避難所

次男と

今日も次男とビデオ通話で小一時間話すことができた。手前味噌というか親バカなのだが、子どもたちが可愛くて仕方ない。この度小学4年生に進級したが、本人のペースで色々な面が成長していることを実感している。性格なのか、電話の序盤は「ふざけモード」でふたりでゲラゲラ笑っている。が、少しずつ本人の心の動きを探ろうと「今日は学校で何かあった?楽しかったことと、ちょっと嫌だったことを教えて」と聞くと少しずつ本音を話してくれる。学校では友達関係が楽しい時と上手くいかなくて癇癪を起こしてしまうことがあるとのこと。ひょうきんな子ではあるが非常にナイーブで癇癪を起こす自分が嫌でたまらないらしい。どうしたら良いのかな?と聞かれた。小学生でそんな深いことを悩んでいるのか、と感心しながらもとても可哀想になった。癇癪を起こすことで本人なりに苦しんでいる。大人でも苦しむのにこんなに小さな子が・・・、と思うとそれだけで胸が痛む。

パパの助言(ためにならないけど)

友達や先生と楽しく交わり意気投合することはとても楽しいこと。こういう人たちと一緒にいることは心安くその存在は「避難所」となる。でもどんなに気の合う人でもずっと一緒にいると気を遣ったり緊張感を持ったりする。だからひとりきりになることも「避難所」。ただひとりきりになるだけでは寂しいからある人は本を読むしある人はゲームに興じる。これも避難所。そして○○くん(次男のこと)には君を決して裏切らないママとお兄ちゃんとパパがいる。この人たちは注意したり叱ることはあっても決して君を嫌いにはならない。だから君はこの3人の前では特に安心して過ごせる。これも避難所。そして、ママやお兄ちゃん、パパよりももっと凄い愛を持っているのが神様。だから神様は最高の避難所。この避難所は年中無休、24時間営業だからいつでもどうぞ。小学校に行くということは、この「避難所」を探すことでもある。ゲームも良いけど電気が使えなかったら避難所として機能しない。だから避難所はいくつかあった方が良い。5年生になる前にどれぐらい避難所が増えたか、1年後にパパは避難所の数を質問するよ。

ところで、避難所探しをしているのは君だけではない。他のお友達もみんな避難所探しをしに学校に来ている。始めに話したように先生やお友達も「避難所」になれる。ならば、君も周りのお友達にとって「避難所」になれるんだよ。怒ることは恥ずかしいことじゃない。ただ、いつもひょうきんで優しい君が怒ると周りのお友達は少し驚いちゃうから、できるだけ怒らないように「僕はお友達の避難所になるんだ」と心の中で3回言って我慢してみよう。それでも気持ちがおさまらなかったらお友達がいないところに行って爆発してみよう。でもそのあとおとお友達には「さっきはごめんね」って言うんだよ。「自分はお友達にとっての避難所になれる」という自信をもってお友達ひとりにとっての「避難所」になってみよう。そしてそれが成功したら、もう一人のお友達を見つけて避難所になってみよう。こうやって君が何人の避難所になれたか、5年生になる前に聞くね。

小学校は避難所を見つけるため、そしてお友達の避難所になるために行くんだよ。

「神はわれらの避け所また力である。 悩める時のいと近き助けである。」
詩篇 46:1 口語訳

聖書研究ガイド22年2期3課

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