ステレオグラム

見える

今日、職場で「ステレオグラム」の話題になった。僅かにずれた二枚の写真を左右それぞれの目で見ることによって画像が浮き上がるものである。立体的に見えるのでかなり面白い。話題を提供してくださった方が「なかなか見えない」と仰ってわたしにはなしをもってきてくださった。

実は大学時代に「ステレオ図」の実習をしている。教員免許を取得するために専門外の生物や地学の授業を受け実習をしなければならない。地学実習の中にステレオ図を見る実習があった。教授の説明で教室内の学生が徐々に見え始める。「あ、見えた」と歓声にも似た声が徐々に大きくなると、まだ見えない自分は焦りを感じた。結局初日は見ることができなかった。翌日の実習でやっと見ることができた。周りの友人が色々なアドバイスをしてくれた。「寄り目にして」「焦点を合わせないでボーッとして」等々。視覚をはじめ感覚に対する助言の難しさを感じた。このステレオ図、一度見えたらもうそれ以外には見えないから不思議である。

↑見えるだろうか?上に「愛」という漢字が並び、その下にハートが浮き上がっている。さらにその前に「LOVE」と言う文字が並ぶ。

 

職場の方に自分なりのアドバイスをするもなかなか上手に伝えられない。見えているものを、見えていない方に説明することの難しさを痛感した。

目に見えないもの

先日、ある方とお話ししているときに神様がしてくださった奇跡について説明した。が、どうしても通じない。伝わらない。「それって偶然だよね」と言われてしまう。こんな偶然が起こる確率ってどれぐらいなんだ?と逆に質問してみたい。挙げ句の果てには「これだから神とかイエスキリストとか、宗教って嫌いなんだよ」と言われてしまった。「神がこう仰った」と宗教の奴らはみんな言うけど統一協会と同じだろ、とも言われた。

「自分の信仰だけは違う」

おそらく何かを信仰している人はみんなこう思うのだろう。

一度神様がしてくださったことを見てしまうと、全てがそう見えてしまう。全てに神様が働いているとしか思えなくなる。だから偶然、と思えることが全くない。全てが必然であり摂理である。摂理、これも宗教嫌いな人から揶揄される言葉だ。

今見えている神様の働かれている現状をどのように説明したら良いのだろう。自分などが言葉を用いて説明するのではなく、神様ご自身がその方が信じられる方法で働いてくださるようにと祈るばかりである。

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA