眼鏡
目が良く見えない悩みをずっと抱えてきた。広島にいた頃は県内でも有名な眼下が近くにあったので一度きちんと調べてみてもらいたいと思っていた。が、何故かこの眼科に通うことはなく広島を離れてしまった。青森でも一度眼科に通ったが「様子を見ましょう」と点眼薬をもらって終わった。
沖縄に住むようになり那覇な結構な眼科があることが分かり1ヶ月前に受診した。乱視は勿論だが眼瞼下垂や白内障を指摘された。とりあえず眼鏡の処方箋を貰いきちんとした眼鏡を作ろうと思った。が、眼科にある眼鏡クリニックはかなり値段が高い。今まで、量販店で2万円前後のメガネばかり買っていたのでその3倍もする眼鏡を買うことに抵抗があった。
しかも雇用保険を受けて細々と暮らしているのに先日青森の県民税と村民税の納付書が届いたばかり。およそ19万円の請求だった。こんな状況で眼鏡の新調などできないのだが目が見えないので頭痛もおさまらない。仕方なく、午後から眼鏡を注文しに行った。
シュガーローフ
眼鏡を注文したあと、すぐに帰るつもりだったが以前から気になっている「シュガーローフ」こと慶良間チージ(安里52高地)に寄ってみた。
場所はモノレールのおもろまち駅近く。カトリックの安里教会の上、高級ブランドを扱うDFSの正面に位置する。物凄く急な階段を登ると展望台らしきものがある。が、それ以外は何もない。配水タンクが目隠しで覆われているだけの場所。だが、その昔、沖縄戦では非常に多くの犠牲者を出した場所である。
ちなみにチージはよく「辻」に訳される沖縄の言葉だが辻からイメージされるものとは全く異なる。チージというと「高台、高地」を表すようである。
シュガーローフについて説明があったのでそれを引用させていただきたい。
慶良間チージ (シュガーローフ)
沖細戰の激戰地。宇安童の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は“すりばち丘”、米軍は“シュガーローフ” と呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の愛番で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。とくにここ慶良間チージの攻防は、1945年5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。
米軍は死傷者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。
それ以後、米軍は首里への攻勢を強め、5月27日、首里の第32軍指令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。
新都心
頻繁に沖縄に通うようになった頃、使う道は国道58号線が多かった。県民の多くはゴーパチという。
空港から浦添向けに車を走らせると天久付近にかなり長い鉄柵の敷地が右手に見えた。所謂軍用地だが全く手付かずの状態だった。1980年代後半に解放され1990年代から開発が始まった。那覇新都心と言われ、その中心にサンエーが経営するメインプレース那覇が2002年にオープンした。
地価が高騰する沖縄だがその中でも群を抜いて高いのが新都心。ちなみに自分の同級生も博物館近くで歯科医院を営んでいる。先日行ってみたがとても立派なクリニックだった。
価値
新都心が軍用地として米軍に貸し出されていた時の利益が年間およそ60億円。しかし新都心として開発されてからの収益は1700億円にも上ると言われている。
勿論、観光立県の沖縄にとってコロナ禍で観光客が途絶えたこの数年はとても大きな犠牲が払われた。経済は勿論人間関係や健康、人命など。
多くの方が苦労して犠牲を払った事で今があることを決して忘れてはならないと思った。
1週間後は慰霊の日である。シュガーローフでの犠牲の上に今の自分があることを忘れずに謙虚でいたい。
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