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イエスキリストが神という存在でありながら人類の罪を全て贖う(自分の死によって人々を罪の無いものとする働き)ために人間となってこの世界にこられました。キリスト教の用語でこれを「キリストの受肉(じゅにく)」と言います。イエスキリストは大工の息子として生まれ、成長しますが31歳頃「バプテスマのヨハネ」という人からバプテスマ(先例)を受けます。これ以降を「イエスキリストの公生涯(こうしょうがい)」と言います。公生涯の期間はおよそ3年半。その間に弟子たちを12名の弟子を集め人々に福音を伝えられました。ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤ地方を始め色々な場所で福音を伝えられました。転々と各地を巡り歩くため野宿をしたり迎え入れてくれる人の所に泊まって雨風を凌いでいました。
「死海」の西側にエルサレムがありますがそこから3kmほどのところにベタニヤ村という集落があります。ここにマルタ(長女)マリヤ(次女)そしてラザロという人が住んでいました。聖書によるとイエスキリストはこのラザロの家を好んで訪問していました。そしてラザロたちもイエスキリスト御一行を心から歓迎していました。イエスキリストを招いたラザロの家はいつも愛と喜びで満ち溢れとても良い雰囲気であったと想像できます。
イエスがヨルダン川の東側、ぺレアというところで伝道活動をしているときにラザロが病気で死にそうであるとの連絡を受けました。ぺレアからラザロのいるベタニアまでは徒歩で1日の距離。その知らせを受けて尚2日イエスはぺレアに滞在し活動しました。実は使いのものがイエスのところに行くためにベタニアを出発した直後にこのラザロは病のためなくなってしまったのです。
知らせを聞いてから尚2日滞在したイエスは
「我が友ラザロのところに行こう」
と1日の距離を歩いてベタニアに向かいました。お分かりでしょうか。使いがイエスのところに行くのに1日、尚2日ぺレアに滞在し1日かけてベタニアに行ったわけですからラザロが亡くなって4日経った時にイエスはラザロの亡骸に対面するのです。ラザロは白い布に包まれて既に墓に葬られていました。
当時ユダヤでは死者の魂は死後3日の間その肉体の周りをさまようと考えられていました。ですから3日以内に蘇生する人は稀にいたのかもしれません。
しかしその蘇生の見込みもなくなった4日目にイエスはラザロのいる墓に向かって
「ラザロよ出て来なさい」
と言われました。すると本当にラザロが墓から出て来たのです。これが「ラザロの復活」という実話です。
イエスが方々で病人を癒したり目の不自由な方を見えるようにしたり悪霊に取り憑かれている人を自由にするので、イエスの力が「ベルゼブル」という悪魔の力によるものであり神を冒涜する行為であるとユダヤ人指導者は考えていました。しかし今回は死者の復活という決定的な「メシア(救い主)にしかできない奇跡」を行ったためユダヤ人指導者(祭司長、パリサイ人など)は驚きと悔しさで当惑してしまいました。結局イエスの力を証明する生き証人であるラザロを殺すことにしてしまうのです。
余談ですが私は身を隠したラザロがイエスキリストの十字架の場面でどこにいたのかを考えるのが好きです。いつも楽しい交わりをさせていただき、思い出もたくさんあるイエスキリスト。その方が十字架にかかる重大な場面でラザロは自分の命惜しさに隠れ続けていたとは思えないのです。どこかでずっと十字架上のイエスを見ていたのではないかと思いその場面を勝手に想像しています。
長くなりましたがこのブログで出てくるラザロという人物がどのような人かお分かりいただけたでしょうか。そしてイエスが最も好んで何度も訪れていたのがラザロの家です。
今日も行ってみよう
ここに行けば何かがある
そのような場所になりたいと考え
「ラザロの家」
というタイトルをつけさせていただきました。私は悪人ですのでラザロとは対照的な人間ですので自分のことをラザロと言っているのではありません。ただラザロの家を目指して行きたいと思っています。

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