昨日まで元気だったのに…
青森に来ていくつか馴染めないというかはっきり言えば嫌いなところがいくつかあるのだが、そのひとつが噂話である。この職場に限ったことなのかも知れないがとにかく人の噂話が大好きな人たちが集まっている。だから人の個人情報やプライバシーなどとは無縁なところである。知らん顔していながら自分もよそ者なので細かく観察されている。自分の個人的な事情も結構多くの人たちが知っている。こういうところが凄く嫌だしここを逃げ出したい気持ちになる要因でもある。しかし、今日はその噂話で知らないことを知るようになった。まだ、こちらに来て日も浅い頃、おふたりの外来患者さんを自宅まで送り届けるように言われた。ふたりのお婆さんだったが自宅を案内できるというので道を知らないまま医院を出発した。言われるままに道を走っていたがどうやら途中から道が分からなくなっている様子だった。残念ながら自分の送迎車にはナビがついていないのでこのふたりのアナログナビに頼るしかなかった。何とか思い出してくれひとりの人を自宅にお送りすることができた。そしてもうひとり。家は近くだという。また案内されるままに車を走らせたが間も無くこのAさんが大声で叫び始めた。「ここを右に曲がったところに自分の家があるはずなのに無くなっている」というのである。家は無くならないと思うので恐らくAさんの勘違いだろう。しかしパニック状態のAさんは急に後ろの座席から運転する自分の首を絞めて「家に帰らせて」と叫びはじめた。運転中に後ろから首を絞められる経験がなかったので自分もパニック状態に陥った。結局、医院に電話をして住所を教えてもらい携帯のナビでなんとか探してAさんを自宅に送り届けることができた。Aさんとの出会いはこんな感じであった。後から聞いたのだがAさんは少し目が悪いらしくあまり見えていないとのことだった。それ以降、なんどもこのAさんを送り迎えするようになった。目が悪いのでAさんは自分の声を聞くとすぐに手を繋いでくる。手すりをつかませたりドアの場所を教えたりして安全に誘導するのが日課だった。もう90歳のお婆さんであるがとてもお元気で、手を引いて歩くと「あんたは優しい人だね」と言ってくれた。初めてあってから4ヶ月以上が過ぎた事になる。最近このAさんが医院に来られないので「調子悪いのかな?」などと気にしていた。調子の悪い人が医院にくるのであるから、これも妙な話である。そこで今日の噂話につながる。仕事で手書きカルテのスキャンをしているのだが同じ部屋に大御所の女性スタッフふたりがいらっしゃり何やら噂話を楽しそうにしていた。興味ないので気にしていなかったが、なぜかAさんの名前が頻発していた。Aさんに何かがあったのかな?と思いながら聞くとはなしに聞いていた。すると衝撃的なことが分かった。Aさんが3週間ほど前に急死したというのである。あまりにも驚いたのでその話に割り込んでしまった。「あのAさんが亡くなったんですか?」と聞くとそうだとの答え。自分がご自宅に送った翌日になくなったようである。朝、畑を見に行ったきり帰って来ないので家族が心配して畑に迎えに行くと既に心肺停止の状態だったという。熱中症による脱水症状が原因だったようだ。悲しさもあったのだがまずは驚きでいっぱいになった。ご高齢ではあったがまだまだお元気だったしおしゃべりが大好きで常に人と喋っているおばあちゃんだった。突然の死に言葉がなかった。自分のそのことを教えてくれたふたりの女性スタッフが「患者さんが亡くなる経験をしたのは初めて?でもそのうち段々と慣れてくるわよ」と言われた。慣れる前に辞めたい。人の死になれる仕事なんてしたくない。本当にAさんの死は突然だったし頭が混乱するほどショックだった。
いつかは
不謹慎にも自分は生きることが苦痛になり、「人生はもういいや」と思ってしまうことがよくある。しかし死を望む自分であっても、死を間近に迎えたらやはり動揺するのだと思う。人は必ず死ぬ。当然のことだし、聖書にも
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている
ヘブル9:27
と書いてある。
死は悪魔の産物であり、これに対してイエス様は勝利された。もう死ななくて良い状態につくりかえていただける日が間も無くこようとしている。死がなくなった新しい世界に早く連れて行っていただきたいと心から願うものである。
死を乗り越える神の愛
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