屋根の補修
私は学校の敷地内にある学校所有の住宅に賃貸で住んでいる。築40年超の古い住宅だがそれほど不満もない。冬になると隙間風が入ること、雨漏りがする程度の住宅なのでさほど気にならない。雨漏りに関しては修繕を所有者である学校に依頼したが何故か修繕はしないとのこと。仕方がないので自分で修繕することにした。雨漏りの位置もわかっているし原因も予想できた。外壁を少し削りたいらいにして屋根をめくって外壁から屋根を覆うシートを被せコーキングすればなおせると思った。早速屋根に上り作業を始めた。高所恐怖症なので足がすくんだ。また素人仕事なので安全対策も不十分というか皆無で行っていた。作業は結構順調に進んでいたが道具をひとつ屋根にあげていないことに気づいた。面倒だと思いながらも一度下に降りて道具を取りに行こうとした。そして下に降りるべくはじごにつかまってからのことを全く覚えていない。いまだに思い出せない。気づいた時には近所の方が多く見ていて視界の奥の方に救急車が止まっていた。屋根の上で作業をしていたはずなのに何故か地面に横たわっている。「昼寝をしちゃったのかな?」などと呑気なことを思っていると救急隊員の方が「意識ありますか?この指は何本に見えますか?」などと問いかけていた。正確に答えたつもりだったが何故かひどい頭痛がする。すぐに近くにいた妻に「何かあったの?」と聞くと「屋根から落ちたんだよ」と教えてくれた。近所の人が集まっているのは自分を見ていたのか、とその時気づいた。「意識が戻れば少し安心です。とりあえずヘリは戻しますね。救急車で搬送します。」と手際よく教えてくださった。一度には理解できなかった。汚い話で申し訳ないが救急車の中で3回嘔吐した。そして先ほどの会話に出てきた「ヘリ」という言葉が急に思い出された。救急隊員さんに「ヘリが来ていたんですか?」と聞くと「あなたを市内の大学病院に搬送する必要があると判断し近くのグラウンドにヘリが待機していました。救急車でそこまで搬送しそのあとはヘリで大学病院に行く予定でした。」とのこと。テレビでは見たことがあるが自分がヘリコプターで搬送されそうになっていたなんてにわかには信じられなかった。市内の大学病院にはかなわないがそれでも一通り設備が整った病院に着き早速検査が始まった。しばらく寝ていたらかなり楽になり座ることもできるようになった。検査結果が出た。「一通りの検査をしましたが今のところ、頭部に異常は見つかりませんでした。しかし30分以上気を失う衝撃を受けていますので今後出血してくることがありますから調子が悪ければすぐに来てください。」と言われた。その日はそのまま帰ることができた。
インフルエンザ
そのような転落事故もすっかり忘れ普段の生活をしていた頃、季節は年があけて1月中旬。学校ではインフルエンザが流行していた。集団生活のため多くの生徒が予防接種を受けているが1月ともなるとワクチンの効力も薄れ、予防接種を受けていても次々感染していった。その対応をしてくれていたスタッフも感染し、当時教頭だった自分がインフルエンザの疑いのある生徒を車に乗せて近くの病院に連れて行く役を担った。何人もの生徒を昼夜問わず、依頼があればいつでも連れていった。実は小学生の時に、もしかしたら感染したことがあるかもしれないが、自分にはインフルエンザに感染した記憶がない。だからどれだけ陽性の生徒と接触しても感染しないという根拠のない自信があった。が、1週間ほどすぎた頃。急にだるくなり手が重くて上がらなくなった。関節が痛み出したのでもしかしたら、と思い検温してみると39度を超えていた。感染した。すぐに病院に行き検査をしたが当然陽性。A型だった。妻にそのことを伝え自主隔離。職場にも伝え解熱してから尚5日欠勤する旨を伝えた。感染しない自信があったのに。とりあえず処方された薬をのんで休んだ。翌日には熱も37度台まで下がった。薬の力、恐るべし。熱は下がったが頭痛がひどい。元々頭痛持ちで3日に2日は頭痛なので最初は気にしていなかったが痛みが尋常ではない。耐えられない痛さだった。少し不安になりインフル経験者の教員に電話して聞いてみたところ「僕も頭痛がひどかったです。」とのことだったのでインフルからくる頭痛と理解した。結局6日後には通常通り出勤できるようになりまた元の日常に戻った。
何か変
日常に戻ったのだがなんとなく違和感があった。まずは以前よりもひどい頭痛。また授業中に時々ろれつが回らなくなることがあった。さらに何度か躓くことがあり、最も変だと思ったのがタイプミス。左手でよく使うEやAのキーを押し間違える。変だな、何か変だなという違和感がありながらも年度末近く、また入学試験の時期でもあったのでそれらに忙殺された。一向におさまる気配のない頭痛に耐えられなくなり入学試験が終わった直後に通院した。数ヶ月前に転落事故でお世話になった脳神経外科の先生のところに。
即手術です!
この先生はとても穏やかでお話しが上手、また聞き上手でもあり好感が持てた。「すぐに検査をしてみましょう」と促されCT検査を受けた。結果を聞くために診察室に入ると、
「今日はここまでどのようにしてこられましたか?」
『自家用車です」
『自分で運転して来ましたか?」
「そうです」
「今日すぐに手術をすることになりますのでしばらく家には帰れません」
と言われた。耳を疑った。「慢性硬膜下血腫です」と言われた。自分の拙い知識を辿ってみると、確か急性硬膜下血腫はすぐに命の危険があるものだと医療ドラマで言っていた気がした。それの慢性版か。実はこの時、我が家は下の子が長期入院をしているため妻がそれに付き添い、上の子を私が見ている状態だった。だから急に手術、入院と言われても下校して帰ってくる子どもを見てくれる人がいないのである。事情を話してなんとか今日は見逃して欲しいとお願いした。先生はかなり困っておられた。「この状況だと1ヶ月前にピークがきているんです。これが破裂したら大変なことになるんです。今なら簡単な手術でなおせます。」と仰った。CTの画像を見せてくださった。右の脳が出血のため完全に潰されていることを説明してくださった。マジックで出血がどこまで広がっているかを教えてくださった。本当にまずい状況だと言いながらもこちらの事情を考慮してくださり、先生個人の携帯番号を教えてくださりその日は帰れることになった。しかしあけた月曜日には手術をするとのことだった。遠くの病院で、下の子の看病をしている妻にこのことを伝えた。結局色々なやりくりをして翌日土曜日に入院することになった。病院なら状況が急変しても安心とのこと。そして予定通り月曜日に手術をした。全身麻酔かと思ったら局所麻酔。意識はありドリルで頭蓋骨を削るのが分かった。いろいろな処置をしてくださり頭からはドレインチューブが飛び出ている。出血した血液を抜くためだ。グロテスクな写真を掲載して申し訳ないが術後少し落ち着いた頃の写真が冒頭の写真だ。こうして私の慢性硬膜下血腫の手術ならびに治療は終わり日常に戻ることができた。屋根から転落して頚椎を損傷し体が動かなくなる事故をいくつも知っている。そういうことから考えると自分がこの程度で済んだのは奇跡だったのかもしれない。DIYは今でも好きだけど屋根には上らないとこの時誓った。また自分の思い上がった、あるいは軽率な行為がいかに多くの人を巻き込み迷惑をかけるのかもこの時身をもって経験した。ちなみにこの病院の先生、聖書の興味をもっていらっしゃるらしく、私のベッドサイドに聖書があるのを見つけて毎日のように聖書について教えて欲しいと言われていた。いろいろなことを考えさせられる経験だった。