キリストへの道

悶々

自分の信仰の弱さ、或いは無さを不甲斐なく思うことがよくある。神様を信じていながら、どうしてこういう考えになってしまうのかと悶々とすることがよくある。今日「キリストへの道」という本をゆっくり読んでいた。正に今の自分を叱咤激励しているような文章を見つけた。本文をそのまま抜粋しているので文中の「私」は著者であるエレンホワイトという女性のことである。

因みに今朝与えられた聖書の言葉が

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」
ローマ人への手紙 5:3-5 口語訳

だった。神様に全てを見透かされている気がした。以下、「キリストへの道」本文より抜粋。

サタンに騙される

悪魔は、神の子らが不信仰を起こし落胆するのを喜びます。また、私どもが神に信頼せず、神は、快く私どもを救ってくださる御方であることを疑うのを喜びます。また神は摂理のうちに私どもを害したもうというように考えさせ、神は憐れみと同情に欠けておいでになるように見せかけるのは悪魔の働きであります。彼は、神に関する真理を曲解し、神に関するまちがった思想を私どもの心に満たすのであります。私どもも、ともすれば、天の父に関する真理に堅く立つ代りに、悪魔の誤った言葉に惑わされ、神を信頼せずつぶやいて神を辱めるのであります。悪魔は絶えず信仰生活を憂鬱なものにしようと努めています。また骨が折れて困難なもののように見せかけます。そして、クリスチャンが自分の生活に対してこのような宗教観をいだくならば、その不信仰の結果、悪魔の偽りを支持した事になります。
キリストへの道 主にある喜び

美しい花に目を向ける

人生行路をたどりながらも、自分の間違いや欠点や失望ばかりを考えて、悲しみと落胆に満たされている人がたくさんいます。私がヨーロッパに行っていたとき、ある姉妹がちょうどこのような有様で、たいへん失望し励ましの言葉を求めてきました。その手紙を読んだ夜の事ですが、私は、ある庭園を歩いている夢を見、その庭園の持ち主と思われる人に案内されていました。私は、道すがら花を摘み、そのたかいかおりを楽しんでいますと、そばを歩いていたこの姉妹は、道を遮っているつまらないいばらを見て、それを悲しみ嘆いていたのであります。この姉妹は、案内者に従って道を歩かないで、いばらやとげの中を歩いて「せっかくの美しい庭園も、このようないばらがあっては本当に残念な事です」と言うのでありました。すると、案内者は「いばらの事は気にしなさるな。ただ害を受けるばかりです。それより、ばらやゆりやなでしこを摘んではどうですか」と答えた。
キリストへの道 主にある喜び

光と闇

過去の生涯の不愉快な思い出、罪や失望ばかりをかき集め、その事を語り、悲しんでついには失望してしまうことは決して賢明なことではありません。失望した魂は暗闇におおわれ、心から神の光を閉ざしてしまい、他の人々の行く手にも陰を投げかけます。
キリストへの道 主にある喜び

「イエス・キリストとは何者だったのか」河原 久牧師

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