清掃
ある方から頼まれて先日その方のご自宅を掃除した。以前から頼まれていたのだがなかなか時間が無くてできなかったが休暇を取って実家に帰る計画をしていたところ大雨で電車が動かず帰れなくなったのでその方の掃除をすることにした。決して特殊清掃では無い。その方は生きていらっしゃるしその気になれば自宅に戻ることもできる。しかし大きな病をふたつかかえておりご本人もなんと無く自宅にはもう戻れないことを意識していらっしゃるのかもしれない。ひとの家にお邪魔して掃除をすることは非常に気がひけるけれど、自分にしか頼めないとおっしゃるので引き受けた。第一回目ということでこの日は3時間程度掃除した。ゴミを出す習慣が無いようで、いたるところにゴミがあった。ところが段ボールに整頓して入れられているので一見したところではゴミと認識できない。また段ボール箱が多いのも特徴である。買い物に行けないせいか食品のほとんどがAmazonからのものでそれを梱包していた箱が山のように積まれていた。段ボールを50個以上壊してからゴミをまとめ掃除機をかけた。しかしこれでも全体の1割にもいっていない気がする。 部屋をみるとその方の嗜好やスタイルが見えてくる。まず食べているものがほとんどシリアル。野菜ジュースのゴミが目立つ。毎日同じものを食べていることが分かる。また、自分もやったことがあるが部屋にテントを張って寝ていた。これは寒冷地には結構有効な防寒手段だと思う。
ひとり
ひとりで生活していると急に不安な気持ちになることがある。「今自分が死んだらいつ、誰が気づいてくれるのだろう」という不安である。勿論心筋梗塞のように痛みが伴うことを考えるのも辛いが、やはり気づかれないで人生を終えていくことの寂しさを考えると不安な気持ちになる。社会問題にもなっている孤独死は自分のすぐ近くにある可能性であることを痛感する。でもそのような場面でもイエス様が共にいてくださり励まし、永遠の御国に対する希望を与えてくださるのだろうか。更に、あまりにも部屋が汚いと恥ずかしい。整理整頓は常々してすべきと肝に命じている。
主人のいない部屋
実家もそうである。ついこの前まで両親が住んでいた家であるが、特別なことがない限り実家に両親ふたりで生活することは無いと思う。検査を受けるために姉の家に数日行ったその前日が両親が実家で過ごす最後となったのかもしれない。淡い期待だが、自分が在宅でできる仕事にめぐり合いある程度の収入を得られれば両親と実家で同居することもできる。前述の掃除をした家もそうである。掃除をしながら、この方がもうこの家には戻れないかもしれないことを考えると非常に辛くなり涙が流れてくる。永遠の住まいである天の御国に1日も早く行けることを祈るばかりである。
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