身代りの愛

今日の出来事

朝から姉が実家に来てくれた。母は昨晩痛みがありほとんど眠れなかったようで朝もなかなか起きることができなかった。姉を交えてオンライン礼拝をしていたが途中から母が起きて来て礼拝に合流した。母の認知症は前回帰省した時よりも更に酷くなっている。元々会話が成立しないぐらいのこともよくあったので慣れてはいるがそれでも受け答えがはっきりせず記憶も曖昧なのでかなり心配な領域になっている。両親には毎日お惣菜が届くように手配しているが土日は配達が休みなので、今日は昨日から仕込んでいたおでん、豆腐ハンバーグ、餃子、すき焼き、けんちん汁などを完成させ自分が実家を離れてもしばらく生活できるようにしておいた。礼拝が終わってから昼食をとりしばらくお茶を飲んで歓談していたが時間になったので実家を出ることにした。ちょうど姉も一緒に出ると言うことで二人で駅に向かおうとした時に、母が「駅まで送りに行く」と言い出した。家の中を歩くのも困難なのにどうして駅までいけるのだろう、と思いとどまらせようとしたが母は一向に聞かない。結局父も付き添うことで一緒に駅まで送ってもらうことにした。実家から駅まではゆっくり歩いて5分ほどの距離だが、結局15分ぐらいかけて母も一緒に駅まで行った。心配なのだが母の気持ちをいただくことにした。今回の帰省で色々なことを考えさせられた。何度断ってもお金を渡そうとする両親。結局受け取ることにしたが、生活費は毎月子どもたち3人で出し合って両親に仕送りしている。だから兄弟に内緒でお金を両親からもらうことはできない。後で事情を話して姉にもらったお金を託した。いつになっても子どものことが心配なのだろう。「困ったことがあればなんでも言って来なさい。できる限りの事をするから」と言うのが両親の口癖である。申し訳ない。

一枚の写真

姉と乗った電車、およそ20分ぐらいの乗車時間であったが色々なことを話した。両親のことは勿論、仕事や家族のこと、今後のこと等々。いよいよ電車を降りる時になって姉が手帳を探って何かを取り出した。一枚の写真であった。「これ覚えてる?」。勿論覚えていない。そこに写っているのは2歳ぐらいの自分と小学校に入りたての姉。そしてほぼ同い年のいとこ姉妹。写っている場所から母方の祖母の家で撮った写真であることはすぐに分かった。懐かしくて涙が出そうになった。まだまだ純朴で素直だった頃の自分が写っていた。あれから色々なことを経験して、両親に育ててもらった。とても愛情に溢れた家庭であったが経済的には非常に苦労していたと思う。子どもたちが全寮制の学校に行くのと、土地の購入が重なった。上物は父が建てた家だったが土地は借地だった。そのため地主さんが土地を処分したいので買ってほしいと言って来た。全寮制の学校に行かせなければ家計はそこまで行き詰まらなかったと思うが「子どもに残せるのは教育と信仰だけ」と言うのが父の口癖で全寮制のミッションスクールはどんなに家計が左前になっても辞めさせなかった。そう言う犠牲があって今の自分が存在する。犠牲とは思っていないだろうが、いつも子どもにはできる限りのことをしてあげたいと思ってくれていたと思う。今回の帰省で改めて両親の愛、それも犠牲的な愛を実感することができた。

そして、そのような両親のことを思いながら新幹線に乗り他の教会の礼拝メッセージを視聴していたところ「身代りの愛」を実践されたイエス様のことをお話ししている教会を見つけた。受ける資格の無い自分に自らの命を捨てる愛を注いでくださったイエス様のことを考え胸が熱くなった。

2021年11月20日 安息日礼拝〈ライブ〉(メッセージは24:30から)

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