教団教派を越えて

ウイリアム・ミラー

世界的規模で再臨運動が起こった19世紀半ば。米国ではこの運動に大きな影響を与える人物がいた。その名をウイリアム・ミラーという。年少の頃から貧困と戦い勤勉と自制という大きな教訓を学んだ。敬虔なクリスチャンである母親の影響を多分に受けて育つが、戦争の悲惨さなどを見て徐々に理神論に傾倒して行く。しかし、同じ戦争で周りの人が命を失って行く中自分の命が守られていることに不思議を感じ徐々にキリストを信じ始めるようになる。

バプテスト教会に導かれたミラー氏は毎日聖書を理解できるまで熱心に学び続けた。特に聖書を解説する書物は用いず、「聖書は聖書自身が解説する」という確信の元聖書とコンコルダンス(語句辞典)だけで研究を続けた。彼が特に惹きつけられたのはダニエル書に出てくる「2300の夕と朝の預言」であった。彼は何度も何度も計算を繰り返しそれが間も無く起こる出来事であることに気づいた。真理を知りながらも、彼はこの真理を宣べ伝えることはしなかった。計算に対する確証がなかったからではない。これを人々に伝えることで、時の出来事にばかり関心が向きその中心であるキリストに心を向けない人たちが現れるのではないかと思ったからである。しかし、真理を伝えなくてはならないという声が心の中に去来する。結局彼はこの真理を学んでから何年も後になってこう祈った。「主よ、もしもこれが伝えなくてはならない真理であればそれをはっきりと示してください」と。

その祈りから30分ほどで甥が連絡してきた。週末の礼拝で予定していた説教者がこられなくなったので叔父であるミラーに説教を頼みたい、ということだった。ミラーはあまりにも早く祈りがこたえられたことに動揺しながらも、この依頼を神様からの召しであると確信し快諾した。そして週末、安息日の礼拝メッセージは大きな反響を呼んだ。この噂を聞きつけた教会が教団、教派を越えてミラー氏に説教を依頼するようになった。これが米国に於ける再臨運動の発端である。この時、1831年であった。再臨がある、という時の13年前である。この時からミラー氏を中心とした再臨運動が展開され、「ミラーライト運動」と称され世界に飛び火して行く。

宗教改革

1517年、マルチンルターは95ヶ条の提題を突きつけカトリック教会の誤りを正そうとした。彼は決してプロテスタント教会を作ろうとしたわけではない。あくまでもその誤りを認め、正しい道に進みたいと考えていただけだった。しかし、実際にはカトリック教会と道を異にすることとなってしまった。

そしてプロテスタント教会がスタートする。現在、1200ぐらいのプロテスタント教会があると言われている。カトリック教会の誤りを正すつもりだったが、残念ながらカトリック教会の誤った教えのいくつかをそのままプロテスタント教会に持ち込んでしまった。自分は詳しくないので誤りがあるかと思うが

・マリア崇拝
・日曜日礼拝
・教皇無謬説
・復活祭
・霊魂不滅説
・化体説
・クリスマス
・煉獄説
・幼児洗礼
・告解
などがそうだと言える。

大失望の後

実際に1844年10月22日には目に見える形では何も怒らなかった。イエスキリストのご再臨を心待ちにしていた何十万という人たちが失望のまま去って行った。そして僅か50名ほどの人だけが残り、もう一度最初から聖書研究をすることにした。この時、残った人たちはバプテスト、メソジスト、長老派等々色々な教団教派の人たちであった。この人たちが集まり最終的には1863年にセブンスデー・アドベンチスト教会がスタートした。

昔、聞いたことが話だが「多くの教会がそれぞれの祝福を神様から受けている。残念ながら、一つの教会が全ての祝福を持つことはできない」ということだった。

そこに聖書主義のセブンスデー・アドベンチスト教会が登場した事は大きな意味があると思う。手前味噌だが、全ての真理を持ち合わせているこの教会が全世界に宣べ伝える使命を帯びているのだと思う。この教会を「異端」という人たちもいる。根拠のない批判だと思う。

逆にS.D.A.教会はこの使命を真摯に受け止め、実直に宣べ伝えることに専念しなければいけないと思う。それこそこの教会の真骨頂であると思う。

【神を第一にするシリーズ(5):ウィリアム・ミラー】

 

S.D.A.教会に対する正しい評価

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