子どもの苦しみ

再び

保育園で起きた「幼児虐待」のニュースを知り涙が出た。自分をお世話してくれる大人が自分に危害を加えることの恐怖を感じながらもそれに耐えていたことを考えると胸が締め付けられる。園バスに閉じ込められ放置された園児のことであれほど悲しい思いをしたのに、何故故意に子どもを傷つけるのだろう。本当に悲しい。保護者のインタビュー映像も見たが怒り心頭で声も体も震えていた。

我が子がそのように扱われていたことを知ったら、恐らく自分は平常心ではいられないだろう。

園児を宙吊りにしたり倉庫に閉じ込めたりナイフを向けたり・・・。

眠った園児に「ご臨終です」と言って写真を撮りそれを拡散したり、言葉を含めた暴力行為を行ったり。そういうことから子どもを守る教育を受けて来たはずなのに、そして3人の保育士さんも子どものいるお母さんなのにどうして?と思ってしまう。

目の当たりに

イエス様の母マリアさんも息子が不当な扱いを受け鞭で打たれ十字架に釘付けされ苦しみの中で息を引き取った様子を見ていた。自分は子どもが注射をするだけで悲しくなる。手術のために私たち親の手から引き渡され看護師さんと一緒に手術室に入る大泣きした我が子を今でも忘れることができない。手術室の前でずっと祈っていることしかできない永遠とも思える長い長い時間。

終末時代には真のキリスト教信仰を持っている人は迫害されることが預言されている。自分が迫害を受けるだけなら耐えられるかもしれない。死ねば良いだけだ。しかし目の前で愛する家族、子どもが迫害を受けたり苦しみを味わうことがあれば、果たして自分は信仰を貫くことができるのだろうか。かなり怪しい。

イエス様の視点

同様に子であり友である私たちが苦しみにあうとき、イエス様がどれほど辛い思いをしているかを考えることがある。こんな小さな自分のためにイエス様が苦しみ泣かれる。こんな、無に等しい存在などさっさと見捨てれば良いのに、生かすために十字架にかかって犠牲となってくださった。

兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた。 そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめた。 また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。 こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。
マルコ15:16-20

当時の保育士3人を暴行容疑で逮捕 静岡・裾野市の保育園で園児に虐待行為

 

保育士1歳児虐待問題、保育士は直接の謝罪なし 説明会で保護者の怒り爆発

 

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