じゃぁ、野菜をたくさん食べて」と言って野菜を入れてくれた。それ以降自分の器に肉はのらなくなった。肉を1年間食べなかったら本当に嫌いになってしまった。昔はあれほど好きだったのに今では肉を触ることすらできないビーガンになってしまった。本当に母親には申し訳ないことをしてしまった。

予備校の校内模擬試験

高円寺の駅前にある予備校は、電車だと40分ほどかかるが環七を通るバスを使うと20分で着ける。通学には不自由しなかった。高架下にあった長崎ちゃんぽんのお店は安くてとても美味しかった。ちゃんぽんが確か260円だった気がする。予備校には面白い人がたくさんいた。毎日(冬でも)裸足でくる人。靴下を履かない裸足ではなく靴を履かない裸足の人。何かの願掛けか修行なのか。ずっと教務課の人だとばかり思っていた人が実は東大一直線の3浪の人だったとか。ある英語の先生は「今度の日曜日に201教室に集まってください」と告知してきたので補講でもしてくれるのかな、と思ったら「僕のコンサートを行います」と言っていた。高円寺阿波踊りにも予備校挙げて参加する。色々なグループが阿波踊りを披露する中で一際活気がなく沈んだ表情なのが我らが予備校生たち。冬の風物詩とも言えるのが大晦日の徹夜授業。毎年テレビ中継が入るほど有名だった。今は芸術系コースのみの予備校になっているようだ。この予備校で週に一度校内模擬試験が行われる。科目ごとに順位が出され上位20位までは名前と出身高校の名前が予備校前の掲示板に貼り出される。通行人が見える所に貼り出されるのだ。私も数回物理で名前がでた。自分の名前はどうでもよかったが出身高校の名前が出るのはとても嬉しかった。そうなのだ、物理はそこそこ成績がよかった。しかし数学が致命的なのだ。先生からも進路を変えるようにアドバイスされるほど深刻な成績だった。どんなに頑張っても点数が取れない。できる科目と全くできない科目で悩む日々が続いた。

父との洗足式

なかなか理解してもらえない儀式がキリスト教会にはある。教団教派によってやり方は違うが一般には聖餐式、と言われる儀式がそれだ。私の協会では聖餐式の前に洗足式という儀式を行う。これはイエスキリストが師であるにも関わらず弟子たちの足を洗われたことを記念して、2人ひと組になり足を洗い合う。椅子に座っている人の足をその正面に跪くもう1人が祈りの後に片足ずつ洗面器で足を洗うのである。この儀式の後、聖餐式と言ってパンとブドウジュースをいただく儀式に移る。浪人時代のある時この洗足式があった。自分は教会に数名の友人がいたので、誰とやろうかなと探していると後ろから「今日は一緒にやろう」と父に誘われた。正直言って恥ずかしかったし断りたかったがその理由が見つからなかった。結局父とやることになった。父がまず私の足を洗ってくれた。父が私のために祈ってくれている。少し周りもざわついていたので何を祈っているのかよく聞こえなかった。が、次の瞬間まだ水の中に足を入れていないのに、足に水がかかるのがわかった。祈りの最中なので目をつぶっていたが、それが何かを確認するために薄眼を開けると、父の涙だった。自分も泣きそうになった。その瞬間に何かが分かった気がした。今まで自分だけが落ちこぼれで、自分だけが辛くて、自分だけが肩で風をきって社会に反抗しようと考えていたけど両親は自分以上に傷ついている、と気がついた。こんなことも分からないから浪人するのだと、改めて自分の愚かさに気づかされた。この時から将来に対する不安は解消されないまでも、一人ではないという気持ちになれた。

目標を見定めて、敢えて後退

結論から言えば色々な方にお世話になり、また多大な迷惑をおかけして何とか浪人生活は1年で卒業できた。人生で味わった最初の大失望の経験だった。しかしこの経験があったからこそ次のステップ、さらに厳しい試練に遭遇しても自死を選ばないで生きられたのだと思う。受験、あるいは大学という明確な目標を見定め、努力してそれを乗り越えれば良いわけである。高跳びの選手は軽く走ってバーの高さを確認すると、目の前の目標に背を向けて敢えて後ろに下がる。当たり前である。助走のために後退するのだ。浪人生活は自分にとって助走のための後退であった言える。人生にも同じようなことが言える気がする。目標が高ければ高いほど助走をつけなければならないから遠くに後退する必要がある。人生で後退を余儀なくされている人がいるとするならば、それは聖書的に言えば更なる飛躍に必要な経験と言える。イエス・キリストという人は公の生涯に入る前にバプテスマ(洗礼)を受けた。その直後荒野に導かれ断食をする。そして悪魔から3つの誘惑を受ける。祝福を受けるために神がまず用意されるのは「荒野の経験」即ち「後退」である。この経験をしている人がいるならば是非勇気を出していただきたい。荒野は祝福に変わる。父が私の辛いときによく言ってくれた言葉がある。
「1日で最も暗いのはいつかわかるか?」
「真夜中」
と答えると
「違う、夜明け前だ」と。最も暗い次の瞬間、夜が明けることを忘れないで欲しい。

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