帰ってこられるイエス

運転免許証

昨日投稿したように、神様の力が働き教習所を卒業することができ普通自動二輪免許を取れるようになった。自分にとって卒業検定に合格できたことは、神様が共にいてくださるという確信に繋がる重大な出来事で、昨日は何度も共にいてくださる神様に感謝をささげた。

今日は自動二輪の運転免許証を取得するため免許センターに行った。いくつかの地域ではコロナの感染予防のため予約制になっているようだが自分のところはその措置が取られておらず直接行くことができた。いくつかの手続きをして運動能力テスト(非常に簡易的なもの)と視力検査を行った後写真撮影をして無事免許を交付してもらった。

自分が持っている免許は普通自動車、大型自動車、そして今回取得した普通自動二輪であるが普通自動車の免許をとったのが昭和60年1月28日になっていた。今から36年前のことだ。当時大学3年だったと思うが地元の教習所に通った。地図で調べても出てこないので今はもう潰れてしまったのかもしれない。記憶では板橋区の城北中央公園近くにあった教習所だったと思う。あの当時はとにかく厳しい教官が多かった。必要以上にノッキングするたびに体を震わせる教官や頭を叩く教官など嫌な人が多かった。大型を取ったのは今から20年以上前だがその時も結構怖い教官がいた。何故か当時の教官は趣味の悪そうな金のネックレスやブレスレットをする人が多く、野球選手に教えてもらっている気分だった。

それに比べて最近の教官はとにかく優しい。自分は今回の教習で叱られたことは勿論注意をされたことも無かった。褒めて育てるタイプの教官ばかりだったのでホッとしたし今の教習生は恵まれているな、と思った。経営が難しい昨今教習所も昔のようなやり方ではすぐに潰れてしまうのかもしれない。

それにしても最初に免許を取ってから36年。色々な経験をしたし、これまで乗った車をひとつひとつ思い出していた。車を思い出すとその車で行った場所をなんとなく思い出す。自分のこれまでを振り返るような時間をしばらく過ごした。

恥をさらしながらここまでよくここまで生きて来た、いや生かしてもらったな、と実感した。

仕事の話

そんなことを考えて免許の交付を待っている間に、自分のことを心配して何かにつけて助けてくれる友人から電話をもらった。自分は3月からも休職扱いになっているが、この後のことをなんとかしてくれるよう上司に直談判してくれている友人だ。彼と今後のことや自分の気持ちなどを話しているうちに、自分はこのまま休職ではなく退職になるのではないか、という気持ちに変化して行った。なんとなくそう思ったのだ。そうしたらどうやって生きていこうか。すぐに収入を得る方法を考えないと子どもの学費を支払うことができない。昨日あれほど祝福された経験をしているにも拘らずもう不安になっている。神様は「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と仰ってくださりその証拠を見せてくださったのに。自分の不信仰を恥じた。しかし、やはり不安でる。心落ち着かないまま免許を交付してもらい家に戻って来た。しばらく祈ってから「ヨハネの黙示録」の勉強をしていたが、世の終わりの「最後の裁き」を学んだ。聖書を読んだことのある方はわかるかもしれないが「7つの鉢」という預言があるがその場所を勉強していた。いよいよ終わりの時がくる。最後に神様の側につく人々が、獣の側につく人々に迫害されるがこの「鉢」の災いが迫害者たちに下るのである。もう改心しても遅い、というタイミングで神の民を守るために迫害者が腫れ物や血に変わった水、灼熱の太陽によって滅ぼされるのである。いよいよイエスキリストのご再臨である。

不安なこと、うまくいかないこと、神様を信じていても恐れてしまうことはあるけれど最後はイエス様が再臨して救ってくださる、これこそが希望である。

不安は尽きないが共にいてくださる神様を意識して再臨に望みをつないでいきたい。

再臨の希望を讃美歌にした「キリストは来りたもう」というものがある

讃美歌の動画はこちら

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