愚かな教師

hideとの出会い

hideとは彼が中学3年の時に出会った。その時働いていたのは沖縄の中学校。この学校での思い出は多い。過ぎるくらい多いので徐々に投稿していきたいと思う。その年から自分は沖縄の中学校に転勤になった。沖縄といっても北部名護市である。沖縄県は勿論八重山諸島などの離島を含めてひとつの県だがその文化や生活様式、環境は全く違う。実は沖縄本島も南部中部北部で言葉から生活様式、味付けなど全てにおいて全く違うのである。特に那覇をイメージして沖縄を語る人にとって北部は全く別物と考えてもらった方が良い。働いていた中学校の周辺は結構ハブも出没し、方言のヒヤリングはある程度できると自負している自分だが名護の人が本気で喋ると全く分からない。もっと北の国頭(くにがみ)に行くと更に分からなくなる。JALプライベートリゾートオクマがある周辺を国頭というがこちらに至っては名護に住む自分たちが行っても驚くことがたくさんある。とにかく南部とは違う北部名護というところにある中学校で働いていた。学校のカリキュラムに実業体験学習のようなものがあるのだが自分は「果樹園」という部門を担当した。担当したと言っても果樹など育てたことはない。しかも沖縄ならではの珍しいフルーツばかりを育てている。アテモヤをメインに育てていた。そのほかにスターフルーツアセロラも育てた。授業でも結構目立つ存在だったhideとはこの果樹園でも一緒になった。人当たりは良いがお調子者。頼れる存在でもあるが本気で頼ると裏切られる沖縄によくいるタイプの男子生徒だ。彼とは特に波長が合った。何かにつけて彼と一緒になることがあったがいつも意気投合してこちらのペースが乱されることが良くあった。彼は同級生と共に讃美歌を歌うグループを作っていたがクリスマスになると彼らに誘われてライブツアーに同行させてもらった。宮古島奄美、勿論本島各地にも行かせてもらった。彼は中学校を卒業して、私がかつて働いていた高校に進学した。実は彼が高校生になったと同時に、高校に幾つかの問題が起こり学校の対応について彼らは教師不信に陥ってしまった。彼らが高校2年になる時に自分が急遽高校に戻るよう命令された。実は沖縄生活が充実しすぎていたのであと10年は居たいと思っていた矢先だったのでかなりショックを受けた。しかも自分が担任していた学年は沖縄の中学1年、2年と持ち上がりで受け持った学年で思い入れも強かった。せめて彼らが卒業するまで沖縄に居させて欲しいと遠慮がちに要望してみたがあっさり断られた。高校に戻る唯一の楽しみはhideたちの学年、またその下の学年で沖縄の中学校を卒業した生徒と会えること、それだけだった。

担 任

高校に着任してすぐに2年生の担任をするよう命じられた。クラス替えは既にできており自分は2年Cクラスの担任。hideが居た。他にも知っている生徒が多く居たがhideの名前がまず目に入った。中学校は規模も小さかったし発達段階だからhideの行動で目をつぶれるものも多かったが高校となるとそうもいかない。しかも彼らの多くが教師不信、学校不信に陥っている。少し腰が引ける思いだった。しかしスタートしてみると結構波長が合いそれほど不満を持っているようにも見えなかった。ただ、一度ふざけだすとブレーキが効かなくなるところがありその点は要注意だった。勿論個々には問題もあったし他の教員に対する不信感をあらわにする生徒もいた。家に帰ると生徒が勝手に入り込んでいる、などということも結構あった。みんな何かを求めて、叫べる場所を求めていることは伝わってきた。学期開始のルーティーンがある。学級や学年の目標を設定し学級の役員を決めなくてはならない。自分も教師として生徒一人一人に到達してもらいたい目標を設定する作業をしなくてはならない。はじめは何かと忙しい。しかしはじめにきちんとやるか否かでその後が大きく変わってきてしまう。そのような中でひとつ気になることがあった。学級の役員で「社交委員」というのがあるがhideがそれをやりたいというのである。勿論彼は社交性もあり向いていると思う。しかし責任感のなさが災いするのではないかと心配だった。生徒がやりたいと立候補しているのに「hideはだめだ」とは言えない。心配はあったがhideを社交委員にした。

あるLHRで

学校にはLHRとSHRがある。お洒落に省略しているがLHRはロングホームルーム、SHRはショートホームルームだ。SHRは毎朝の連絡事項や担任からのメッセージなどがある集会、LHRは授業1コマ分を使う学級活動の時間。LHRは色々な学級活動に使う。学級会や発表会、進学や将来を考えるレクチャーの時間、修学旅行に向けた準備等々。また学級の親睦をはかるべく社交プログラムを入れることもある。あるLHRの時間、この日は社交プログラムをすることに決めていた。2週間前には社交委員に伝え内容を考えるよう話しておいた。心配なので何度もhideに「今度の社交プログラムの案はできているのか?」と聞いた。「先生、任せてよ!」と毎回同じ返事をする。これは準備していない時の返事だ。少し危機感を感じていたので一応hideがいない時の代替案を考えていた。果たしてそのLHRの時間。なんと言うことか、hideが来ていない。恐らく寮で寝ているに違いない。LHRは午後の最初の時間に組まれている。昼食後は寮に戻れることになっているので、部屋に帰って寝てしまう生徒もいる。hideは昼寝で寝坊をする常習犯だ。しかしhideに恥をかかせるわけに行かないので、自分の代替案でその場を乗り切った。通学制の学校では考えられない光景かも知れないが、本校は教員の住宅もキャンパス内にあるので夕食後、また学校に来て仕事をする教員が殆どである。それを知っているので生徒も夜になると教員室にきて質問をしたり補習を受けたり面接をしてもらっている。この日の夜、自分が教員室で仕事をしているとhideがやって来た。「あ、来た」とすぐに分かったが彼に厳しくしないといけない、自分が彼を甘やかせていると反省していたのでhideに顔を向けなかった。私のところの近づいて来て「今日はごめん、ちょっと気を抜いたら寝ちゃって」と言って私の肩をトントンと叩いて来た。「なぁ、本当にごめん」またトントン。「あっちにいけ!(怒)」とドスの効いた低い声で威嚇した。「まぁまぁ、そう言わないで…」とhideが言った瞬間、自分は立ち上がってhideの胸ぐらを掴んで殴った。倒れるhideに馬乗りになってもう少し殴り立ち上がって蹴った。その段階で他の教員に後ろから羽交い締めにされ後の記憶はなかった。完全な感情による暴力である。全てが終わった。これをやったら教師は全てを失う。

その後

少し冷静になってから机に向かい「退職願」と「顛末書」を書いた。そしてそれを校長の机上に置き教員室を去った。翌日は勿論出勤しなかった。すると校長から電話があった。この校長というのは以前の投稿でも紹介した、自分を物理の教師にした先生で自分が最も尊敬する先生のひとりである。「何かあったのか?」と聞かれたので「顛末書に書いてある通り生徒に対して暴力を働きました。しかも感情的になって殴る蹴るの暴行を加えました。これは生徒に対する指導ではなく一方的な暴行です。ですから教師をやめます。」と伝えた。「とにかく色々と調べるから今日は仕事に来なくて良いからゆっくりしろ」とだけ言われた。「今日は」じゃなくて永遠にだと思った。そして引越しの準備を少し始めた。翌日、校長から呼び出された。ことの顛末をよく調べ、hideやhideの保護者からの連絡があったことも伝えられた。hideの保護者は先生に迷惑をかけたのは息子なので絶対に先生を辞めさせないで欲しいと嘆願して来たという。そしてhide自身も動いて嘆願書と一緒に署名を集めて来たという。この暴力教師を辞めさせないで欲しいという内容の。校長曰く、「お前、少し旅行でもして来い。3日あげるから。でも来週からは出勤しろ。これは命令だ」。明らかな暴力、しかも一方的な。それがこんな簡単なことで済んで良いはずがない。校長にそのことを訴えたら「本当に申し訳ないと思うなら彼らに対して誠意で応えてあげろ。これは暴力だ。そんなことはよく分かっている。しかしお前が辞めることはhideだけじゃない、他の生徒に対する暴力でもあることを覚えておけ。どこまで生徒を傷つけるつもりだ。」真剣に叱られた。そして道後温泉で反省して翌週から仕事に復帰した。今だったら、またこのような粋な校長じゃなかったら教育委員会が出てくるような問題である。このような自分の首が飛ぶような判断をした校長先生、今はこんな先生はいない。しかもこの校長先生はその数年後に亡くなってしまうのである。こういう先生のお陰で愚かな教師である自分のような者が立ち直れるのである。因みにhideは現在プロの声楽家として活躍中である。

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