暫く
青森を出て5日目。3月24日に実家に戻り26日に納骨を済ませてから父と一緒にいる。久しぶりの我が家に長期滞在できる父もかなりリラックスしている様子で安心した。自分一人なら適当な生活になり食事も不規則になるところだが、父の食事時間は決まっている。食べてくれることがこれ以上ない喜びである。毎食準備しながら感謝している。食事の時間や、欠かさず行う散歩道で父と交わす会話が貴重な時間になっている。いつまでこういう生活ができるのか分からない。本来は自分が実家に戻り父と一緒に生活すべきところなのに申し訳ない気持ちでいっぱいである。
今回は久しぶりに父と長期間一緒に居られるのでお互い安堵しているところである。
誕生日
父は3月30日、つまり明日が誕生日である。今回で93歳になる。明日の誕生日をみんなでお祝いして翌日自分は沖縄に出発する予定にしていたが、姉夫妻の都合がつかず昨日誕生日会をした。父もとても喜んでいた。姉夫妻はその後暫くして帰って行ったが、帰り際に「交通費にしなさい」と言って姉がお金を渡してきた。受け取れないと何度も断ったが最後は叱られながら受け取ることになった。
丁度2年前、同じ光景が展開されたのを思い出した。その時は両親と姉、そして自分の3人だったが父に「お母さんがこれを持っていくように言っているからしまっておきなさい」と再就職のお祝いを渡された。別のタイミングで姉からも就職祝いを渡された。この歳になって就職祝いをもらう自分が不甲斐なくてとても複雑な気持ちになった。が、同時に家族に支えられていることを痛感した。そして昨日また姉からお金を渡された。また別口で「お母さんも生きていればきっと同じことをしたと思うので」と言ってお母さんの遺したお金からも手渡してくれた。2年前と全く同じだ、と思った。違うのは母がいないこと。僅か2年、されどメンバーが減る2年。
桜
青森を出る時はまだ桜には早い時期だった。東京に着いた日は気温も高く桜も見頃を過ぎているように感じた。このまま今年は桜を見ることができないかと思っていたが週末、週明けの寒さで桜の花が少しもってくれた。千鳥ヶ淵に、とも思ったが父は行けそうになかったので近くの川沿いで花見をした。
つい先日まで居たところなのに、弘前城の桜がひどく懐かしくてたまらない。
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