安倍晋三元総理

安倍元総理の棺が桐ヶ谷の斎場に向かう場面をネットニュースで見ていた。多くの方々が献花、記帳に訪れ車の通り道にも別れを惜しむ人が沢山いた。官邸や国会議事堂を回っていたのが何かとても寂しく感じられた。総理としての在任期間は史上最長、官邸や国会議事堂はもしかすると自宅より思い出深いところなのかも知れない。外国の首脳陣も多く弔問に訪れていた。報道陣のインタビューで「わが友」或いは「友」という言葉を多く耳にした。彼らが口先だけで言っているのではないことが十分伝わってくる。国を導く、というおよそ想像できないほどの重圧を理解できるのは国内の要人ではなく国外の同じ立場のリーダーであり「友」であったのだろう。本当に残念そうに、また悲しそうに「友を失った」とコメントする様子に心打たれた。

そのような場面で、本当に不謹慎だと思うがニューヨーク(だったか?)の領事館にキッシンジャー氏が記帳、献花に訪れている場面をみて非常に驚いた。自分の無知が恥ずかしかったが、自分はキッシンジャー元国務長官が存命だとは思っていなかった。マスクをしていたのでよくは分からなかったが何となく昔の面影はあるように感じた。

大勲位菊花章

国の定める勲章について全く知識が無い中、安倍元総理が大勲位菊花賞(大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章)を授与されると報道されていた。

大勲位菊花章は日本における最高位の勲章であり大勲位菊花大綬章が明治9年、そして大勲位菊花章頸飾が明治22年に制定されたという。戦後、大勲位菊花章頸飾を受章するのは首相経験者の吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘各氏に続いて4人目だという。

国内外から愛され、非常に大きな働きをされた方であるから当然の褒章である。それにしても、亡くなってからの受勲というのは何か寂しさを感じるし、逆に言えば存命中に受勲してその後の人生で大きな穴をあけてしまう可能性を考えると逝去後の受勲が妥当なのかもしれないとも思う。

借り物

昔、韓国の牧師先生から教えていただいた讃美歌がある。歌詞もメロディーも殆ど忘れてしまったのだが歌詞の意味ははっきりと覚えている。

イエス様はこの地上で何も所有されなかった
得ても自分のものにせずすべて人々に差し出してしまった
全てが借り物の人生
ただ、十字架だけはイエス様のもの
イエス様はこの地上で十字架だけを所有された

このような内容だったと記憶している。

大きな祝福を人類にもたらしたのに、この世で受けた勲章は「いばらの冠」であった。

彼らは神の承認よりも人の称賛を好んだ。非難と恥をまぬかれるために 彼らはキリストをこばみ、さし出された永遠の生命をこばんだ。それ以来幾世紀の間、これと同じことをしている者がどんなに多いことだろう。 「自分の命を愛する者はそれを失い」という救い主の警告のことばは、 このようなすべての者にあてはまるのである(ヨハネ 12:25)。イエ スは言われた、「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、 その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にそ の人をさばくであろう」(ヨハネ 12:48)。
おとずれの時がわからない人たちは気の毒である。ゆっくりと悲しそうに、キリストは宮の境内を永久に去られた。
各時代の希望電子版 p660  外庭で

増上寺 人があふれて“一般献花中止” 安倍元首相に最後の別れ

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