キリストを装うサタン1

終末における欺瞞

現在、本文を書き写しながら読んでいる書物がある。「終わりの時代の諸事件」というタイトルの本だ。終末にどのようなことが起こるのか、どのような心構えで終末を過ごすのかを的確に示した書物である。聖書にも終末には偽キリストの出現があると預言されているが、この書物にもそのことが具体的に示されている。

サタンはキリストを装って人類を混乱に陥れると記している本書には次のようにも書かれていた。

サタンは霊魂不滅と日曜日の神聖化と言うふたつの重大な誤りを通して、人々を彼の欺瞞のもとに引き入れる。前者は心霊術を築き、後者はローマとの親交の絆を作り出す。
各時代の大争闘 p648   終わりの時代の諸事件p149

また別の場所にはこの「心霊術」が「降神術」とも表現されている。

降神術って?

ネット上の辞書で調べてみるとつぎのように説明されていた。

祈祷などで神を招き寄せ、乗り移った人の口からお告げを述べさせる術。かみおろしの術。(goo辞書より引用)

かみおろしの術と言えば沖縄のユタ、そして当地青森等ではイタコが有名である。これもそれぞれ調べてみた。

ユタ

桜井徳太郎によれば、日本列島弧において最もシャーマンの活動が顕著なのは東北地方と南西諸島である。もっぱら死霊の憑依を受けてトランスに入り、第一人称でその託宣を述べるものを一般に口寄せ巫女と称する。東北地方のイタコ等と同様に口寄せ巫女としての巫儀を展開している呪術宗教職能者は、南西諸島ではユタ・ホゾン・トキ(奄美群島・沖縄諸島)、カンカカリャ・サス(宮古列島)、ムヌチ・ニゲービー・カンピトゥ(八重山列島)等と呼ばれている。

琉球の民間社会において、民衆の宗教的機能を担う職能者は、女性司祭者の祝女(ノロ)、根神(ニーガン)、サス・司(ツカサ)等の神人(カミンチュ)と、シャーマンとしてのユタ等の類に別れる。前者は主として御嶽(ウタキ)やグスク等の聖地や御願所(ウグヮンジョ)とか拝所(ハイショ)において部落や村落の公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭をする。後者は部落や村落の個々の家や家族に関する運勢(ウンチ)、吉凶の判断(ハンジ)、禍厄の除災(ハレー)、病気の平癒祈願(ウグヮン)など私的な呪術信仰的領域に関与している。神人が聖地の司祭をするにあたり死穢や婦人の血の忌み、出産の不浄を忌避するのに対して、ユタは全く反対に死者儀礼や死霊供養に密着した。その性格、生態、機能など多くの点で両者は相いれないもののようだが、両者とも沖縄民間信仰の底辺を流れるシャマニズムであり、沖縄の民間信仰を支える車の両輪と言える、と桜井徳太郎は述べている。

ユタは、凡人にはなし得ない霊界のすがたや動きを見通すことのできる霊能力者であると見なされているが、ユタ信仰は迷信だという観念は沖縄の教育者や知識人の間に一般化しており、公式の場では穢らわしい、はしたないと軽蔑して口にも出さない。特に公的な場で活躍することが多い男性からは、体裁をつくろうため軽蔑冷笑される傾向が強かったため、家庭を内的に支える女性が一家の代表者としてユタのもとへ赴く。これにより、家庭の外では知らぬ顔をしている男性も、家の中ではユタの指示に従って行動する家族の在り方に巻き込まれていく。また、ユタへの依頼者は労働者・農民・漁民のみならず、高い地位の官僚・自治体役員・教職員・ビジネスマンが高い確率で含まれる。

個人レベルあるいは共同体レベルにおいて、人為の限りを尽くしても、なお解決し得ない問題につきあたったとき、その最終的決断を下すきっかけをユタの吉凶判断(ハンジ)に求めようとする傾向は、現在でも薄れていない。

こうしたユタを利用する行為は「ユタ買い(ユタコーヤー)」といわれ、通常は2~3人のユタの判断を仰ぐ。依頼者はかなりの額の費用を厭うことなくユタに支払う。沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。

桜井徳太郎は、神と人との間の仲介役は神意を鋭敏に感じ取ることのできるセンシブルな存在でなくてはならず、それを良くなしえるのは古来から感受性の強い女性であったと述べている。ユタは本来女性がなるべきものとされていたが、男性のユタは若干存在する]。

ユタには後述する弾圧の歴史がある。そのため、自身ではユタと言う称号を用いず、また他人からそう呼ばれることに対し反感を抱く者がいる。彼らは神人(カミンチュ)、御願者(ウグヮンサー)、御願を捧げる人(ウグヮンウサギヤー)、判断(ハンジ)など神に仕えることを表す名称を好む。また、祭祀・巫儀・卜占の区別が曖昧になってきている昨今の状況を受け、侮蔑的語感を伴うユタという名称より易者を意味する三人相(サンジンゾー)や風水を判断する風水師(フンシー)などの称号を用いる者がいる。

(wikipediaより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/ユタ )

イタコとは

イタコには霊的な力を持つとされる人もいるが、実際の口寄せは心理カウンセラー的な面も大きい。その際クライアントの心情を読み取る力(一種のコールド・リーディング)は必須であるが、本来は死者あるいは祖霊と生きている者の交感の際の仲介者として、氏子の寄り合い、祭りなどに呼ばれて死者や祖霊の言葉を伝える者だったらしい。

岩手県南部から宮城県北部の巫女で組織された大和宗の大乗寺縁起によれば、クチブクと呼ばれる招霊の秘法は目連の救母伝説にその由来があるという]。大和宗では口寄せの用具には引磬を用いるが、巫女の周りに麻糸を付けた梓弓と桃や柳を置いて儀礼空間を創っている。

口寄せは、霊的感作によりあらゆる人種、動物でも呼び出せるとされる。 口寄せ以外にもイタコには「オシラアソバセ」を執り行う役目がある。「オシラアソバセ」とは、東北の民間信仰であるおしら様の御神体である二体の人形を遊ばせることである。オシラサマは各家庭に祀られており、一部地域ではその家庭の家族の代わりにイタコがおしら祭文を読み上げる。オシラサマのベースである杓子、瓢や柄杓に関する信仰を膨大に集め、これが「魂を集める採り物」であるとした柳田國男の説を承けた折口信夫によれば、これはマナを寄せるための依り代である。

イタコになる修行

イタコは、先天的もしくは後天的に目が見えないか、弱視の女性の職業であった。日本の東北地方に多く見られる習俗・民間信仰で、夏の恐山大祭(青森県)で行われるものが特に知られている。青森県の「津軽のイタコの習俗」と秋田県の「羽後のイタコの習俗」は、国の選択無形民俗文化財となっている。

盲目や弱視の女性がイタコになったのは、かつては生活の糧を得るためという事情もあった。第二次世界大戦の終結、高度成長期などを経て、日本の生活環境も大きく変化していった。と同時に、厳しい修行を必要とするイタコに敢えてなろうとする者も極めて少なくなっていった。そのため、現役のイタコのほとんどは高齢者である。

堀一郎によれば、目が悪い子供はイタコの師匠に米、炭を持って入門し、1年から3年、あるいは4、5年ほど、板の間の板を打って祓いの文句、オシラ祭文を習う。そしてスキルが上がった後、ダイジュユリ、デンジュ、ユルシ、ウズメソと呼ばれるいわゆるイニシエーションを行って、一週間程氏神社にこもってから仕事をする。

(wikipediaより引用  https://ja.wikipedia.org/wiki/イタコ )

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