ストッキング事件

恐ろしかったこと

卒業式前の様子

新任の頃、初めて迎える卒業式。中学の教員として初めて迎える卒業式だったが勝手が分からず自分が動く分だけ誰かに迷惑を掛けてしまう状態だった。本校の卒業プログラムは金曜日から3日間続く。金曜日の「卒業献身会」土曜日の「卒業礼拝」およびその夜に行われる「これまでの3年間を振り返る会(通称ハイライト)」、そして日曜日の「卒業式」。連日行われる性格の違うフォーマルな式典なので準備も様々で、先輩の先生に指示をしていただきながら卒業プログラムに備えた。また、当時卒業アルバムの他に3年間の一人一人の歩みを綴った文集と写真集をプレゼントしていた。全て教員による手作りなのでこの作業がとても大変。卒業前から製作にかかるがそれでも卒業式前は徹夜になることも珍しくないという。全体像が見えない中言われたことをひたすらこなす毎日が続いていた。そしていよいよ卒業プログラムが始まる前日、木曜日の夜にとんでもないことが起きた。全ての教員が自分の役目を果たすべく一生懸命に仕事をしている中である先生が私に「女子生徒のストッキングの準備はできていますか?」と確認して来た。これは既に指示されていたので準備したことを伝え確認していただくために現物を見ていただいた。すると
「あれ、数が少ないですね。これで卒業生と在校生全員分ありますか?」
と言われた。
「え、在校生の分もですか。私が用意したのは卒業生の分で在校生のは用意していません」
と答えるとその先生が急に青ざめ
「それはまずいよ。先生、今から何とかして」
と言われた。ストッキングなら何でも良いわけではない。本校指定の色があり、学校から1時間ほど車で行った制服屋さんに行かないと本校の指定ストッキングは買えない。

制服屋さんに

その時点で時刻は21時を回っていた。とりあえず制服屋さんに電話したが当然お店は閉まっており返答はない。仕方がないので会社ではなく社長さんのご自宅に電話してみると幸い連絡が取れた。事情を話すと人の良い社長さん自ら店舗に出向いて店を開けるからそこまで取りに来て欲しいとのことだった。お礼を述べ直ぐに制服屋さんに直行した。とんでもない失敗をした反省と、まだまだ学校に戻ってやらなくてはならないアルバム作りのことで落ち込んだ。とにかくやらなくてはいけないことを一つ一つ確実にこなさなくてはならない。制服屋さんには23時頃到着した。夜遅い時間なのに社長さんが待っていてくれた。本当に申し訳ない。在校生のストッキングを受け取り帰路についた。制服屋さんから学校まではいくつかのルートがある。どの道も距離はほとんど同じである。海沿いを走って後半山を上がっていく道、最初からダラダラと山を登っていく道等々。少しでも早く帰れるようにと車通りの少ない、最初から山道を登っていくルートを選択した。帰ったらどの仕事を優先しようか、でもストッキングを頼まれたときは確かに卒業生の分と言われたよな、など色々なことを考えていた。街灯も無い車のライトだけが頼りの寂しい道である。兎に角1秒でも早く帰らないといけないので恐らく法定速度を超過するスピードで走っていたと思う。

怪しい車との遭遇、そして生還

学校まであと半分、という地点に来て気づいた。少し前から眩しいと感じていたが後ろの車がハイビームで近づいていた。眩しいのでルームミラーの角度を変えそのまま走行していたが後続車はどんどん近づいてくる。この時間にこの道を通る車は珍しいので異様な雰囲気を感じた。こちらも引き離そうと少し速度をあげた。すると更に速度をあげて近づいてくる。そして完全に自分の車の3mぐらい後方をぴったりくっついて、しかもハイビームで走行して来た。今で言うところの「煽り運転」だ。ミラーで確認すると黒塗りの車だった。急に背筋が凍る気持ちになった。自分が住んでいる県は全国でも比較的有名な任侠的な組織があり県庁所在地に行くとそのような方々を見かける。しかも数週間前にある事件が起きていた。任侠的な人が別の任侠的な人と争い殺されその死体を地元では有名な海岸に埋められたという事件。間違いない、後ろの車は893だ。山の細い道ということもあり車線は追い越し禁止の黄色車線。兎に角急いで少しスペースのある路肩に車を止めて後ろの車をやり過ごした。無事、自分の車を追い越してくれた。「助かった」という気持ちになった。そしてまた車を走らせると何と先ほどの黒塗りの車が今度は20km/hぐらいの低速で走行している。「えぇ!」と声が出た。自分の車が遅かったので煽られていたのではなかったのか?兎に角その低速車の後ろをついて行くしかなかった。しかし自分は1秒でも早く学校に戻って仕事をしないといけない。しばらくはこの低速に付き合ったが我慢できなくなり追い越した。そして逃げるように速度をあげて走行した。「やっぱり」嫌な予感は的中した。後続車はすごい勢いでしかも今度はパッシングしながら自分の車の直ぐ後ろについた。「これ、殺されるやつだ」と何と無く直感した。そして後続車はしばらく煽って勢いよく自分の車を追い越ししばらくするとまた20km/hの低速になる。このようなことを3回ぐらい繰り返した。そしてついにこの車が止まり、自分も止まらされた。「殺される」、本気で思った。黒塗りの車から運転していたチンピラ風の男が出て来てとても怖い形相で矢継ぎ早に何かを行って来た。地方の言葉だったのでよく理解できなかったが、雰囲気は「てめーぶっ殺すぞ!」だった。そしておもむろに後部座席に座っている親分と思しき人に「どうしますか?」的な質問をしていた。とりあえず胸ぐらを捕まれた。殺されると思ったが自分には一つだけ心に引っかかることがあった。これが事件になってテレビや新聞で報道された時、どういう風になるんだろう。「私立学校の教員、謎の死。胸を刺され死亡。車の後部座席には大量の女性用のストッキングが。ストッキングをめぐるトラブルか?」そうだ、今車にはストッキングが大量に入っているんだった。ここで死んだらただの変質者になってしまうかもしれない。親の名誉、学校の名誉のためにもそれだけは絶対に避けたい。もはやこれまでか、というときに考えたのはセーヌ色のストッキングのことだった。絶体絶命という時に後部座席から「おい!」という声がしてそのチンピラは手を離した。「おぉ!助かるのか?」と期待した。そしてそのチンピラが「この黄色い線はどういう意味かわかるか?」とおかしな質問をした。震える声で「追い越し禁止です」と答えると「おまわりのいうことを聞かなくちゃダメだろ」と叱って来た。言っておきますが最初に黄色い線を超えたのはそちらですから。何とか任侠的な人から解放され震える自分を落ち着かせてから再度運転した。そして学校に戻った。まだ数名の先生がアルバム作りに奔走されていた。「お疲れ様」「遅かったね」など労いとも嫌味とも取れる言葉をかけてくださった。「実は殺されかけたんです」と言ったところで誰も信じないだろうし、精々「どこかで休んで来たんだろう」ぐらいにしか思われないだろうから「すみません。眠くてゆっくり走ってしまいました」とだけ伝えた。今は笑い話だけどあの時は本当に自分の最期を覚悟した。それでも生きなくちゃいけないと思わせてくれたのがあのストッキングだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA