バラ

母の日

今日514日は母の日。昨日は子どもと一緒に妻に対する感謝のメッセージカードを作った。子どもはよく母親と喧嘩しているがそれでも母親を最も信頼し愛している。次男を見ているといつもそう思う。今読んでいる本に母親の重大な責任について書かれていた。

母親の感化が真理のため、善のためであり彼女が天来の知恵に導かれ ている時、その生涯はキリストのためになんという力となることであろう!彼女の感化は現世から永遠にまで達する。母親の表情やことばや行為が永遠において実を結ぶということ、大勢の者の救いまたは破滅は彼女の感化の結果であるということはなんと厳粛なことであろう。

母親は、子供を正しく訓練するときに彼女の与える感化が、大きな力をもってこの人生の変動を通して将来にまで、永遠の生活にまで及ぶことをほとんど認めていない。天の模範にならって品性を形造るには、多くの忠実な、熱心な、忍耐強い努力が必要である。しかしそうするだけの価値がある。なぜなら、神は魂を導くための正しい努力をすべて報いたもうお方であるからである。

アドベンチストホーム電子版p187

バラ

母は生前花をこよなく愛した。赤色系の花、紫、青など四季それぞれにあった花が咲き家の前はいつも何かしらの花が咲いている。今年もバラが綺麗に咲いた。母が倒れてから、その回復を祈りながら自分が帰省のたびに母に代わって手入れした。手入れといってもやり方が分からない。少し誘引したり周りの草を抜く程度のことしかしていない。

母が見たらどれだけ喜んだだろうか、と思うほど今年はよく咲いている。姉が写真を送ってくれた。

生まれて初めて、母のいない「母の日」を迎えた。想像以上に寂しく無性に母に会いたくなる。自分がもしもキリスト教の真理を知らなかったなら間違いなく「ユタ」のところに行ったであろう。ほんの少しでもキリスト教の神様から離れて祈りをおそろかにすると「母の居ないこの世界では生きる意味を見出せない」という気持ちになってしまう。自分が思っていた以上に、母を失った喪失感は大きい。気丈に振る舞う姉も時々「お母さんに会いたくて涙が出ます」とメールを送ってくる。父をはじめ家族全員が深い悲しみと再会の希望の狭間で戦っていることを感じる。

もう一人の母

本当は義母のお見舞いに行こうと思っていたが入院先の病院から遠慮して欲しいと言われた。いつも明るくユンタク(おしゃべり)が大好きな母。間違い電話をしてきた相手と親しく30分話した後教会に誘う強者である。今はもうそういう状態では無いが、信仰を持ち続け子どもたちからはじまって親戚縁者をイエス様に導いて来た。義母が天国において受ける報いの大きさを時々想像することがあるがイエス様からものすごく褒められることは間違いない。この義母がいたから妻と出会えた。本当に感謝なことである。

もう何も心配することのない、また永遠に別れることの無い天の御国に間もなく入れていただけることを希望とし母や義母のようにはいかなくても、一人でも良いからイエス様のところに導ける者として生きていきたいものである。

三天使の使命①東清志牧師

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