生まれ育った街
別のところにも書いているが自分は東京で生まれ育った。池袋から東武東上線で4つ目の中板橋が最寄り駅だ。駅までは徒歩で7分ぐらい。その途中で川越街道を横断する。余談だがこの付近に大地主のSさんという人の家がある。家自体も大きいが庭が兎に角広い。また周辺の土地も多く所有しており、実は我が家もこの人が所有する土地を借りていた。それを自分が小学4年生ごろに両親が頑張って買い取った。このSさんが10年ほど前にニュースに出たのでとても驚いた。殺人事件でSさん夫妻が亡くなったのだ。どういう事件なのかは分からないが兎に角驚いた。自分は川越街道から50mほどのところに住んでいた。大谷口北町というところで小学校までは徒歩で3分ぐらい。小学生の頃は東上線で通勤してくる先生方が自宅前を通るので鉢合わせることも良くあった。小学校の後ろ側には日大病院があり少し足を伸ばすと水道タンクや交通公園などがありその付近が自分の遊び場だった。家は商店街の中程にあり呑み屋さん、スナック、化粧品店、そして友達の家でもある写真屋さん、魚屋さん、時計屋さん、八百屋さん、お寿司屋さんがある。高学年の頃に当時としては非常に珍しかった高層のマンションが建ちそこに住む友達も転校して来てクラスメイトになった。下校すると習い事の時間まで友達と遊んだ。誰と遊ぶかによって遊び場所も異なるが、同級生は大谷口北町と上町の両方にいたので待ち合わせ場所は大体小学校裏の公園。通称「怪獣公園」。今はかなり変わっているようだが自分が小学生の頃はここがプールになっていて大きな怪獣の口から水が出る仕組みになっていた。冬場はこのプールサイドでローラースケートを楽しんでいた。野球やサッカー、ビー玉やめんこ、コマ、銀玉鉄砲などが主な遊びだった。歳をとったせいかひどくあの頃が懐かしくGoogleマップでその周辺を検索しては当時を思い出すことが多くなった。友達の家も検索して「まだここに住んでいるのかな?」などと想いを馳せる。大学を卒業して家を出るまでずっとこの家、この街で育った。ひどく懐かしい場所であり今でも帰りたくなる場所である。
帰りたいところ
思い出の場所は色々ある。中学1年の時に過ごした千葉県の中学校。中学2年からは学校ごと移転してしまったので千葉の中学校にいたのは1年だけだったがとても懐かしい。アメリカの大学を思わせるキャンパスで時々自分が天国にいるのではないかと錯覚してしまうような桃源郷だった。場所もそうだが何も心配しないで過ごせた両親のもとはひどく懐かしく帰りたい場所である。自分は小学校低学年の頃とても身体が弱く、常に頭痛に悩まされていた。学校を休むこともよくありその度に母がお医者さんのところに連れて行ってくれる。今ではクリニックなどという便利な言葉があるが小さな医院である。診察室と待合室が同じで子どもだとみんなが見ている前でお尻に注射をされる。東京も50年前はそんな牧歌的な雰囲気だった。お医者さんの帰りに必ず母が美味しいものを買ってくれた。それがとても嬉しくて、頭痛も悪いばかりではないと思っていた。楽しい話をたくさんしてくれる優しい父と、できの悪い自分は叱られることが多かったけど翌日にはすぐに笑顔になってくれるこれまた優しい母。そんなふたりのもとに帰りたいと思うことがよくある。勿論今すぐにでも帰省すれば会えるのだが、そうではない。あの時の両親のもとに帰りたいのだ。今の両親に自分が抱えている問題をすべて話したら卒倒してしまうだろうし、余計な心配をかけたくないから「全部うまく行っているから何も心配いらないんだよ」と嘘をついている。本当は両親の前で泣きたい。両親のもとに帰って大泣きして全部を話したい、そんな衝動に駆られる。
広島観光連盟
前述の通り自分は広島出身ではないが「広島観光連盟」がつくった粋なポスターが話題になっていたことを知った。そのポスターはいきなり「ばかたれーっ!!」から始まる。
ばかたれーっ!!
ふーっ、ふーっ……いきなり取り乱して大変失礼しました。
広島県観光連盟です。実はわたしたち、
東京に住む同郷のみなさんへ、
「帰っておいで」と帰省応援のメッセージを
お届けする予定でした。でもまたコロナウイルスのせいで、
お蔵入りに……。一体いつになったらみんなに
安心して帰っておいでと言えるのか。
本当に寂しくて、悔しい想いです。
だから、今回ばかりは叫ばせてくれませんか。
コロナウイルスのばかたれーっ!!
わしらは負けんけえー!!!!…って。
東京に暮らしている広島人のみなさん、
なかなか会えんのは寂しいけれど、
こっちはこんな感じで元気にやっとるよ。
みなさんの帰る場所は、絶対、無くなりゃあせん。
じゃけぇもうひと踏ん張り、一緒に頑張ろうや。
また会えるのを、待っとるけぇ。
コロナの影響で帰省できない東京に住む広島人に対してのメッセージであることは勿論だが県民でない人が読んでも心に刺さるメッセージである。帰りたい、でも帰れない。自分の中にあるそのような悶々とした思いをこのポスターが代弁してくれている気がした。
ところで帰るべき場所、ってどこなのだろう?とふと思った。キリスト教の教えでは私たち人間は神様の懐に帰るべきであり、また天の御国が帰るべきふるさとであると教えている。行ったこともない天国が「帰る」べき場所なのはとても面白い。もともと人間が神様のもとにいた存在であり、それが今神様との関係が悪魔に邪魔をされているために別れ別れになってしまった。だから本来の場所に「帰る」という意味なのか。またいつものように広島のポスターがらみで検索していたら面白いメッセージを見つけた。メッセージを語るのは「寛田司医師」。もとサンフレッチェ広島のチームドクターであり現在は広島ドラゴンフライズやアンジュビオレ広島のチームドクターをする傍ら医療法人飛翔会理事長、飛翔会グループCEOをつとめる医師とのこと。クリスチャンドクターがこのポスターに因んで面白いメッセージを語っている。帰るべき場所、誰かが帰りを待っていてくれる場所について考えさせられた。