小さな出来事
殆ど毎日のように次男が電話をくれる。長男は寮生活に追われなかなか電話ができないようで週に2回程度かけてくれる。子どもとの電話は毎回勇気をもらうことができ助けられている。
次男は感情のコントロールがうまくできず泣いたり怒ったりしてしまうことがある。集団の中でそれをしてしまうので友達関係を上手に構築することが苦手である。自分もそのことを気にしており何とか本人を励ましながら集団の中に馴染ませることができないかと考えている。そして、誰より本人が傷ついてる。「自分にはできない。自分には友達がいない。自分のことが大嫌い」と言うようになっている。本人には「泣くこと、怒ることは人の気持ちの中でも特に大切な感情だからそれを大事にしないといけない。大事な気持ちだから、そう簡単にいつも人前でその気持ちを表現するのはよくない気がする」とできるだけ否定しないように話している。とにかく人前で泣かない、怒らないを頑張ってみよう、練習してみようと言って取り組むことにした。「ただしこれは練習だからうまくいかないこともあるはず。だけど練習だからうまくいかなくてもそれは失敗じゃないから心配しないで」と話している。
そして毎回の電話の中でその日の様子を話してもらっている。こちらから聞くとプレッシャーになるのでさりげない会話の中で本人が話したくなるような雰囲気にして自然な形で話してもらっている。月曜日はギリギリセーフ。火曜日も怒りそうになったけど我慢した。水曜は全く問題なし。木曜日はとにかく楽しかったらしい。「怒らなかったり泣かなかったりするとそれだけで学校が楽しくなるでしょ?」と聞くと嬉しそうに「そうだね」と言っていた。そして今日が最終日。今日は少し怒りそうになったらしいがそれでも我慢したとのこと。本人の自己申告なので実際とは違うところもあるかもしれないが、本人なりによく頑張った。こちらもとても嬉しい気持ちになったので大袈裟に褒めた。はたから見れば何でもない当たり前のこと。しかし私たちにとってはとても大きな成功体験なのである。
できることが増える
自分もできることをひとつひとつ増やしながら生きてきた。残念ながら年齢とともにできなくなることも増えているが、それでも今までできなかったことができるようになることがある。聖書を通読できるようになる、何時間でも祈れるようになる、敵意を持っていた人のために祈れるようになる等々。わずかだがそれでも成功体験になる。今日、「キリストへの道」という本を読んでいた時にある言葉が心に残った。
最高の教育を受けた者にも、最も無学な者にも、はっきり示される証拠は経験という確証であります。神はみ言葉の真実なこと、み約束の真実であることを私ども自らが試してみるようにと仰せになりました。神は私どもに「主の恵みふかきことを味わい知れ」(詩篇 34:8 )とお命じになりました。ほかの人の言葉に頼らないで、自分で味わってみなければなりません。神は「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう」(ヨハネ 16: 2 4 )と仰せになるのでありますから、この約束を間違いなく果たして下さいます。神の約束は今まで違ったこともなければ、これからも違う事はありません。そして私どもがイエスに近づき、イエスのあふれる愛にひたるとき、イエスの臨在の光に私どもの疑いも暗きも消え去ってしまうのであります。
キリストへの道「疑いをいかにすべきか」 電子版p84
ひとつひとつ神様との関係において経験することがその後の大きな糧となり、その糧を用いて更に上に上っていくことができる。子どもは成長しているけど、彼らのように成長していない自分に気付かされた。
SDA甲府キリスト教会 安息日礼拝 2022年4月16日
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